事例3-15

 お気に入りのバンドの曲をカーオーディオから爆音で鳴らしながらドライブをする。夏直前といった具合でどこまでも晴れ渡っており気温も高いが、車内はクーラーがしっかり効いていて快適だ。車は自分で運転するよりも助手席にいる方が遥かに楽しい。日野は自身の右目を失ったことで趣味のバイクに乗れなくなったが、車内という狭い空間に閉じ込められたまま恋人とともにどこかへ出かける楽しさを知ることもできた。

 ハードロックに体を揺らしながらドライブを楽しむ日野とは対照的に、黒に染めていた髪を再び銀色に染め直した及川は少し落ち着かない様子だった。

「……皐月さん、本当に俺もついていっていいの?」

「車で移動する方が楽だからな」

「いや、そりゃあ……そうだろうけど。だって大学ぶりの帰省なんじゃないの? 今までなんだかんだ理由をつけて帰らなかったじゃん。久しぶりの家族団欒の中に他人がいるの、おかしくない?」

「何言ってんだ、聖。お前は俺と結婚するんじゃないのか」

「する! でもそれはまた違う話でしょ!」

 食い気味に返事をする及川に対して、日野は笑いを抑えられない。そしてひととおり笑ったあとに、左目に少しだけ涙が浮かんでいるのがわかった。どこまでも欲望に忠実な恋人としての及川聖と、社会的体面を気にする及川聖。このふたりが男の中には同時に存在していて、それがおかしくて、愛おしかった。

「お前も俺の家族なんだから、一緒に帰ってもおかしくないだろ。久しぶりに連絡したら親も妹もやけにお前に会いたがってたし……」

 そこまで口に出して日野は違和感に気づく。

「……というかお前の存在を知っていたぞ。どういうことなんだ、アレは」

「いや、それは……ほら! 緊急連絡先が皐月さんの実家でしょ! 俺、一応皐月さんの上司だし! 右目の事故があったときに連絡を入れたんだよ!」

 及川にしては苦し紛れの言い訳だ。粗が目立つ。

「あの事故のときはお前はまだヒラだっただろうが」

 首を運転席に向けて睨みつけると、及川は顔面に「マズイ」とはっきり言葉を書いているようなほど気まずそうな表情をしていた。

「……その連絡を任せられたということで、ここはひとつ。一応話しておくけど、皐月さんが両親に合わせる顔がないとか言うから見舞いに来ないように説得したの、俺だよ」

「――お前、本当に大学のときから変わらねえよな……すぐに外堀を埋めようとしやがって」

「言い方が悪いって。外堀を埋めるとかじゃなくて、根回しだよ、根回し」

「同じだろうが」

「……いつまでも連絡を寄越さない息子の、近況報告をしてくれる人間がいたら安心でしょ」

 日野は両親と血縁関係にない。幼い頃、児童養護施設から迎え入れられた養子だった。

 幼心にもわかるほど、日野は両親から大きな愛情を注がれ、健康に育った。両親の間に娘が生まれたあとも、血の繋がっている家族と同様に養育されてきた。

 だが、自分でも無自覚のうちに引け目を感じていたのだろう――いつまでも本心を見せることのない幼い自分がいかに接しづらい子どもだったか考えると両親に少しだけ申し訳ない気持ちになる。信頼していなかったわけではない。ただ物を語らない子どもだった。年齢が離れている妹との仲が良好だったことだけは両親を安心させていただろう。

 そんな無自覚の引け目から、地元を離れたのちに日野はほとんど実家へ寄りつかなくなった。単純に大学生活が楽しかったことと、学業やバイトで忙しかったことも原因ではあったが、一番大きな要因は日野が抱く引け目にあった。

 両親から向けられる愛情に応えられる自信がなかった。こんな年齢になってやっと、日野は自分の引け目の原因を理解することができた。

「そういえばなんで突然帰省するとか言い出したの? 俺としては良いことだと思ったけど、なんか理由でもできた?」

 信号待ちの間、及川はドリンクホルダーに置いていた結露で濡れたプラカップを手に取り、日野へ視線を向ける。真っ黒なアイスコーヒーに突っ込まれたストローを咥えている及川の表情は純粋な疑問に満ちていた。

「……盆休みに帰るのは面倒だから」

 日野は答えに窮して、そう告げる。だが、そんな答えで納得する及川ではない。

「……絶対違うでしょ、それ」

「いや、盆休みは混むし、一週間帰ってこいとか言われたら面倒だし」

「嘘だね。絶対そんな理由じゃないでしょ」

「良いだろ、そんな理由で……一週間も実家になんか居てられねえし、それよりもお前とふたりで過ごす方が良いに決まってんだろ」

 その言葉に及川はストローを咥えたまま僅かに目を見開き、黙ってしまった。不満そうな表情は消え失せて、腑抜けたにやけ面が――その顔さえも妙な下心を感じさせるものではなく端整なもので――日野の顔を嬉しそうに見つめている。

「おい、信号変わったぞ」

「あっ、ごめんなさい。集中して運転します」

 

 及川が緩やかにアクセルを踏むとそれに応じて車体が動き出す。夏の到来を感じさせる陽光に負けないほど、互いの表情は輝きに満ちている。

 ふたりはサンデードライバーの下手くそな運転に時折文句を垂れながら、帰省の道のりを楽しく進んでいった。


 <終>

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