事例3-8
一週間。オカタイの見立てどおり、及川の身に何か不幸が襲いかかることはなかった。
阿部の腕には大きな青痣とその輪郭を取り囲むように黄色の跡が残っているものの、迅速な手当てのおかげで手首の調子も戻っていた。しかし、及川は自身が仙谷瑠美華の調査を続行することに決めていた。
先週の月曜日と同じように日野と及川は車に乗り込み、そして件の占い館・Fへ向かう。
日に日に気温が上がっていることに加えて今回の鑑定時間が三十分の予定のため、車内で待機することがかなり厳しくなっていた日野は、渋々、喫茶店の中で及川を待つことにした。平日の昼間ということもあり客足は落ち着いている。それゆえに余計に日野の容姿は目立つ。モデルほどに背が高く、顔も整っているのに真っ黒な眼帯を着用している。元々持って生まれたものでさえも人の目を引くものであるのに、眼帯まで着けているとなると誰もが一度は「この男は何者なのか」と疑問を抱くのも自然なことだ。日野はそんな人間から時折向けられる好奇の視線には慣れていたつもりだが、やはり、気持ちの良いものではない。
今回はプラカップではない。店内用に提供されたアイスティーを飲み、グラスの結露を紙ナプキンで拭いながら及川を待っている。
――早く終わんねえかな……。
日野は及川の献身や愛を疑ってはいない。だが「色恋で情報を釣る」と宣言していたあの男のドヤ顔を思い出すと、一刻でも早く及川が帰還してくれることを願ってしまう。
喫茶店の中でも奥の席で待機していた日野は手持ち無沙汰になっている。最近の商業施設は喫煙スペースが設置されていることも多い。アイスティーを飲み終えたら一旦タバコを吸いに席を立とうかと思っていたところ。
「お待たせ、皐月さん」
日野の背後から及川の声が聞こえてきた。声を聞くだけで少しホッとしてしまう自分に気づいてしまい、日野は自分が思っている以上に及川に依存してしまっているのかもしれないと、自身に呆れてしまった。
振り返ると黒髪でにこにこと嬉しそうな表情で立っている及川が居た。
「……何かを掴めた顔だな」
「うん。実はね……」
「ヨガ教室ぅ……?」
所変わって市教委怪異対策課。
案の定というべきだろう。及川の報告を聞いた阿部は喫茶店で報告を受けた日野と同じように顔を引き攣らせて及川の言葉を鸚鵡返しする。だが、そんな表情は物ともせず、及川は笑顔でもう一度言う。
「そ、ヨガ教室に誘われた」
「なにそれ、怪しすぎやろ……」
ヨガ、アロマ、天然石など。こういった講習や教室は一般的に浸透しているものではあるが、一歩足を踏み入れれば新興宗教や特定の思想が絡んでいる可能性があるものだ。
「てかそれって男でも参加できるやつなん?」
ヨガやジムは防犯上の理由から男女で分けられている施設や団体も少なくない。阿部が首を傾げながら問うものの、及川は満面の笑みのままだ。
「うん。仙谷瑠美華の紹介なら行けるって言われた」
「えええ……危なくない? ほんで警戒されづらい同性の私の方が良くない?」
「危ないから余計に阿部さんをそんなところに派遣できないでしょ。タロットをそこで教わってきてるって言ってたし、尻尾を掴めたって感じするよね」
「嬉しそうな顔やなあ……ほんま及川くんってそういうところあるよな。で、それっていつなん?」
「それが妙なんだけど、毎週水曜日にやってるらしい」
「水曜……って言ったらルカさんの定休日か」
「うん。普通の教室なら集客の見込めそうな土曜か日曜のはずなんだけどね。まあ、その辺も加味して水曜の教室自体は夜に開催されてるみたいだけど――ヨガ教室もやってて、そこでタロットも教わる……絶対に変」
日野は及川の野心的なところが嫌いではなかった。その野心的な部分に救われてきたことは数えきれないほどある。だが、今回はどこか嫌な予感がして仕方ない。その嫌な予感というのが自身のただのわがままに端を発するものなのか、オカタイの人員として、及川の先輩としての経験則から来るものなのか測りかねていた。
「善は急げってことで早速明後日、参加することに決めてきたよ」
「はやっ! 嘘やろ?」
「こんなバカみたいな嘘をつかないって阿部さんも知ってるでしょ」
「日野さん! あんたの恋人、暴走してへん? 大丈夫?」
そこまで黙って聞いていた日野は阿部からいきなり話を振られて少し困惑しながら、しかし、阿部の言うこともわからないわけでもなく。だが、それでもこう言うしかなかった。
「……こうなったら聖を止められるやつなんかいねえよ」
「ちょっと! 及川くん! 日野さんも呆れてるやん!」
阿部の呆れと心配の混じった声は虚しくオカタイに反響するものの、日野の発した言葉は紛れもない事実だ。
もう誰も及川を止めることはできない。
「念の為、皐月さんだけじゃなくて
「……いや、そういう話やなくて……ああ、もうええわ……こんな急な話やとまた村雨さんにどやされるで」
「あの人の小言なんか放っておいたら良いよ。なんだかんだ面倒見の良い人だし」
阿部のじっとりした視線を跳ね除けるかの如く、及川は「ワハハ」と笑っている。
――小言を言われるのは多分俺なんだよな……。
日野は村雨とふたりで車内に取り残されることを考えると頭が痛くなった。
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