第21話 なみだ
あのひとの操舵室突入、そのすぐあと――
無情にも閉じた、操舵室の扉。
わたしはその前に、ひとり残された。
……ひとりぼっち。
動くものなんてみえない、白い照明がならぶまっすぐな通路。このうしろの扉のむこうには、あのひとがいるのだけれど。
彼はこの船で、一人乗務――
操舵室をでるとき、彼はいつもこの光景をみるのだろうか。ここだけじゃない、船内のどこへ行っても、こんな通路だけ――ここではだれにも会えない。
出港したら、つぎの港まで数週間。そのあいだ、当直をして、点検作業をして、故障部品を交換して。
だれの顔もみられすに、笑いかけてくれるひともいない。人との関わりはせいぜい、通信メッセージの処理だけ。
まわりにあるのは、かたい金属や樹脂でできた構造材。ひとのぬくもりも、そのやわらかさも、ここにはない。ただ、空気が満たされているだけ。空調の動作音が、いつまでも響き続けている。
「殺風景」……ほんとうに、そのとおり。人類がみな死んでしまったあと、ひとり残ってみる世界はこうみえるのか。
押しつぶされそうな孤独……それが急に、わたしを震わせた。
わたしが夢見ている「一人乗務」は、だれにも邪魔されない、だれにも指図されない、わたしだけの自由の航海だ。
――わたし「だけ」の自由の航海。
わたしが夢見ていたものは、これ――?
「……」
そうだ……わたしは前しかみていなかったんだ。
一人乗務で駆ける宇宙――モニターいっぱいに映る宇宙をみながら、星々の大海をわたり、無限につづく航路を思うがままに往く大航海。
そのおおきな夢のうしろには、無にひとしい「空間」が横たわっていた。
想像すらしなかった。宇宙船でひとりでいるとは、どういうことか。
一人乗務は長続きしないと、よくきいている。どうしてなのか分からなかったが、いま、こうしてみると、そのわけがよくわかる。
あのひとは、いつからひとりなんだろう。どうして、ひとりなんだろう。
あのひとのこころは、どうなっているんだろう。
・・・・・・
――シュ……
――!
今のは――?
おもわず振り向いた。
操舵室の扉は厚く、中の音がきこえてこない。
にも関わらず、かすかに音がきこえた。いまこの中で、相当大きな音が鳴ったはずだ。
なんの音か。なにかが壊れた音じゃない、空気漏れの音でもない。
扉に耳を当てて中のようすをうかがいたいが、近づいたらこの自動扉は開いてしまう。
……銃の、音?
まさか、まさか彼が撃たれたのか?
どこに当たった、痛いのか、苦しいのか――
――生きているのか?
どうしよう、わたしは手当てなんてできない。そんなの知らない。中で彼が撃たれていたら、わたしはどうやって助ければ――
いや、撃ったのが相手とは限らない。操舵室制圧のため、彼が撃ったかもしれない。
どうやって……?
彼は銃なんて持ってなかった。奪ったのか。いや、そもそも――
操舵室を制圧する方法を、わたしはきいていない。
・・・・・・
扉ごしに、女のものらしい悲鳴がきこえはじめた。
それに加えて、悲鳴以上におおきい男の声。
乱射するような、連続の銃声。複数の男女の悲鳴が、パニック映画のように聞こえてくる。操舵室の扉が、まるで地獄のふたのよう。
中では確実になにかが起こっている。明らかに話し合いではないし、取っ組み合いにしてもこんな音は出ないだろう。
想定外の事態なのか、それならわたしも援護にいくか……
でも相手は、銃を持っている。戦いかたなんて知らないわたしが行っても、よくて人質にされるだけ、悪ければ射殺される。
彼がわたしを置いていったのは、わたしがそうやって邪魔になるからだろう。「室内からの火線に注意しろ」とも言われた。「火線」ということは、銃撃戦も考えていたということ。
……待とう。後ろを見ていてくれ、と言われたのだ。せめて、彼の足は引っ張りたくない。
だいじょうぶ、これはあのひとにとって、想定内。銃弾なんて、きっと跳ねかえしてしまうから。
跳ねかえして、くれるよね……
振り返れば、閉じたままの操舵室の扉。
このむこうは、どうなって――
・・・・・・
――ドカン!
閉じた操舵室扉のすきまから、白い閃光がはしった。通路をも震わす大音響、なにか中で爆発した――
「後方を守れ」という指示は、たぶんわたしが邪魔だったからだろう。だから銃声らしい音がきこえても、邪魔になるわたしはここを離れなかった。
でも、さすがにこれは見過ごせない。操舵室内での爆発――これは緊急事態だ。いくら戦いをしていても、船の中枢部であるこの部屋で、爆発はまずい。
火災警報は鳴り出さない。故障か、まさか装置ごと吹き飛んだか。
さすがに足がすくむが……いまは宇宙船乗組員として、迅速かつ正確に対処しなければならない。
見回すと、そばの壁面に赤い四角のマーク、消防設備の格納庫。扉を引きあけると、中には消火器と消防ホース、背負い式防護装置があった。防護装置は救命具とおなじ形だが、対火災用を示す赤色で塗られている。
爆発があった場合、煙と有毒ガスの発生、それに出火の可能性がある。前者を吸い込んだらまずいし、後者の場合も酸素が消費されるから、この先は呼吸できないと思っていい。
防護装置を背負う。システムを起動し、出てきたモニターで各機能を立ち上げる。防護フィールドを展開、有毒ガスや空気漏れ、火災の熱に備える。それと状況からみて、室内は照明が落ちているだろう。ライトも点灯し、消火器を持って、突入準備を完成させる。
突入後は、すぐ操舵席の航海計器と操縦装置の状態を確認。それから火災があれば消火し、その後、負傷者を室外へ退避させる。ほかの損傷部位の確認は、あとで行う。
ここまで、火災対応の規定時間内。
用意よし――突入!
操舵室扉は生きていたのか、すぐにひらいた。
あれ――?
照明はついている。煙も、火災もみえない。みたところ、室内にダメージらしきものはない。
床にはもとのわたしの船の乗員たちが、おびえた表情で尻もちをついている。
「てめえ、見てるだけで気色悪いんだよ。居ちゃいけない」
彼の声だ。
やさしさが……ない。
目のまえの光景、あの怠惰で尊大な人たちが、みなおびえきっている。彼らをこうまでねじ伏せられるのは、なにか強大なちからを持った者だけ。
明るい笑顔で人を投げ飛ばしていた、彼。
理性のコントロールを失った彼のちからは――
「死ね」
冷酷なことば。普通ならただの暴言にすぎないが、今の彼は――
だめだ、それは――!
「待って――!」
とっさに、わたしは叫んだ。
彼のすがたはみえない。指揮卓のむこう、死角に入っている。
「だれだ、発言は許可してないぞ。立ってていいとも言ってない。いまごろ来て、何するつもりだ。まわりを見てみろ、ここはおれの支配下だ」
指揮卓のむこうからの声。あの、男の子のような彼じゃない。暴力性をおびたおそろしい声。
「殺人」は、止められただろうか。
じぶんの生命をけずってまでわたしを生き返らせたあのやさしい手で、人を殺させたくない。
操舵室にいるのは、わたしと彼を除くと最大で7名。ここから全員はみえてない。いまのところ死者はみえないが、視界外ではもうだれか殺されているだろうか。
あのひとは、怪我をしていないだろうか。
「……」
こわい……
進むのが、こわい。
もしここから進んで、見てしまったら……もう人を殺したあとのすがたを、見てしまったら。そうしたら、あのひとが「人を殺した」という事実が、わたしのなかで確定してしまう。
わたしは、1歩、踏み出した。もう1歩、さらに1歩。
わたしはそれでも、見なければならない。どんな「事実」がわたしのまえに現れても、動じてはならない。
彼の手が血にまみれないよう、いまから最善の手をうつ。それがだめなら、次善の手をうつ。おそらくじぶんでは止まれない彼を、わたしがなんとか止めるんだ。
指揮卓の、この角のむこう。
彼はいま、どんな姿で――
・・・・・・
そいつの気配は消えないまま、ゆっくりと指揮卓の角まで移動してきた。
もうすぐ、ぼくの前に現れる。
いままでのやつとは、気配がちがう。この惨状をみても、歩みをとめない。恐怖では、こいつをねじふせられない。
でも……なんだこの気配。感じ取れるのは1本のまっすぐな芯。目にはみえないが、ここからでもその白い光がみえている。それだけ強いのに、こいつ――「敵意」がない。
「敵意」を隠せる熟練者か。いや違う。それなら気配ごと消せるはずだ。
来る――
まばゆいライトに照らされ、視界をうばわれる。
救命具かなにか、着けているな。ライトで牽制し、防護フィールドを展開すれば、たしかに戦闘に使えなくはない。
だが、そんなライトは無意味だ。目でみえなくても、おまえの気配はみえている。
……おかしい。それでも、光がみえる。
ライトじゃない、相手そのものから感じる光。白くて強くて、それでいてまぶしくない。じっと見つめても平気なひかり――
義勇団員としてたくさんの人間と戦ったが、こんな光を放つやつは見たことがない。
「ライトを、消せ」
視界を確保したい。
ややあって、まぶしいライトがきえた。
若い女。赤いものを背負っている。あれは対火災用の防護具だ。そのあたりの消防設備から出してきたな。
女は目を見開いたまま、立ち尽くしている。
いや、ぼくはまだ何もしてないぞ。なぜぼくを見ただけで、そんな棒立ちになるんだ。ここまでしっかり歩いてきたのに、急にどうした。
女の表情は、恐怖……とは、すこし違う。だが余裕があるわけじゃない。戦意など全く感じないし、さっき見えていた白い光もいまは消えている。
この表情――ああ、覚えがある。
いつだったか……あれは中型客船を襲撃したときだ、そのときにみた。
部隊で一斉に船内に突入し、指示通りに中の人間を殺していった。ぼくは補助員として吹き抜けのあるホールで待機していたが、ちかくに家族らしき4人がいて、ほかに隊員がいなかったので、ぼくが「対応」した。
最も強いとみられる男を最初に、つぎにうるさい子供を2人。そして最後に、母親と思われる女に目を向けたとき……
その女は、ぼくをみていなかった。足元の床に咲いた、3人の血の花。立ち尽くしたまま、それをみていた母親の表情――
いまここでぼくをみている女は、そいつとおなじ顔をしている。
なにを考えているのか。あの母親がみせた表情と、おなじ表情をみせるこの女。あの母親にはどんな気持ちか聞けなかったが、いまこの女になら聞ける。
「……どうした?」
高圧的にもなれず、かといってやさしく問いかけることもできず、中途半端なことばが出た。
女はしばらくぼくを見て、それから突然、ぽろぽろと涙を流しはじめた。
「おい、どうしたんだ」
女はそのまま、糸が切れたかのように、床に膝をついた。大きな音が、操舵室にこだまする。慟哭の、大音響。
そんなはずはない、こんな軽そうな身体でこの音は……そもそも人間の体で出せる音じゃない。ぼくの感じた、これは錯覚だ。
ぼくがそう錯覚させられるほどの、「なにか」が、彼女を床に沈めた。
何と言っていいのかわからない。ぼくはこのひとに、なにか大変なことをしてしまったのか。
ゆっくりと歩み寄る。彼女は床に座り込み、ぼくを見あげて、まだ大粒のなみだを流している。透明な染みが、ひとつずつ床に増えていく。
目のまえに立つと、彼女はぼくに向かって手を伸ばし……伸ばしきれずに、その手は宙をさまよった。そんなに泣いていたら、前がみえるはずがない。なにか言いたいのか口をあけたが、なにも声がでてこない。
ぼくは彼女の前に片膝をついた。目線をあわせる。宙をさまよっていた彼女の右手が、ぼくの首筋にそっと添えられた。震えている。
その涙をぬぐいたくなって、ぼくは右手を彼女の顔に――
――ぼくはナイフを、持っている。
いつからこれを持っていたか。まだ放していなかった。いま彼女の目のまえに、血だらけのナイフが突きつけられている。
それでも、このひとはおびえない。あくまでぼくを見て、ぽろぽろと涙を流しつづける。眼前のナイフがこわくないのか。どこからそれだけの涙がでるんだ。いったいなぜ泣いているんだ。
ぼくはナイフを床に捨てた。ナイフは軽い音をたてながら、そのまま転がっていった。
彼女の頬に触れようとして……右手が、血にまみれているのに気付く。あわててズボンでごしごしぬぐったが、とれない。
触れられている首筋が、あたたかい。なんだか安心するようなぬくもり……こんなあたたかさは、宇宙に出てからはじめてかもしれない。
こんなにあたたかなひとが、どうしてこうも泣いているんだろう。ぼくはどうしてこのひとを、泣かせているんだろう。
……。
――!
しまった!
「あ、いや! だいじょうぶ、大丈夫だから! これ、おれの血じゃないから!」
しまった、しまった、しまった! こんな血だらけじゃあ、そりゃあ驚く。ぼくが流した血なんだと、思い込む。
見れば、ぼくの服は左胸が破れている。そこにも、いつのまにか血がべったりついている。事情を知らないひとがみれば、ぼくが切り裂かれたようにみえるはずだ。
「ちがう、違う! これは服だけ、中は、身体は切れてないから! 怪我してないから――!」
怪我をしないと約束していた。なのにこんな姿をみせれば、取り乱しもするだろう。
制服の袖で胸を拭いてみるが、ここも血がとれない。どうしよう……。
彼女の涙が、ゆっくり減っていく。ぽかんとした顔になって、ぼくの身体をうえからしたまで、たしかかめるように見ていく。
涙は、ついにとまった。
なにを言えばいいかわからない。「ごめん」か、「大丈夫だよ」か、ええとどうしよう――
さきに言葉を発したのは彼女だった。下を向いて、奥歯をかみしめるようにして……
それから、顔を上げて。
「この――」
……。
「服で、汚れを拭くな――っ!」
ごめんなさい――っ!
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