野営のコーヒー
風の無い夜だった。
月が、出ていた。
白く照らされた茫漠たる荒野の、人眼を避けた岩陰に、五人は、夜営していた。
煙が立つのを嫌い、固形燃料で手鍋に湯を沸かしながら、互いの身の上について、情報を交換しあった。
「隊商の護衛だったんだ。ただの出稼ぎさ。だってのに、………」
固形燃料の、薄く揺れる
「面倒なことになっちまったな」
横に置いた背嚢から缶を取り出しながら、男は言った。銀髪の、ガン・スリンガー。コーヒーを、淹れるところだった。
「まったくだ、早いとこリプロスに渡っちまいたい」
西の空を見て、トラビスはため息を吐いた。男は、ひと呼吸置いて、
「追ってくるかな?」
と訊きながら、缶のフタを開けた。沸いた湯に、粗く挽いたコーヒーを入れる。独特の爽やかな匂いが、火を囲む四人の間に拡がった。
「来る。ここは奴らのナワバリだ、沽券に係わるからな、必ず追ってくる」
粟立つ湯に躍る、手鍋の中のコーヒーを見つめながら、トラビスは断言する。
「厄介な土地柄だな」
しかし不精ヒゲに覆われた頬に笑みを浮かべて、男は言った。
「でもねえさ。合衆国に較べれば、な」
手鍋を火から下ろして、男は、トラビスを見た。二人の話を聴いていたグリフも、顔を上げて、トラビスを見た。
「何で分かった?」
「コーヒーを
ああそうか、とでも言いたげに男は笑った。
「ローディニアは、まあ本場、って言うことになるのか。………でも、この淹れ方は、こっちの淹れ方だけどな。美味いんだ」
「トラキアのか?」
「ああ、そうだ」
手鍋に沸かしたコーヒーの、その上澄みだけを、カップに静かに注ぎながら、男は言った。
「ローディニアでは違うんですか?」
グリフが訊く。戦士として先達である彼に、敬意を表しての敬語だった。
「紙で
「ご馳走になる。ほら、フラン」
まるい膝を抱えて、うとうと眠っていた十三歳の少女は、ハッと顔を上げ、野戦服のブラウスの袖で、よだれを拭いながら、
「あ、いただくっす」
と口の中でもごもごと言った。そして、
「えっと、砂糖は、………?」
「ある訳ないだろ、欲しいならどっかから持ってこいよ」
とグリフが答えた。
「フラン、………って、正しく言うと何て名前なんだ?」
男は訊いた。
「フランチェスカ、っす」
コーヒーを啜り、その苦さに顔をしかめながら、フランは言った。
「オンナみたいな名前だ」
と、男は驚いて見せ、
「オンナ、っす!!」
と、フランがむくれた。
「あはははははっ!」
と、フラン以外の全員が笑った。フランだけは、リスみたいに
「そう言えば、まだ名乗って無かった」
男は言った。
「オレは、ヴォルフだ。ヴォルフ・ビーン・ディラン。———」
「俺は、トラビスだ。トラビス・レオン・ランドルフ。隊長、とは名ばかりの引率係だ。———そして、こいつはグリフィス」
グリフは、ペコリと頭を下げた。
「グリフィス・シリル・ベルクマン、です」
「そして、コイツはフランチェスカ」
フランも頭をペコリと下げたが、視線を横に逸らし、むくれて尖んがったくちびるのまま、
「フランチェスカ・リアム・カートライト、………」
と小さく答えた。
「そう言えば、あの子は?」
ヴォルフと名乗った、兵役崩れの男は訊いた。食事の後から、姿が見えなかった。
「あの小さい、………」
男の子、と言おうとして、ヴォルフは口籠った。まるで人形のように、きれいで可愛らしい姿だったからだ。女の子、………と考える方が、あるいは自然かも知れなかった。
「どっちだと思う?」
イタズラっぽく、口ひげを
「男の子」
「当たり。———小さいって言っても、フランと同じ、十三歳だ」
「サーベル一振りで大人の
「まあな。高名なサーベル術の先生の、あいつはその、………まあ、息子なんだ。その先生は、もう、亡くなられてしまったがな。………」
記憶の糸に、引っ掛かるものがあった。リプロス。そして、高名なサーベル使い。———
「ユーゴ、確か、………ベルスレイフ。まさか、その先生って、あの、ユーゴ・ベルスレイフか?」
「そうだ、知ってるのか?」
「先生を知ってるんですか?」
二人は、驚いたようにヴォルフを見た。
「有名だぞ。『偉大なるユーゴ』、アフガニスタンでもその名は聞いたし、そもそも合衆連邦軍では、戦術の座学でその名を教わるんだ。「銃火器は刀剣類に対して必ずしも優位では無い」その具体例として、『ダインスレイヴ』、そして『ユーゴ・ベルスレイフ』の名が出て来るんだ」
ユーゴ・スナイドル・ベルスレイフ———
ウェールズ連合王国による中近東侵攻(後に言う「第一次ウェールズ侵攻」)当時、リプロスのサーベル術界に於ける「若き天才」と評された彼は、ダインスレイヴ伝来のサーベル術を、野戦向きに改良し、それを徹底的な訓練でサーベル部隊に叩き込み、その精鋭を、連合王国軍の籠る塹壕へと、斬り込ませたのだ。
バビロニア・ガレスチナ側から見ると「絶大な戦果」、そしてウェールズ側から見ると「激甚な被害」、をもたらしたダインスレイヴのサーベル部隊は、やがて「塹壕戦の悪魔」と呼ばれ、その血に沈む惨状の凄まじさから、敵からも、そして味方からも怖れられた。
その恐怖は、侵攻軍全体に伝播し、やがて彼等をして、中近東・地中海地域からの全面撤退へと追い詰めたのだ。
ユーゴ・ベルスレイフのサーベル術が、欧州列強三国を、地中海東岸からまさに「叩き出した」のだ。
稀代の英傑、ユーゴ・ベルスレイフ。
しかし暫定統一歴:一五九一年、クルダード独立紛争の際に、参謀として従軍したユーゴは、偵察中に何者かの銃撃を受け、帰らぬ人となった。
「ルナだ、あの子の名前。ルナ・シーク・ベルスレイフ。———ユーゴ・ベルスレイフの、息子だ」
トラビスが言った。さっきの、宙に浮いたままだったヴォルフの質問に、遅れ馳せながら、答えた形だった。
「女の子みたいな名前だ」
ヴォルフは、思ったことを率直に口にした。
グリフは、何故か視線を逸らし、顔を横に向けた。表情は変わらなかった。ただ顔を横に逸らし、黙っただけだった。
トラビスは、何も言わなかった。
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