第24話 ふたりでいっしょに

 ながい通路を歩いて、やっと操舵室についた。

 扉がひらくと、85Kがぼくに振り向く。ほんのりとやさしい笑顔。


「あ、7ST、おかえり。長かったね、おつかれさま」


 ぼくはそのまま、主操舵席に座った。

 85Kがすこし首をかしげたが、そのまま話しかけてくる。


「どう? なにか分かった?」

「うん、まあ……ある程度は」


 まだすこし手が震えている。

 85Kはすこしぼくの顔をみていたが、やがて前面のモニターに目を移した。


「航路算定はおわり。離陸さえすれば、あとは自動操縦でいけるよ。左上のウィンドウ、出してみて」


 ぼくは言われるがままに、左手でそのウィンドウをタップしようとして……

 震えていた手から、あの指輪がこぼれおちた。かたい音が数回、足元で鳴る。


「……なに、持ってたの?」


 見ると、隣にいる彼女の表情は険しい。とがめるように、ぼくをみている。


「いや、その……あれ、ちょっと、押収してきたやつ。あいつらから」


 あわてて指輪をさがす。どこだ。

 足元の光るもの、それをあわてて拾ってにぎる。


 彼女が、こわい声でぼくに言う。


「みせて」


 ……みせたくない。


「みせなさい」


「……」


 ぼくはにぎっていた手をひらいた。震えたまま、その手を彼女のほうへ向ける。


「指輪……じゃないね。あなたがそんなに震えてるんだから」


 手の震え、ばれるか。このひとには。

 これがただの指輪じゃないのも察している。


「左手になにか握ってると思ったから、ちょっと引っかけてみたけど。わたしの思いどおり、左手でモニター操作してくれて、そのまま落としてくれた。すなおでよろしい」


 あ――

 左のウィンドウ、航海システムとは関係ないやつだ。


 ……はめられた。


「べつに、いいよ。気まずいことがあっても。だけど、そういう大事なことは隠さないで。そんな顔、してほしくない」


 そんなに、景気悪い顔をしていたかな。ぼくは。


「わたしにも教えて、なにがあったか。いいじゃん、『死なばもろとも』だよ。どうせならふたりで知っちゃおう」


 ……あの、「死なばもろともって」、死ぬ前提?


 でも、まあ……これじゃ隠せないか。

 聞いてもらって、いいのかな――


 ぼくを見つめる黒いひとみは、怒ってない。やさしくぼくをみつめている。


・・・・・・


 ぼくはぼくがしたことを、洗いざらいに白状した。

 85Kは意外にも驚いていないようだ。


「うわあ、すごいことしたね。それって軍隊でもぜんぜん分からない暗号なんでしょ? それ全部コピーしたなんて、なかなか豪快だね、あなたって」


 結局、ぼくは暗号表を例の記憶装置にコピーしてしまった。

 どこにも接続していないとはいえ、船内の記憶装置に内容をコピーしたいま、本船はこの指輪とおなじ扱いだ。このデータがある限り、本船は義勇団にとって排除対象になる。


 やっぱり消そうか、とも考えた。でも暗号表の魅力に勝てなかった。


 軍隊でさえ、知るべきでない暗号を知ってしまったら捕縛され、最悪殺される。あの義勇団の、それも最高難度の暗号を記録してしまったのなら、その末路はもう明白だ。

 でも、暗号を解読して、相手の行動を先読みすれば、避けることはたやすいのではないか。むしろ生き延びれるのではないか。


 ……それでも、ぼくはとんでもないものを船内に保存してしまった。ぼくひとりが扱っていい情報じゃない。それを自覚して、震えながら、それでもなおコピーをやめなかった。

 さいわいだったのは、システム破壊用プログラムは入っていなかったことだけだ。


 85Kは、ぼくの手のひらを見る。


「ねえ、その指輪、ちょっと貸して」


 差し出された手のひらに、そっと指輪をあずける。彼女はそれを持って、珍しそうにみつめた。角度を変えるたび、「メモリ本体」がキラキラと輝く。


「きれい……だけど、言われてみれば、へんな光。これが小型の記憶装置ってわけか」


 彼女はそれをみながら、首をかしげる。


「なにも出てこないね、これ。あなたはさっき中身を見れたんでしょ? どうやるの?」


 いやだめだ。それをこのひとにさせるのはまずい。機密情報を知るのは、ぼくだけでいいんだ。きみはどこかでこの船から降りれば、安全になるはずだから。


 ここは、なんとかごまかそう。


「いや、もう動作しないよ。自壊用プログラムが入ってたみたいで、コピーが終わったら、中身が勝手に壊れちゃった。だからそれ、もうただのきれいな指輪でしかない。宝石としての価値もないし、いらないからあとで外に捨てちゃおう」


 だが彼女は、逆に指輪を握りしめた。


「あっ、それなら――わたしこれ、もらっちゃおうかな。価値がなくてもすごくきれいだし、指輪ってちょっとあこがれてたんだよね。えーっと……」


 すこし考えてから、無造作に指輪をはめる。右手人指し指……


「あ、ちょっとまって、待って!」


 左手の薬指にはめたら起動する。まずい。

 彼女はぼくの声をきいて、すこしだけにやりとした。


「どの指にしようかなあ。ここもあんまりぱっとしないかな、それじゃあ――」


 指輪が、左手の薬指に――


 彼女の眼前に、空間仮想モニターが表示された。機密情報がいま、彼女の目にうつっている。


「なるほど、特定の指にはめたときだけ動作するんだ。使わないときは、べつの指にはめておけばいい。はめた指輪は盗めないし、いい仕組みだね」


 ああ――最初から、これが狙いだったか。ごまかそうなんて、できはしなかったんだ。

 彼女は横目でぼくをみる。


「わかるよ、そういうとこ。自覚してないと思うけど、あなた分かりやすいから」


 でもこんなに手玉にとられたら、さすがに落ちこむなあ。


 しょげるぼくをよそに、彼女はこともなげにモニターを操作していく。


「暗号のデータっていうのは……このフォルダか。うわ、いっぱい出てきた。これ、全部ちがう暗号なんだ。ちょっと見てみよう、っと。どれにしようかな――」


 彼女はまたにやりとこちらを見て――


「じゃあ――この『総司令部最高度暗号表』にしちゃお!」


 いちばんやばいやつを――!


 もういちどぼくの顔をみて、それから彼女はそのファイルをタップした。

 モニターに、義勇団の最高度の暗号表が表示される。彼女の目に、脳に、機密情報が流れ込んでいく。

 ファイルをひらく前に、このひとはぼくの顔をみた。そうか、「顔に書いてある」ってことか。


「うーん、よく分からない。やっぱり知識がないとだめか。でも、手を震えさせてまでコピーをとってたわけだから……あなたには、分かるんだね」


 視線をそらす。

 だが、右側からは強烈な視線を感じる。


「ふふ、わかりやすい。いま視線をそらしているのは、まずい、って思ってるからだよね」


 まずい、思考を読まれている。


 彼女のほうに目線を向けるが、どんな顔をすればいいかわからない。そもそもいま、ぼくはどんな顔をしているのか。

 彼女は表示された暗号表をじっくりと見て、それから指輪をはずした。出ていたモニターも霧散する。


「さ、これで問題は解決だね、船長さん」


 いや、なにも解決していない。むしろ増えた。

 彼女はぼくに指輪を返しながら言った。


「もうおそいよ。いまこの指輪を消しても、もう意味がない」


 ……どういうことだ?

 指輪を消滅させて、そのことを何らかの手段で義勇団に示せれば、もう追跡はしてこないだろう。


 しかし彼女は、ぼくの頭になかったことを言い出した。ぼくの浅い考えでは、思い当たらなかったことを。


「指輪のデータはわたしひとりでも展開できた。特定の個人じゃなくても、左手薬指にはめれば、だれでも見れてしまう構造。これは、義勇団側からすれば、この船の全員が情報をみれている可能性がある、ということ。すでに船のコンピューターに、データがコピーされた可能性も」


 そう、ぼくはそのとおりコピーした。あれはやはり、まずかった――

 しかし彼女はすこし首をふって、続ける。


「コピーしたか、してないかはこのさい問題じゃない。見たか、見なかったかも問題じゃない。あちらにとっての問題は、『見られたかもしれない』『コピーされたかもしれない』ということ」


 彼女はぴっと、ぼくが持っている指輪を指さした。


「それを一度でも持った人間は『見た』可能性がある。それを一度でも乗せた船は『コピーした』可能性がある。一緒にいた、または同じ船に乗った人間も『見た』可能性がある。だから『実際どうなのか』は関係なくて、『可能性がある』というだけで、わたしたちは消される対象になるはず」


 あ――

 ああ、そうか、そうなるのか。


 情報を見ていないのに消されかけた「TSL2198」――そうだ、これだけの機密情報は、「見たかもしれない」というだけで排除対象になりうる。


「指輪がこの船に持ち込まれた時点で、この船はデータを『コピーした』扱いにされている。あなたの行動に関係なく、たぶんそうなっている。あなたはこのさき、きっと死ぬまで追われ続ける」


「・・・・・・」


 手の中の指輪を見る。


 これを「持った」というだけで、ぼくは死ぬまで……

 そう遠くない、殺されるときまでずっと、ぼくは――


「だから、もう大丈夫!」


 ――?


 なに、が、だいじょうぶ?


「わたしもさっき、見ちゃったから。じっくりと。共犯だよ、わたしたち。もちろんわたしも、一緒に追われることになるから」


 彼女の黒いひとみが、ぼくのひとみを映す。


「もうあなたは、ひとりで行かなくていい。少なくとも死んじゃうまでのあいだは、ふたりでいっしょに行くんだよ」


 一緒にって……死ぬまで一緒にって――


「あなたはもう寂しくない。だから、何も問題ないね」


 ……。


 本当に、一緒に来るつもりなのか、こんなぼくと。

 すぐ死んで別れるのだろうに、それでもふたりで行くというのか。


 「寂しくない」――って


 ……死ぬのが怖くないわけがない。だからここまで逃げてきた。


 寂しいか? そりゃあそうだ。この船にはぼくしないなかった。本当はだれかと一緒に、たのしく過ごしたかったけど、それができないから、せめて静かに、安らかに生きていたかったんだ。


 ……死ぬのはこわい。


 でも――


 でもいままでと違って、いまはぼくのとなりにこのひとがいる……


 誰にもこころを打ち明けられず、共感してもらえないままひとりで生きるよりは……そっちのほうが、魅力的かもしれない。


 なんだか、急な事ばかりだけど――


「……わかった」


 背もたれに深く背をあずけ、前を見る。


「きみが、一緒に来てくれるなら――できるだけ遠くまで行ってみよう」


 航路設定――ぼくたちふたりの。


「ぼくたちはいまから――『運命共同体』としてそこへ向かう」


 進め、洋々たる宇宙の海へ。ぼくたちの眼に、星が映らなくなるまで――ぼくたちが「終焉」に分かたれるまで。


 85Kがうれしそうに言う。


「うん、今のはかっこいい! そういう感じでいこう、7ST」


 ――そうだ、その呼称も、改めよう。


 ふたりで運命を、分かち合うのなら。

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