#2 元・魔王、メメの新しい日常

 メメ・メルノワール=カンバセ。

 それが、かの魔王の名であった。

 夜闇に翼を翻し、月光に獲物を光らせ、暗澹たる雲を掻き分ける細身の尻尾をくゆらせ、鈍重な霧をその角で切り裂く。魔王城、その城下町に始まり世界の彼方に名を轟かせる魔王。

 それが、メメの――姿であった。

 世界を二分した魔王と王国騎士団との戦いの最中、姿を消した兄王の代わりに擁立されたまだ10代も半ばのメメは、魔王国のアイコンとして対立の渦中に置かれた。

 時を同じくして、魔王国城下町の孤児院で育ったある少女は、第一王子でもある王国騎士団長の訃報と共に、その血に刻まれた王族の血が覚醒する。王国に連れていかれた少女は勇者として祭り上げられ、ここに新たな「魔王」と「勇者」が誕生した。

 魔王城を抜け出しては、後に「勇者」となる同年代のその少女と時を過ごし、幼馴染として友情をはぐくんできたメメの、それが運命であった……。


「うむ。今日の妾も完璧だね。懸念しておった数学の宿題もぱーふぇくと」


 ……と、いうのも過去の話。

 魔族の象徴である翼も尻尾も角も魔法で隠したは、高校生の制服を身にまとう、どこにでもいる女子高生の一人。夜闇の中でも繊細な紫紺の髪を角の代わりにと短いツインテールにまとめ、八重歯を覗かせた小動物のような印象を抱かせる姿こそ、今の彼女、かんばせメメである。

 メメは凹甜おうてん学園の2年B組に所属する、17歳の女子高生。

 ちょうど先週、この学園に来てから二度目の春を迎えたばかりだ。

 勇者との最後の戦いで刃を交えた彼女は、その切っ先が勇者の剣に触れた瞬間、謎の光に包まれた。そして次に目を開けると、見知らぬ世界――現代・日本のこの地を踏みしめていたのだ。

 その後はなんやかんやかくかくしかじかを経て今から1年前、魔法の力を存分に駆使しながら、紆余曲折の果てにここ凹甜学園の1年生として生活が始まったのだ。


「……って、ちがーう!!」


 教室の隅の席で机に置いた教科書を眺めていたメメは、突然両手を突き上げて大声を上げた。どこか舌足らずなその声にクラスメイト達は女子も男子も皆にっこりと微笑んでいる。

 何人かのクラスメイトが「メメっち、お菓子いる?」「なあ顔、これ食う?」「顔さん、私のもどうぞっ」メメの傍に寄って来る中、メメは小さな頭を抱えて唸っていた。


「ちがう……なぜ、なぜ妾はこんな、『じょしこーせー』として馴染んでいるの!? これでも元・魔王だよ!? 妾の目的のためにも、まずはここで生活を安定させなきゃと思ったけど――」


 これじゃあただのじょしこーせーじゃん!!


 メメの叫びは教室に虚しく響き、半泣きになったメメはクラスメイトから貰ったお菓子の袋を開ける。もしゃもしゃと洋菓子をついばみながら、いつの間にかメメはある女子生徒と椅子を半分こして座っていた。

 2年B組の人気者・かんばせメメの日常である。


「ふふ~メメちゃんは可愛いねぇ」

「ふ、ふん! 妾を褒めても、笑顔しか出ないよっ」

「きゃー! 魔王スマイル!!」

「ぐ……!」


 ――ところで、メメは知る由もないが。

 メメは居眠りをする時、魔法の制御が弱まり、教室の中で時々ちっちゃな翼や尻尾や角を生やしていることがある。1年生の頃から凹甜学園の噂になっていたし、本人も時々「魔王が……魔法が……」と口にしているし、何より一人称が「妾」という三連コンボで。

 メメはきっと魔王なんだろうなぁといつの間に受け入れられていたのだった。


「わ、妾そんなに変かな……」


 十分溶け込めているつもりのメメとしては、「変なヤツ」と思われているかもと不安だったりするのだった。


「変じゃないよ!」

「で、でも」

「メメちゃんは可愛いよ!」

「……えっ、いや、えっと」


 クラスメイトの力説に周りの生徒が強く首を縦に振る。

 そんな様子に、メメは苦笑しつつも悪い気はしないのであった。


 まあ、ここは魔王城でもないし、目的を果たせる見込みもないけど。

 じょしこーせー・顔メメも悪くないかな。


「なんてね」


 心の内でそう独り言ちたメメは、一瞬の微笑みの裏に悲痛に歪みそうになる表情を必死に隠したのだった。



※※※



 時々メメは、冷静になっては「魔王なのに!」と頭を抱えるが、概ね「じょしこーせー」として過ごす生活に慣れてきてはいる。その証拠に、この日もクラスメイトたちからお菓子を貰い、部活の友人からお菓子貰い、帰宅途中でお世話になっているお姉さんからお菓子を貰って、家まで帰って来た。

 帰る頃にはお菓子でほくほくなビニール袋を抱えていたメメは、すっかりになってきたマンションの一室に入り丁寧に靴を脱ぐ。制服を脱ぎ捨ててラフな格好になって、手を洗ってからお菓子をほおばる。


「ふふ、じょしこーせーも悪くないね」


 甘いバタークッキーを齧りながら笑うメメは、綺麗に片付いたリビングを後に寝室兼書斎へと向かった。魔王城にもあった「書斎」を真似てそう言っているが、実際はベッドとテーブル、PCとモニターがあるごく普通の部屋だ。

 本も漫画と小説を筆頭に好きな娯楽を集めている。


「――さてっ、じゃあ今晩に向けて準備しようかな」


 一息ついたメメはぐぐっ、と伸びをしてから、真剣な面持ちで机に向かった。

 その時点で時刻は17時過ぎ。

 黙々とパソコンの作業を続けるうちに、あっという間に19時になっていた。


「って、やば! 妾まだご飯食べてないのにっ。うう、でも、仕方ない……今日はお菓子で我慢しよう」


 空腹をお菓子で満たし満たし、机上に散らばった機材を整理したメメは、満面の笑みで――自分にかけていた魔法を解く。

 しなやかな翼、滑らかな尻尾、小ぶりな角。

 これが、元・魔王メメ・メルノワール=カンバセの新の姿。


「家でも魔法使っとかないとつい忘れちゃうからね、隠すの。でも……ここでは平気」


 深呼吸を何度か挟み、乱雑なデスクの上に並べた手紙を見つめ、最後に誰かの顔を浮かべるいつものルーティーン。よし、と呟いたメメはモニターに表示されたあるボタンをクリックし、咳払いを一つ零すと、画面に向けて妖しげな笑みを浮かべた。

 ――第一声は、滑らかに飛び出した。


「夜の深きより舞い降りた、深窓孤独の幼き魔王。今宵、人の子らよ、我との舞踏を楽しもうぞ。妾は魔王メルノワール! 人の子ら、息災だったか?」


 そして、ここに「魔王メルノワール」が降臨する。

 画面の前でポーズをとって、高らかに口上を唱えたメメは、椅子に座り直し、今日あったことや最近の出来事について楽しそうに語り出した。画面に流れるコメントに時に反応しながら。

 そう、「かんばせメメ」は正真正銘の元・魔王であり、今はVTuber「魔王メルノワール」でもあるのだ。事の発端はメメがこの世界にやって来たばかりの頃に遡る。

 この世界では翼も尻尾も角も、普通は生えていないと知ったメメは、自分の姿を隠して生きることに窮屈さを感じるようになった。元の世界に戻りたい理由もあいまって、当初は打ちのめされたのを覚えている。

 幾重にも降りかかったその理不尽に。

 けれど――


『……VTuber? こ、これなら妾もこの姿を無理やり隠さなくてもいいのかも!』


 たまたま見つけたオーディション。そこには、エルフや獣人、魔法使いまで、多くの者たちがいるではないか。なんだ、この世界にも馴染みの者たちが居るんだ、と。

 意気揚々、胸を張ってありのままの姿でオーディション会場に向かったメメは、けれど(なぜか)コスプレだと思われ、(なぜか)面白い子認定をされ、(なぜか)素の一人称の「妾」が気に入られ、そして。


『面白いね。今ちょうど魔王の子を探してたんだよね』


 と、そんなわけで齢数百歳の威厳ある魔王――を目指す幼き魔王・メルノワールとして、かんばせメメはデビューすることになったのだった。

 オーディション後、今も活動のサポートから私生活に至るまで世話を焼いてくれるマネージャー(今日も事務所でお菓子をくれた)から聞かされ、VTuberというものを知ったメメは落胆と羞恥と驚きとでごちゃごちゃになった感情のままその日は帰路に着いた。

 そして、現在。


「そういえば人の子らは新生活の時期じゃの。新たな季節の訪れを感じるのは、どれだけ生きていても飽きることがない新鮮な気持ちを与えてくれるが、人の子らは大変なことも多かろう……」


 メメは、「じょしこーせー」として、そして「魔王メルノワール」としてのこの生活を気に入っている。学校で友人も出来たし、温かく受け入れてくれるクラスメイトたちもいる。VTuberとしては、デビュー初期からずっと支えてくれているリスナーたちもいるし、マネージャーも何かとよくしてくれている。


(……あっ、また『ランタン』さんコメントしてくれてる!)


 そう、この新しい日常を、メメはそれなりに気に入っているのだ。

 

 ――たった一つ、どれだけ焦がれてももう届くことのないその手を見つめる時、胸が張り裂けそうになったとしても。


「それでは、今宵も良いときであったぞ」


 メメは、この世界で生きている。

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