【第3話】 白さん その1



 わたしの同居人兼仕事の相棒である白さんは、白蛇である。


 なにを言っているのかと思われるかもしれないが、本当にそのままの意味だ。

 分類は爬虫綱有隣目ヘビ亜目。

 正真正銘の蛇。まごうことなき白い蛇。


 もちろん蛇とは云ってもただの蛇じゃない。


 普通の蛇はいくら白化していようとも、全人類の常識の中では人型には変化できない。


 白さんをなんと呼べばいいのか。

 蛇の化生けしょう? 蛇神? それとも神使?


 理解できない? 


 それはそうだろう。仕方がないことだと思う。こんなことを言っているわたしも、最初は訳が分からなかったのだから。


 だけど……今はこうして白さんと暮らしている。


 仕事の相棒と考えるのなら、白さんはかなりのデキる蛇だった。本人(?)は家の守り神のつもりでもあるらしい。それと、わたしの婿。白さんとしては「婿」のほうが本職のつもりだ。そこはわたしとの意見の相違がある。


 理由を話せば長くなる。


 祖父からわたしへと『祖父江堂』を引き継ぐための最初の仕事は、白さんに届けものをすることだった。


 のちに判明するのだが、その届け物とは白さんの『嫁御寮』。そして、その『嫁御寮』とはわたしのことだったのだ。


 つまり、わたしがわたしを配達した。


 祖父からはなにも聞かされていなかった。本当にいろいろな意味で祖父に騙されたといっても過言ではない事態を、あとから知ることになったのだ。


 それは、一年前の八月のこと──



 ──実らせた稲穂の先を少しだけ傾けた田の緑は、黄金色に輝く月の光のもとで青々と凪いでいた。満月に近い月は、もう少しで薄っぺらい雲の向こう側へと隠れてしまいそうだった。


 祖父からわたしへと『祖父江堂』の仕事を引き継ぐ、初めての配達は今夜だった。


『依頼主に会いに行くよ』


 祖父はそう言った。


『どこらへんのお客さん?』と訊いてみたが、『ついてくればわかるよ』としか答えてはくれなかった。


 祖父につれられて裏山へと続く土階段をのぼる。階段をのぼり始めるあたりから、両脇には背の高い樹が茂りだす。裏山自体がちょっとした林のようになっていた。


 裏山は便宜上は『裏山』と呼んではいるが山ではない。

 平坦な田畑が続く地に、こんもりと土地が盛り上がっているのだ。小高い丘のように。


 古代の豪族の墓ではないかと、以前にどこかの大学の研究室が調査に訪れたらしい。しかし、古墳とは認定されてはいなかった。


 すでに秋の虫の音がしている。陽が落ちると蒸し暑さは日中よりもかなりましになる。


 手元の懐中電灯は頼りない明かりを灯している。階段をのぼる身体の動きに合わせて、ゆらゆらと足元の階段を照らしていた。


 古い時代から裏山にのぼる人々が踏みしめてきた土の階段は、踏みしめられてきたがゆえに表面は硬く、そして中央は弓なりに削られていた。大きな石の表面や、長く歪に伸びた木の根がところどころで地表に張り出している。その石や根に足を引っかけて転ばないようにと、慎重に進む。


 祖父はわたしの前で慣れたように軽々と階段をのぼっていく。とても足腰が弱っているようには思えないのだが……。 


 配達に行くとはいいながらも、祖父はなにも持ってはいないように見えた。

 届け物は小さな品物で、ズボンのポケットにでも入っているのだろうか。

 夜に配達するのは届け先の都合なのだろう。今どきは宅配便だって夜間に配達してくれる。


 運動不足のために息を弾ませながらも、階段をのぼりきる。


 丘の上には周囲の田畑を見下ろせる、拓けた場所があった。その隅には地域の伝説にも残る祠が建っている。木造の小さい古い祠だ。祠は森の樹々に護られるようにして、ひっそりとった。


 祠の木の表面は、緑色だか茶色だかの判別のつかない色に変わり果てている。いしづえの石の土台も縁の角は落とされて、永い年月を物語るかのように翠の苔を蒸していた。


 祖父は『明かりを消しなさい』と短く言った。


 こんなところに配達なのかと訝しくも思う。待ち合わせでもしているのだろうか。とりあえず言われたとおりに、手にしていた懐中電灯の明かりを消した。


 懐中電灯の明かりは消したが周囲は仄かに明るい。薄っぺらい雲の後ろに隠された月は、こんな雲などでは力不足だとでもいうように、月光を空に滲ませている。月の光が滲み出した夜の空は、木々の葉の隙間から下界をうっすらと照らしていた。


『白さん、約束の者を連れて来たよ』


 夜の林の中。祖父が祠の前で声をかけると、虫の音がぴたりとやんだ。森の中は途端にしんと静かになる。風もなくなり、葉擦れの音さえもない。


 周囲の風景がわずかに歪んだように、もしくは一瞬、ずれたように感じた。


 季節の夜の匂いとは別の、こうの香りが鼻先に漂う。懐かしいと同時に、不安な気持ちを呼び起こすような……古い香りだった。


 八月の終わり。さっきまでの裏山の気温は半そでのシャツには丁度よかった。それが、一瞬で空気が変わったように感じる。今は背筋がぞくりとするほどに肌寒い。


 ちょっと……へんな感じがする。うす気味が悪い。


 祖父に声をかけようとしたときに、ふと目を留めた。白い冷気のようなものが広がっている。ドライアイスを水に浸けると発生する白い煙のようなものが、祠からゆらりと滲みだしているようにみえた。


 目をこすってみる。


 もともと視力は良くはない。普段は眼鏡をかけたり、かけなかったり。今日はかけてはいなかった。


 再び祠に目を遣る。冷気などは見えない。


 見間違いか──。


 こすった目を瞬くと、祠の前の薄闇の中に、いつの間にか白く浮かぶ影があった。


 ──?


 目を細めて、よくみると……。


『ようやくか。待ったぞ。祖父江堂』


 影から発せられたのは、どことなく湿り気を帯びていると感じる、鈴が震えたような響きを持つ声。


 木々の葉の隙間から光がこぼれた。月の光が祠に射す。月は雲をぬけたようだ。


 祠の前に立っていたのは着流し姿の若い男だった。


 背はすらりと高い。肩から胸もとへと垂らしている白く長い髪は、組み紐で三つ編みに結っている。細い目をした、月の光の中でもわかるほどに白い肌と朱い唇をした男だった。

 背筋が伸びた、ぴんとした立ち姿が印象的だ。


 この人……どこから来たのだろう。急に現れたような気もするけど。それに銀髪のウィッグに口紅かぁ……。なにかのコスプレ? どこかの夏祭りの帰り? 都会ならまだしも、こんな田舎でそんな恰好をしていたらさぞ目立つことだろう。というか全体的に……なんか白っぽい気がする。


『この娘が孫の瑠樹です。自慢の孫娘です。これからどうか、末永くよろしく頼みます』


 祖父が白い男に深々と頭を下げた。


 この彼が今回の依頼主のようだ。


 『祖父江堂』をわたしへと引き継ぐための挨拶をしている祖父に倣って、慌てて頭を下げる。


 祖父は男を『白さん』と呼んでいた。名前なのか。あだ名なのか。白いから? なんて考えてしまう。


『ふむ……。気に入ったぞ』


 祖父と一緒に顔を上げると、白さんは顎に指を置いて、その細い目で無遠慮にわたしを見ていた。まるで商品の品定めをしているようだった。


 その視線はねっとりと絡み付くようで、どうしてよいのかわからないほどの居心地の悪さを感じてしまった。白さんの眼差しはなぜだか爬虫類を想起させた。白さんの目付きと独特の雰囲気がそう思わせるのだろうか。


 はっきり言ってしまうと……この場所と同じように、彼もうす気味が悪い。


 わたしは祖父のシャツの袖を引っ張った。


『おじいちゃん……』


 早く頼まれ物を渡してしまって帰りたかった。


 すると祖父は、にこやかに言った。


『すまん、すまん。瑠樹にはまだ紹介していなかったな。こちらは白さん。瑠樹。おまえの婿様だよ』




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