弔問――リプロス島・アルスの街1


 空が、あおかった。


 その、

 空の蒼さを、

 私は凝視してみる。


 青い、じゃなくて、蒼い。

 蒼い、というよりは、深い。

 深い、というよりは、暗い。

 暗い、というよりは、怖い。


 空の色は、

 見るほどに、

 深く、暗く、濃く、

 そして、

 やがて「黒」に、限りなく近づく。

 そうだ。


 その圧倒的な高度に抜ける空の「蒼」は、

 白く光る真夏の大気を透かして見る、

 広大無辺な宇宙の、

 ひと刷毛の光とて射さぬ、


 ———暗黒の色だ。


 そしてその、

 画用紙を、青一色に塗りつぶしたような空に、

 乾いた気流に引き千切られた雲が、

 鋭い爪で、深く引っ搔いた傷のように、

 東から、西の空に向けて、痛いほどの白さで弧を描いた。


 まるで、


 真っ青に晴れ渡る空の、

 その圧倒的な高度に、

 戦いを挑むかのように―――


 まるで、


 無限に拡がる暗闇と、

 人生を支配する空虚とに、

 無謀な抵抗を試みる者のように―――


 **


 地中海の東に浮かぶリプロス島、その西岸の港町:ガゼルユートに、一人の男が降り立った。


 薄汚れた身なりの、痩せた男。


 男は、郵便船でやって来た。

 いちばん最後に、タラップを降りた。


 男は、厳しく細めた眼で、周囲に視線を巡らすと、

 下を向き、 

 足早に、その船着き場を後にした。


 男の姿は、少しばかり目立った。

 砂埃をかぶった灰色となったキャトルマン・ハットに、

 丈の長い砂防用のケープ・コート。

 砂色のカーゴ・パンツに、

 編み上げのデザート・ブーツ。

 無精ひげに覆われた頬は垢じみ、

 そして、右の半顔に、大きな傷があった。


 不気味だった。

 その傷は、額から、眼と、頬を通り、そして顎にまで達していた。

 大きな傷だった。戦場でしか付きようのない、そういう種類の傷。

 そして、

 傷の無い方の眼は、青色の瞳で、

 傷のある方の眼は、銀色の瞳をしていた。


 それと、背が高かった。


 リプロス島の住民は、七百年前にモンゴル帝国の征西を逃れて北欧から渡って来た「ダインスレイヴ」という民族で、皆一様に長身だったが、男の身長は、それよりもさらに、拳ひとつ分くらい高かった。


 そして、そんな男の風体は、近年巷間でよく話題に上る、ある「物騒な素性」を見る者に連想させた。


 曰く、「合衆国兵役崩れ」―――


 十五年前、暫定統一歴:一五九〇年に終結した「太平洋二十年戦争」、その際に環太平洋地域を広く転戦していた膨大な員数のローディニア合衆国軍の兵士が、その戦争の終結と同時に失業者となり、そのほとんどが帰国したが、二十年にも及んだ国家総力戦に疲弊し切った合衆国は、経済的には完全に破綻していて、餓死者が後を絶たず、治安的には州同士が互いに攻伐し合う、泥沼の内戦状態となっていたことから、兵役解除者の一部は帰国せず、そのまま世界中に散って行き、各地で問題を起こしていた。


 強力な火器を持つ完全武装の失業者―――


 それが「合衆国兵役崩れ」であり、戦争による社会全体の損耗から地獄と化して久しい合衆国の失業軍人は、神も、国家も、倫理も、道徳も、いっさい何も信じない、世界で最も悪質で、そして手に負えない「荒くれ」の「ならず者」だった。


 しかし港町の雑踏を行き交う人々の振る舞いに、その曰くあり気な長身の男を、怖れる気配など、まったく無かった。ことさらに無神経な勇気を気取るのではなく、気にしていないのだ。


 ―――そう、


 ここはサーベル使いの国。中近東・地中海地域にあって最強を謳われた戦士:ダインスレイヴの住まう土地なのだ。


 その薄汚れたキャトルマン・ハットの男は、乗り合いバスの停留所を求めて、港の人混みの中を暫し歩き回った。ここ・ガゼルユートから、目指す山間の田舎町・アルスまでは、少なくとも三時間くらいはバスに揺られる必要がある筈だった。


「ヴォルフ!」


 不意だった。


 人混みの中から、自分の名を呼ぶ大きな声がして、男は平静を装い、そちらに視線を走らせながら、しかし反射的に、砂防用のケープの下で、拳銃の銃把を摑んだ。西部劇のガンマンが、砂避けにコートではなくポンチョを羽織る、その理由―――「殺意」を気取られずに銃把を握る、そのためのケープだった。


 男が、感情の色を失くした視線を巡らした、その先に、しかし懐かしい人影が立った。短く刈り込んだ髪に、同じく短く刈り込まれた口髭と顎髭、日焼けした頬に刻んだ人懐こい笑顔と、ガッチリとした、しかし引き締まった体躯。そして眼元には、その人影の人物の、まさにトレードマークとなっている、ティアドロップ形のサングラス―――


「久しいな、ヴォルフ」

「トラビス隊長………」


 男―――ヴォルフはケープの裏で銃把から手を離し、大きな歩幅で勢いよく歩み寄ると、その右手を差し出して、髭の隊長に握手を求めた。


「どうして………」誰にも告げない、不意の訪問の筈だった。


「ガゼルユートには用があって来たんだ、そしたらさっき市場の方で、船着き場に合衆国の「兵役崩れ」がいるって言うから、はは、見物に来たんだ」


 そう言って、彼は眼尻にしわを刻んで笑った。相変わらずの、人懐こい笑顔。歯が白い。


 **


 二時間後、

 流れる山岳地帯の景色の中にヴォルフはいた。

 トラビスがハンドルを握る、軍用の四輪駆動車に揺られて、山間の街道を南進し、アルスの町を目指していた。


「アルスには何しに?」

「………弔い、に」

「ルナか?」

「ああ、………そうだ」


 六年前はまだ、リプロス島こそ奪還したものの、中近東・地中海地域におけるウェールズ連合王国と、ソユーズ共産主義者連邦の脅威はまた去ってはおらず、ルナの埋葬も仮のものだった。そして当時まだ、ローディニア合衆国から命を狙われていたヴォルフは、すぐにリプロスを離れねばならなかった。


 不思議な宿命に導かれて共に戦った若者の死を、きちんと弔い、悼みたい―――

 長く、そう思い続けていた。忘れることは無かった。


「アルスは初めてだったよな?」


 懐かしさからか、陽射しのせいか、サングラスの裏側で眼を細めながら、トラビスは助手席に向かって話し掛けた。


「そういえば、………そうだ」


 流れる景色を、横眼で眺めながらヴォルフは答えた。


「意外だな」

「そうかな」

「ずいぶん長い間、おまえと一緒に戦ってきたような気がする」

「………」


 ヴォルフは空を見上げて、少しの間、黙った。行動を共にしたのは、二度。一度目はバビロニアでの邂逅、約一ヶ月間。そして二度目は、ガゼルベイルート攻防戦からコルヴォグラード撤退戦までの、約七ヶ月間。合わせても、一年に満たない短い期間。しかし―――


「俺も、そんな気がしてる」


 次の瞬間、二人の視線が、思いっ切りぶつかった。互いの顔を、見ようとしたのだ。そして二人とも、同時にすぐに、弾かれたように、正反対に顔を背けた。照れくさかった。


「ハッ」


 照れて、強がったようなヴォルフの表情。


「あははは」


 トラビスは屈託なく笑い、そして続けた。


「ところでさ、前から気になっていたんだが、訊いてもいいか?」

「いいぜ、何だ?」


 口元に、ごく自然に笑みを浮かべながら、ヴォルフは背けた顔を戻した。


「最初におまえが、俺と、ルナと、フランチェスカ、あとグリフに、バビロニアで会った時、最後の、別れ際のガルトゥース軍港、………覚えてるか?」

「十二年も前の話かよ!」


 ヴォルフは笑った。そして、懐かしそうに眼を細める。


「ムジャヒディーンの連中と派手にやらかしたからな、覚えてるさ」

「あの時、おまえ、ルナとデキてなかったか?」

「………」


 ―――沈黙。意外な、言葉。


 しかしヴォルフは否定せず、サングラスを掛けた横顔から視線を外し、遠い眼になった。


「あの時、俺は二十三だから、ルナは、………まだ子供だったよな?」

「あの時、ルナはまだ、………十三歳だ」

「だよな? それに、俺が会った時には

「だな、………」


 そして、トラビスは短く刈り込んだ自分の頭をゴシゴシと撫でこすって、笑った。


「あはははは、すまん、気にしないでくれ、あの時から、ルナは雰囲気がだいぶ変わってさ、悪い意味で言ってるんじゃない、笑わなかったあの子が、ときどき笑顔を見せるようになって、その笑顔が、何だかやけに可愛くてさ、もともとが女の子みたいな子だったしさ、おまえと何かあったのかな? でも良かったって、ホントだぜ? ずっと、そう思っていたんだ」


「そうか、………五年後のガゼルベイルートじゃ色々あったし、なんて言うか、逆に、嫌われてるんだと思ってたんだ」


!! あっはっは、あはははは! 「」にサーベルを向けられて、生きていたのはオマエくらいだぜ、ヴォルフ!」


 ひとしきり笑うと、トラビスは少しだけ真面目な表情になって、言葉を続けた。


「バビロニアの後、ルナは本当に変わったんだ、弱虫なんかじゃなくなった、おまえのことをよく口にしていた、おまえみたいな戦士になるんだって、そう言ってた、………最後のアフロディーテの時まで、ルナはおまえのことを、本当に尊敬してるみたいだったぜ」


「そうか、………」


 ヴォルフはそう呟き、

 流れる景色を眺めるふうにしてトラビスから視線を離し、そして―――


 そっと、息を抜いた。






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