ひまじん御法川お姉さんと僕
さんゼン
第1話 天使様へのお願い
僕がいつもの公園の、いつものベンチの前まで来ると
「私は子どもの頃、天使様に向けてのお願いと題して手紙を書いたことがあってね」
御法川さんはいつも唐突だ。
彼女は、二十前半の女性で、前髪をぱっつんと切りそろえた長い黒髪の謎の美女だ。フォーマルな恰好をしているが、放課後公園に行くといつもベンチで暇そうにしているので何の仕事をしているかまでは解らない。
御法川さんがいきなり話を切り出してくるのは、太陽が東から昇り西に沈むくらいに当たり前の現象であったために、僕はいまさらつっこむことをしない。
「御法川さんってクリスチャンだったんですか?」
「いや、全然? バレンタインデーにはチョコ食べてクリスマスにはケンタッキー食べるけど普通の日本人さ」
バレンタインデーは別にクリスチャン関係ないと思うけど、とにかく御法川さんはクリスチャンではないらしい。また新たな事実が判明した。
「いやね、私の昔住んでいた家の近くに、年季の入った古本屋があってね。私はその店の褪せた紙の匂いが大好きだったんだ」
「はあ」
「でも、時の流れは残酷でね。電子書籍が主流になってくると、古本屋もなかなか経営が難しい。ついに、近々店を畳むということになってしまってね。そこで幼かった私は天使様にお願いしたわけだ。『五千兆円ください。あと古本屋をつぶさないでください』と」
「欲出ちゃってますよねそれ」
「金があれば大抵のことは解決できるからね」
「僕が天使様ならそんな願いだけは聞き届けたくありませんよ」
御法川さんは僕がイメージする大人の女性そのまんまの見た目をしている。だからか、いまいち天使にお願いする幼き頃の御法川さんの姿はイメージができない。
「それで、古本屋は、どうなっちゃったんですか」
御法川さんは、少しだけ顔をうつむけた。
「潰れたよ。もちろん」
やはりそうか、と僕は思った。
現実はたとえいたいけな子どもが潰れて欲しくないと願ったところで、そうフィクションのようには奇跡は起こらないものだ。
順当に経営が悪化して、順当に店を畳んだのだろう。
そこでふと、御法川さんが当時を懐かしむような遠い眼をした。きっと今、御法川さんの脳裏には、年季の入った古本屋の、古い紙特有の匂いや、少し薄暗い店内の光景が浮かんでいることなのだろう。
しんみりした空気に浸っていると思って僕は黙り込む。
ところが、御法川さんはいきなりものすごくいい顔をして笑った。
「しかし、天使様もなかなか粋な計らいをしてくれてね」
御法川さんはおもむろにポーチバックに手を突っこむと、一冊の本を取り出した。色あせて全体的に茶色っぽい、ずいぶんと歴史のありそうな本だった。彼女はその本に栞のように挟まれていたカードを取り出して、僕へと見せた。
受け取って見る。カードには、
『古本屋存続と五千兆円はわたしの力を越えているので叶えられません。ごめんなさい。代わりにこの本を古本屋だと思って大切にしてください。天使より』
それを読んで、僕は御法川さんに尋ねた。
「……手紙ってどこに出したんですか?」
「当時はよくわかってなかったから、古本屋の店主のおじさんに頼んだよ」
つまりはそういうことらしい。
「それは、粋な計らいですね」
「だろう、私の大切な宝物のひとつさ」
御法川さんはそう言って、古本に顔を寄せ、過去を懐かしむように匂いを嗅いでいる。
僕は、天使を自称したであろう古本屋店主のおじさんの姿を想像して、くすっと笑った。
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