ミケちゃんはみんなのごはん。あるいは、ここはあの子のユートピア。

白白河夜船

第1話

 旧校舎二階の片隅。磨り硝子ガラスが嵌まった教室の引き戸をこつこつこつ、とノックする。


 ミケちゃん、ミケちゃん。

 失礼します。


 誰が始めたのか、いつから始まったのか、分からない。分からないけど皆いつの間にか、同じ動作で同じ言葉を口にしてから、かつては空き教室だったそこ―――ミケちゃんの部屋の戸を開けるようになっていた。

 神社やお寺、お墓なんかにお参りする時と、たぶん同じだ。破ったからって別に悪いことが起こるわけでもないのだけれど、これをした方がいい、これをしたら駄目という決まりがいくつもあって、みんな何となくそれを守ってる。


 

 さて。今日の当番は、私を含めて三人だ。

 一人は私と同学年の男の子。

 もう一人は、今日初めて当番になった二年生(今となっては元だけど)の女の子。



 不安げな、少し怯えたような表情で立ち竦む彼女に、私は優しく微笑んであげた。

「大丈夫。難しいことなんて何もないから」

 そう。何もない。何も。

 だって、ミケちゃんは抵抗しないもの。

「今日のところはまず、私達のお手本を見て。最後の方だけ一緒にやってみよ」

 言いつつ教室の真ん中にいるミケちゃんに、包丁の刃を突き立てる。白くてまぁるい、巨大な大福みたくなってしまったミケちゃんの体は柔らかく、すんなりと一塊の肉を切り出せた。男の子が抱えた大きいおかず用の食缶に、その肉を入れる。私の頭より高い位置にあるミケちゃんの目が薄ら開いて、私を見詰めた。

 左小指に絡まる、細い指の感触。

 ミケちゃん。

 誰にも聞こえないだろう小さな声で、そっと呟く。半ば肉に埋もれたミケちゃんの顔がもにょもにょ動いて、ああ、笑ってるなぁ、とぼんやり思った。






 今日も灰色の空の真ん中に、沈まない太陽が輝いている。





 全ての始まりは何年前だったか。

 ここには信頼できるカレンダーも時計も、昼夜も季節も存在しないので、正しい時間を把握することは難しい。私達の心身の成長具合から察するに、五、六年前………まぁ、たぶんそんなところだろう。

 思い返すだに、何とも滅茶苦茶で呆れてしまう。

 十一月七日の昼休み、地震が起きた。それで驚いて机の下に隠れていたら、学校ごと異世界に飛んでいたのだ。

 異世界、と言っても小説や漫画、アニメを見てみんなが憧れていた、剣と魔法の世界ではない。形だけは私達の世界と変わらない―――しかし色が抜け落ちた、モノクロームの異界。


 学校の外にあるものは全て白黒だった。空も地面も建物も動物も植物も、何もかも。


 モノクロ写真の中に入り込んだようだ、と感じた。灰色の世界にあるものは、太陽や雲や水ですら全てひたりと動きを止めて、私達が発する以外の音は世界のどこからも聞こえない。

 大人も子供もみんな不気味がっていたけれど、じっとしてはいられなかった。誰かに助けを求めようにも電話やネットは繋がらず、水道・電気も使えない。食料は余った給食と三日分の非常食のみ。すぐ残り少なくなって、他にどうしようもなくなって、男の先生が二人「様子を見てくる」と外へ出た。

 帰ってきたのは一人だけ。

 先生達の会話から、私達は重要な情報をいくつか知った。校外には無数の白い人影がうろついていること、外で何かを得るためには、それらと取引しなければいけないこと。無断で物を持ち出した場合、罪の分だけ対価を多めに取られること………

 生き残った先生は、日本語をぐちゃぐちゃに崩したような、読めそうで読めない奇妙な文字が書かれた缶詰やスナック菓子、ペットボトル入り飲料など、食べ物の形をしたものをたっぷり持ち帰ってきたのだけれど、それらはやはり白黒で、毒味させられた女の先生は数時間後くらいに血反吐を吐いて死んでしまった。


 白黒世界の食べ物は、私達にとって毒らしい。


 それが分かってからしばらくは、地獄だった。何も飲めない、食べられない。けれども私達、特に低学年の子達は子供だ。我慢できず、食べられそうな物を―――本当は食べない方がいい物を、こっそり口にしてバタバタ死んで、それを気に病んだか絶望したか、体育の先生がおかしくなった。

 いわゆる無理心中を図ったのである。

 誰かに止められる可能性を、少しでも減らそうとしたのだろう。最初に狙われたのは大人達で、それに巻き込まれて何人もの子供が死んだ。



「体の大きい僕達が、上級生が戦わなくちゃ、やられっぱなしだ。人数はまだこっちの方が勝ってる―――勇気を出すんだ。何もかも手遅れになる前に。力を合わせて戦おう」



 その事件によって、頼りにしていた大人はいなくなってしまったけれど、収穫もあった。一つは、共通の敵先生を倒すに当たって子供達が団結し、リーダー格の人間が明確化したこと。子供だけで苦難に立ち向かう覚悟が決まったこと。そして、結果として穏便に相当数の口減らし選別ができたこと。



 現在の生存者は、ミケちゃんを含めて31人。



 男子のリーダーは元・五年生の可西かさいくん。

 女子のリーダーは元・六年生の姫井川ひめいかわ―――私だ。





*****


 初めてミケちゃんとまともに話をしたのは、ある日の放課後、旧校舎二階へ足を運んだ時だった。

 旧校舎に普段使いの教室はないものの、合唱や劇の練習、クラブ活動を行う場所として使われる機会はしばしばあって、階下から微かに子供の声が聞こえていたような気がする。

 随分昔―――私達がまだ三年生だった頃の出来事である。詳細はもう忘れてしまったけれど、私は先生に頼み事でもされていたのだろう。何かを取って来るために、物置として使われていた空き教室の引き戸を開けた。



 ミケちゃんは、その中にいた。


「あ」



 声を出したのは私だったか、ミケちゃんだったか分からない。二人同時だったかも。とにかく私達は思いがけず人と出会して、驚いた。

 ミケちゃん。

 三毛みけ実祝みのりちゃん。

 二年、三年とクラスが同じだったから、顔と名前だけはよく知っていた。だが大人しくて目立たない、無口な子で、話したことはその時点ではほとんどなかったと思う。

「あ。え。あ、わ。ひ、姫井川ひめいかわ、さん……?」

 小柄な体をさらに小さく縮こまらせて、ミケちゃんはおどおどと私を見詰めた。彼女の手にはどこから持ってきたのか、半ば絡まった白いビニールロープが握られていて、人気のない教室、内気な少女、頑丈そうなビニールロープ―――いくつかのピースが意味ありげに繋がり合って、首吊りという単語が直感的に頭を過った。

 とはいえ、過っただけだ。確信があったわけではない。騒ぎ立てるのは大げさだろうと、

「こんにちは」

 微笑んで無難に挨拶してみる。ミケちゃんは真っ赤になって、気まずそうにちょっと頭を下げた。

「ここ、鍵が掛かってたと思うけど……」

 磨り硝子が嵌まった廊下側の窓をついと指差し、

「窓、たしか鍵が一つ壊れてたよね。ひょっとして、そこから入った?」

 怒るつもりがないことを示すため、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 噂話として小耳に挟んだ程度で、実際のところかは知らない。だが遠くない、取り壊すことが決まっていたらしい旧校舎という建物は、その性質上、多少の綻びであれば黙認されたまま使われていた。

 あの空き教室も綻びがあった場所の一つで、おそらく物置として使い始めた後、窓の鍵が壊れたのだろう。壊れたからと言って、他の教室へ中身を移動させるほど貴重な品は入っておらず、その上、古い木造校舎特有の不気味さが影響して子供達も好き好んでは近づかない―――――

 そういう場所だからこそ、たぶん余計に問題が放置されていた。

「あ。う、うん。ごめんないさい………その」

「別にいいよ。それくらいの悪戯遊び、みんな多かれ少なかれやってるもの。それより、ねぇ。こんなところで何してたの?」

「ぅ。えっ」

 興味があったから、というよりは半ば打算的な質問だった。見掛けたのに素通りしてはこの後何か『悪いこと』が起こった場合、人に説明しづらくなって少し面倒だ、と確かそういう風に考えたのだ。

 しばらくの間、ミケちゃんは沈黙して答えなかった。

 たぶん人と話すことが、あまり得意ではないのだろう。それに加えて、こっそりやろうとしていたを見られて、すっかり焦ってしまったらしい。

「…………っ……」

 口を開こうとしては口籠もり、口を開こうとしては口籠もり、を何度も何度も繰り返し、ようやっと、



「………魔法」



 小さな声でぽつりと答えた。


*****

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る