第16話

初詣は、二〇二五円をお賽銭箱に投入した。二重(二〇)に二重にご縁(二五円)がありますようにとの願いを思いっきり込めてきた。


“めちゃ力入ってたね。最後は、神社なのに指を絡ませてキリスト様にお祈りするみたいになってたよ”

 と笑う亜希ちゃん。


「 亜希ちゃんの仕事の成功と、レオたちの合格祈願。めちゃお願いします!って拝んでた」


“自分のことは?”


「忘れてたー!」


 亜希ちゃんの隣でパンパンと手を叩いて、「今年もよろしくお願いします」とだけ拝む。それを隣でみていたお母さんが、

“まったくもう!笑。じゃ、私から破魔矢を買ってあげましょうね”

 と言って、お父さんと授与所へ破魔矢を買いに行ってくれた。


 お母さんとお父さんが破魔矢を買っている間、亜希ちゃんと甘酒を飲んで待つことに。小さい頃から変な甘さが苦手で、甘酒は何十年も口にしたことがない。恐る恐る飲んでみると、不思議とめちゃくちゃ美味しくてびっくり。変な甘さは、心からほっとする優しい甘さに変わっていた。両手で紙コップを持って、大事にいただく。


 レオには、合格祈願のお守りも買った。その後は解散して、ゆっくりとした年始を過ごす。一人の年始めは、初めてかも知れない……。誰かといないと惨めな気がして、何かしら予定を入れていたように思う。


 これまでは、ちょっとでも一人になると怖くてたまらなかった。『一人=悪』みたいな気持ちになる。だから、耳が聞こえなくなった最初は死にたくて仕方がなかった。自分を無くしてでも、誰かへの強烈な依存が私の全てだった。


 でも、今は一人で絵に向かう時間を作っている。その時間がないと逆に休んだ気がしない。


 この心の変化は、落ち着ける居場所を見つけたからに他ならない。たくさんの優しさが、私を自立させてくれていた。

 

 今年初めてのクラスの時に、レオが来るまで待ち伏せしている間、海斗さんにも新年のご挨拶。


“この前描いていたレオの絵見る?”

 そう海斗さんに導かれて、二人でアトリエに。心の声を話した時から、ちょっとだけ海斗さんを近くに感じていた。隠そうとしていても、やっぱり心がポヤポヤする。


 レオの絵はいつも幻想的だ。青い薔薇に腰を下ろした妖精。ふわっとした白いドレスを着て、真っ白く足まである髪をしなやかになびかせ、左斜め上を向いて屈託のない笑顔を見せている。透明でキラキラした羽は繊細でいて、美しい。薔薇の上には、まるで雨粒のような色も形もさまざまなドロップが描かれていた。妖精の視線の先には、同じように真っ白な梟が大きな翼を広げて、妖精を見下ろしている。基本は白がベースになっているのに、さまざまな白を使って表現しているレオの技術力の高さが伺える。そして、レオの絵はいつも優しい。


“さしずめ俺は、梟ってことだろうな”

 腕組みをして笑う海斗さん。レオが隣にいたら、間違いなく小突いているだろう。


「例えるなら、私が妖精ってことなんでしょうけど。だいぶかけ離れた美しさです」


“レオには、そう見えてるのかもしれないよ。あいつの目には、この世界はどう見えてるんだろうって考える時がある。きっと、俺たちとは違う世界を見てるんじゃないかな”


 写真を撮っても、きっとこの絵は霞んでしまう。本物を見ることでしか伝わらない。


“いつもレオは、こういう絵を描くんだ。前に、『人の持つ闇を描く』っていう問題を出したことがあってさ。おどろおどろしい絵を俺は想像してた。他のみんなも、想像を超えない絵だったよ。自分でもそう描くだろうと思う。でも、レオはどんな絵を描いてきたと思う?”


 海斗さんの問いに、私も同じようなものしか思い浮かばない。真っ黒い手で引きずり下ろされるような、『心の中を表現する』って言っていた時に思い描いた感じの絵。


“レオは、悲哀や憤怒のマリオネットを楽しそうに操る、かわいい小熊の絵を描いてきた。今伝えるために、小熊って表現したけど、地球上にはいない生物。お題からズレてるわけではなく、レオらしい絵だったよ”


 “表向きは、レオの絵の幅を広げさせたい、新しい何かが見つかって、絵に深みが出るだろうとか上から目線で言っていた。でも、その時思ったんだ。俺はレオの才能に嫉妬して意地悪をしたのかも知れないって”


 レオの絵から海斗さんへ視線を移した。海斗さんでも、嫉妬するんだ。黙っている私を見て少しはにかんだ笑顔を見せて、海斗さんはまたレオの絵を見ながら続ける。


 “誰でも嫉妬や劣等感とかドス黒い感情を持ってるもんだよ。それを恥ずかしいとか、悪い感情だって排除してしまいがちだけど、レオの絵みたく、その感情も新しい自分のおもちゃを見つけたみたいに楽しんで良いんじゃないかなって。操るのは、いつも自分ってことだとレオの絵を見て感じたよ”

 悔しいくらいレオは凄いよ。そう言って、海斗さんは笑った。


 レオにしかない感性と誰もを圧倒するほどの才能。それを余すことなく表現できる高度な技術。天才を目の前にした時は、言葉が見つからなくなるんだな。私は、梟と妖精の絵にずっと心を掴まれていた。

 

 二月から、ほとんどの美術大学で一般選抜がスタートする。一月は最後の追い込みだけど、体調管理や自信をつけさせて送り出したいと言う海斗さんは、少し緊張しているようにも見えた。


 ここまで、みんなどれだけ頑張ってきたのかと想像するだけで、私も緊張してくる。天才レオに、神頼みなんて要らないのかもしれないと思ったけど、合格祈願のお守りを渡す。


 レオは“ありがとう!”と言ってお守りを人差し指にかけてクルクルと回した。


 「神様をそんな風に!」と、レオを諭したら“古風だね”と言って笑っている。レオに切羽詰まった感じも天才の厳かさも感じない、いつものレオだった。

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