第十話「余波」

相楽さがらぁ〜〜! お前って奴は、いつもいつも……!」

「あぁ? るせーんだよ鳥頭。ギャーギャー吠えんな、犬か鳥かハッキリしやがれ」

 教室が並ぶ長い廊下で、二人の男子生徒が言い争う怒声が響く。少し前に鳴った予鈴よれいを聞くに、どうやら自習の時間が終わったらしい。

 その階の突き当たり――バチバチと宙で鋭い目線の火花を散らす二者のそばには、派手に開いた壁の大穴。教員達が不在であるためか、未だ塞がれていないそこからは絶えず外の空気が流れ込んでいた。

「また入相いりあい先生に迷惑かけたんだろ!? それに、石蕗つわぶき先生にだって……!」

「はっ、テメーには関係ねえだろうが、しゃしゃってんじゃねえ。大体、雑魚の分際でしつけえっつの、ざーこざーこ」

「んだとーー!?」

 問題児、相楽さがらイツキの破壊行為をとがめるもう一方の男子生徒。なにやら正義感の強そうな彼も、不良少年と同じ鮮やかな金髪が一際ひときわ目を引いた。結べるほどの長さをしていないイツキとは対照的に、その少年は一見、女子生徒と見間違うほどに長い髪を後頭部の高い位置で結えている。

 獣耳を彷彿ほうふつとさせる頭部の左右から生えた赤く大きな翼に、燃え盛る炎のような深緋こきひの瞳――彼の風貌は、何から何まである教員にそっくりだ。

 騒ぎを聞きつけた生徒達で、二人の周囲には軽く人だかりが出来ている。そこに、先ほどまでラウンジでしばしの休憩を取っていたシロエ達も姿を見せた。


 ここ、セントーレア学園にはそれぞれ“モデストゥス謙虚”、“ヴィルトス人徳”、“クレメンティア寛容”、“ディーリゲンス勤勉”、“カリタス慈善”、“テンペランス節制”、“プディシティア純潔”という名の七つのクラスが存在しており、入学の際に、主に生徒の性格や能力を元に所属が決められる。

 “七つの大罪”と相反あいはんする“七つの美徳”。それが、このセントーレア学園の教育理念として掲げられていた。……逆説的に言えば、その部分に課題を抱える生徒が過半数を占めることの証明にもなるのだが。

 ただ一つの例外として、この地の守護者である天狐族てんこぞくの生徒達には決まった所属クラスが存在せず、どの授業でも自由に受けることが出来る。要するに、学園長直々の管轄かんかつ内――極めて特殊な待遇といったところだろうか。


「わ……あの二人、また喧嘩してる……」

「懲りないね……」

 そんな彼らの様子を見たカガリとユキネが小さく呟く。初めてその光景を目にする者にとっては両者の剣幕けんまくに怯みそうなものだが、二人にとってはもはや日常茶飯事にちじょうさはんじ。至って見慣れたものでしかなかった。

「いつもの事なの?」

「そーなんです……仲が悪いというか、合わないというか、そんな感じで……」

 尋ねたシロエに耳打ちをするように、カガリが小声で答える。そして、彼女と同じ見解であることを示すかの如く、隣のユキネも黙って頷いた。

「…………おい、聞こえてんぞ」

「ひぇ……!」

 そんな二人の会話は、不運にも言い合いの隙間をくぐり抜け、不良少年の耳に届いていたらしい。イツキに軽くすごまれたカガリが、小さく悲鳴を上げた。

「……ああ、ちょうど良いところに! お二人からも何か言ってやってくださいよー!」

「はァ?」

「へっ……!?」

 そこですかさず、不良少年と言い争っていた男子生徒までもが応戦を求める。てっきり止めに入ってくれるとばかり思っていた彼女は、そんな彼の言動に更に動揺することとなってしまった。

 助けを求めるように軽く周囲を見渡すも、他の生徒達は皆、関わりたくないと言わんばかりに上の空――他人のフリを決め込むばかりだ。彼女と同じ、渦中かちゅうのユキネも困惑の表情を浮かべている。

「ははっ……俺に言いたい事があるんなら、ハッキリ言った方が良いぜえ? サン?」

「や、その、私は別に――!」

 イツキはどこか挑発的な笑みを浮かべながら、つかつかとその場に立ち尽くすカガリへと近付く。別段、危害を加えてやろうなどということは無さそうだが、やはり相手が相手なだけに、湧き上がる恐怖心は否めない。

 そんな彼女の心情を悟ったのか、イツキから庇うように、シロエが二人の間に割って入る。それから静かに、彼の浅葱色あさぎいろの瞳をじっと覗き込んだ。

「――――っ!」

「……ん? 何だお前、見かけねえ顔だな? どこのクラスだ――」

 突然割り込んできたシロエに少し意表を突かれるも、変わらぬ口振りでイツキが続ける。思いがけない行動に出たシロエを前に、カガリもユキネも言葉を発することが出来ずにいた。

 イツキが最後まで言い終わるのとほぼ同時だっただろうか。その時、嵐の過ぎ去った後のような、よく澄んだ、凛とした声がくうを刺した。


「一体、何の騒ぎですの?」

 明るい薄青うすあおの髪、萩色はぎいろの瞳――それから、頭上の獣耳に、長い毛並みが揺れる三本の尾。そこには、紺色のベストにスカートといった学生服姿で、怪訝けげんそうに腕組みをする狐の女子生徒の姿があった。

「ナギサちゃん!」

「委員長!」

 颯爽さっそうと現れた彼女に、カガリと男子生徒の声が重なる。ナギサ、と呼ばれたその少女は、周囲の状況からおおよその経緯を察したのか、呆れたように、はあ……と小さくため息をついた。

「リヒトさん? 風紀委員たる貴方が、このような騒ぎを起こしては本末転倒でしょうと……わたくし、以前より何度も申し上げているはずですわ」

 リヒト――そう呼ばれた男子生徒はハッと目を丸くし、弾かれるように勢い良く頭を下げた。彼の長いポニーテールがむちの如く弧を描いては、その重みでだらんと垂れ下がる。

「申し訳ございません!」

「分かれば良いのです」

 ナギサはただ一言、毅然きぜんとした態度を崩さずに告げると、今度は黙ってやり取りを聞いていたカガリ達の方へ向き直る。その際に、はた、とシロエと目が合うも、軽く目配せをするのみで、何も言葉が発されることは無かった。

後輩リヒトさんのおかげで探す手間が省けました。カガリさん、ユキネさん。……それから、そこの貴方も。今から、少し付き合ってくださらない? 学園長からの通達ですの」

「え……っ!?」

「学長から……ですか……?」

 突然のことに困惑する二人の返答に、彼女は黙って頷く。そして、何か言いたげなイツキを一瞥いちべつすると、ふっと余裕そうな笑みを浮かべて言い放った。

「ふふ、ごめんあそばせ? こちらのお三方さんかた、ちょっと借りて行きますわね」

「なっ……!? テメー! 何勝手に決めてやがる……!」

「リヒトさーん?」

「おい! 無視すんな!」

 心底不服そうなイツキをものともせず、木陰にそよぐ風のように涼しい対応で返すナギサ。彼女に呼ばれたリヒトが、ぱっと振り向いた。

「後のことは全てお任せしても?」

「はい! 任せてください、委員長!」

「ざけんじゃねえ!!」

 今にも暴力に走りそうな勢いのイツキを、すかさずリヒトが羽交はがめにし、阻止する。――通常であれば、諸事情により彼に触れること自体が危険とされ、困難を極めるものだが、一般の種族とは異なる霊鳥族れいちょうぞくであるその少年には、幾分いくぶんかの耐性があるらしい。

「おい! 離せ馬鹿! 一発殴らせろ!」

「まったく……野蛮ですこと」

 そんな光景をぽかんと眺める三人に、独り言をこぼしつつ、ゆったりとした足取りで歩み寄ったナギサが言う。

「さ、参りますわよ」

 半ば強引な形で、その場を後にしたシロエ達。背後からはいつまでも激しい怒号が聞こえてくるのだった。


 ◇


「…………約束通り、連れてきましたわよ」

 ナギサに連れられ、三人は小さな会議室へと通される。これから一体何をするのだろう――カガリがそう思った矢先、窓辺にたたずむ、見覚えのある人影が目に留まった。


「お疲れー! いやあ、いつもこれくらい素直なら助かるんスけどねえ〜」

「うるっさいですわ!」


 先ほどまでの落ち着き払った振る舞いから一変、やけに喧嘩腰のナギサがその人物に噛み付く。……どうやら、非常に不仲なようだ。

 そんな二者の関係性を、カガリもユキネも十二分に理解しているらしく、その変わりように対しては全く動じていない。むしろ、それがいつもの事といった空気すら漂っている始末だ。

「やあやあ、二人共! 急に呼び出して悪いッスね」

「……ふん!」

 そっぽを向くナギサの横で、二人の顔見知りらしい窓辺の人物がこちらを振り返り、ひらひらと手を振りながら呼びかける。

 あちこちが跳ねた淡い金色の癖っ毛に、笑顔をはり付けたように細められた目、そして、カガリ達と同じ獣耳に尻尾。彼――性別は不明だが、便宜上べんぎじょうそう呼ぶこととする――もまた、同じ種族天狐族のように見受けられる。

「いえ……! お疲れ様です、ライナさん」

「通達? とは、何なのでしょう……?」

「まあまあ。その話は一旦、そこら辺に置いといて〜……」

 単刀直入に話を切り出そうとする二人を緩やかに制止し、狐の青年はゆっくりとシロエのもとへ近付く。ふむ、と小さく独り言をこぼしつつ、彼の頭から爪先を細めた目の、軌道きどうの見えない視線でさらりとなぞった。


「君が学長の言っていたシロエさんかな? 初めまして〜! 生徒会副会長の霹靂かみときライナっていいます! 以後、お見知りおきを!」

 元から細い目をより細め、ニコニコとした笑顔を浮かべたライナがほがらかに言う。……その背後、少し離れた場所では、ナギサが口をぽかんと開け、呆然としていた。

「――――は、な、何ですの? やぶからぼうに……」

「ん〜? 何って、自己紹介ッスよ? ……風紀委員会では、そんな当たり前の事もやらないんスか?」

「な……なななな……!?」

 からかい半分に彼女を煽るライナと、それに簡単に乗ってしまうナギサ。もはやある種の様式美ようしきび――“お約束”ともいえるその状況に、カガリとユキネ、それから、巻き込まれたシロエには、ただただ行方を見守る以外の選択肢は用意されていないも同然だ。


 ……一度烈火れっかの如く燃え上がった口論は、しばらく鎮火しそうにない。こうなってしまった以上、取り残された三者は少しでも早い決着を願い、言い争う二人をひたすらに遠い目で眺めるのだった。

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