オーバーフロウ

あじふらい

オーバーフロウ

「…別れたいの」


彼女と待ち合わせのカフェで、飲み物も届かないうちからその言葉を聞いた。

正直なところ、驚きは無かった。

瞳に涙を浮かべる彼女を正面から見据え、口を開く。


「わかった」


カフェの店員がオーダーをしたエスプレッソを静かにテーブルに置く。

片手を上げて店員に礼をし、徹夜明けの体にカフェインを流し込む。


「なんでよ!!」


なんでも何もそっちから別れを切り出して来たんじゃないか、と言いかけて口を噤む。

こちらには負い目が幾つもあるのだ。

仕事の都合でなかなか会えなかった事、たまに入る急な仕事で予定が立ち消えになる事、休日だからといっていつも一緒にいられない事、色々な事柄が脳裏に浮かんでは消える。


「結局私のことなんてどうでもいいんでしょ」

「それは違う」

「じゃあなんで!!」

「俺も色々、心当たりはある。今の仕事続けてる限りそれは変わらないだろうし」


真剣に彼女と向き合ってこなかった事を、今鋭利な刃物のように突き立てられている。

結婚願望が無いわけではないが、彼女と共に過ごす未来を思い描けなかった。

彼女でなければいけないという決定打に欠けるのだ。

一緒にいたら楽しいので、別れるという決断にも至らなかった。


「わたし、ずっと待ってたの」


それはそうだろうな、と思う。

しかし、彼女もそういう願望を口にすることはなかったじゃないか。

今でも貴方と一緒にいたいと思ってるんだよ、と聞き逃しそうなほど小さな声が続いた。


「別れを切り出したあとにそれを言うかよ」


カフェインを摂取してなお回転数が上がらない頭であっても、言ってはいけないことを言ったという自覚はあった。

でも、ずるいじゃないか。

ここで俺が結婚しようとでも言えば彼女は喜ぶのか?

うまく行かないのは目に見えてるじゃないか。

今もこうして、彼女は俺を睨んでいる。


「結婚は考えられない」


ぐるぐると思考が巡る疲れた頭が、オブラートを置き去りにして言葉を垂れ流す。

決壊と破綻はたんが視覚情報として飛び込んでくる。

オーバーフローした脳にさらなる電気信号が追い打ちをかけた。

冷たい。

反射で閉じた目を開けば彼女が乱暴に音を立ててコップを置いたところだった。

彼女の瞳は、冷水を浴びせられた自分よりも、濡れているように見えた。




迷惑そうにする店員に万札を押し付けて、釣りを断り、彼女の手をひいて店の外に出る。

濡れた髪に風が冷たい。

彼女の手をそっと離す。

何か言いたげに舞う手を見送った。


「別れよう」




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