第2話 神様
人は一度踏み越えると箍が外れる、と言いますが小春様も例外ではなかったようです。
二週間程経って、申し訳なさそうに再び夜伽を求められました。
その次は十日経って、少し穏やかになったお顔で部屋に来るように言われました。
その次は一週間経って、お顔を綻ばせてお誘いされました。
そうしてお部屋に呼ばれる間隔が段々と短くなって、今では三日に一度夜伽の相手をさせて頂く日々。
時には眠気に逆らえず、小春様のお布団で共に朝を迎える日もありました。
以前から私は小春様の“お気に入り”であると認識されていたので、部屋に行く事自体に疑問を持たれた事はありません。
流石に中でどのような事が行われているのか知っている訳では無いと思います。
そんな私と言えば、小春様に触られて嬉しいという気分にはなれど相も変わらず擽ったいという感覚しかなかったのですけれど。
そんなとある日、お屋敷の中に不穏な空気が流れておりました。
ただ、それは不安だとか怒りだとか……そのような強い物ではありません。
例えるならば、そう。
庭に落ち葉が沢山積もっていて掃除するのが面倒くさいな。
だけど誰かがやらなきゃな……その程度の気怠い空気感でした。
当然私のような下っ端に一々説明などされる筈も無く。
この件に至っては何故か小春様も口を噤んでおられたので私も極力気にしないように務めていました。
ですがその日の夜……お夕飯をお運びしている私を見て旦那様が仰ったのです。
「こいつで良いのでは?」
「そうねぇ……」
「早いに越した事はないしね」
旦那様の言葉を皮切りに奥様や長兄の吉亮様も同意を示しました。
「いけませんっ!!」
そんな中、小春様だけが立ち上がり語気を荒らげて反論したのです。
私は何時も穏やかな小春様がこの様に怒りの形相で怒鳴る所を初めて見て驚いてしまいました。
「何故美子ちゃんなのですか!? あの役目なら他の者でも良いでしょうにっ!」
「美子ではいけないという訳でもないだろう?」
「彼女は読み書きが出来ます! 聡明で健気な子です! 化け物の餌にするなど……」
「小春!!」
「……っ」
「もう決めた事だ。小春よ、ただの下女に入れ込み過ぎだ。
お前への悪影響を考えれば今すぐ追い出しても構わんのだぞ」
「……口出しして申し訳御座いませんでした」
「分かれば良い」
小春様が席に着かれて、お通夜のような空気の中食事は進みます。
私はと言うと……何が起きているのかさっぱりでした。
ですが、不穏な言葉が聞こえたり、各々の反応からきっと危ない仕事を任されるのだな……という事は何となく分かりました。
※※※※※
昨夜は小春様とお話する事は出来ませんでしたが……恐らく監視されていたのでしょう。
今朝お見掛けした時も、申し訳なさそうに目を伏せるだけでした。
「これを持っていきなさい。くれぐれも近付き過ぎないようにね」
そして朝餉が終わった頃、そう言って先輩の滝さんから渡されたのはお盆に載せられた兎が一羽。
既に生き絶えていて、ですが何の処理もされていない亡骸でした。
「あの、どんな獣なのでしょうか? 犬を飼っている様子は窺えませんでしたが……」
「アレについては口外を禁止されているのよ。見れば分かるから。ほら、早く行きなさいったら!」
背中を押されて外に出されます。向かう先は既に教えられています。
御屋敷から離れた場所に建てられた大きな蔵。
そこの扉にかけられた、私の頭程もある大きな錠前。
鍵を差し込み解錠して中に入ります。
中には古い家具や木箱が置かれていて一見すると普通の物置きです。
いえ、確かに物置きとしても使われているのでしょう。
私はその奥……箪笥の影に隠れる位置にある地下へと続く隠し階段の蓋を開きます。
薄暗いので石油ランプに火を灯して階段を下りて行きます。
どれ程歩いたでしょうか。
緊張と恐怖のせいか正確な時間が測れません。
十歩しか歩いていないようにも、千歩も歩いたようにも感じられます。
そんな折、ふと広い場所に出ました。
私は言い付け通り、その部屋の壁に配置されているランプに火を付けます。
不用意に近付き過ぎないように、という配慮の為なのだそうです。
「……神様?」
ランプの明かりで部屋が照らされた瞬間、私は思わず声を上げてしまいました。
部屋の中央に置かれた何枚も御札が貼られた頑丈な鉄檻の中に、とても美しい女性が居たからです。
座っているので正確な事は分かりませんが、少なくとも旦那様より背は高いでしょう。
布の一つも身に付けていないので、陶器のような白い肌が惜し気もなく晒されています。
何より美しいのは顔の造形です。
細くて高い鼻に、薄い唇。
そして切れ長の瞳に長い睫毛。
眉目秀麗を絵に描いたような女性でした。
ですが……輝きを放つような白い髪が、鮮血を思わせる紅い瞳。
そして何より額から生える二本角……その神々しさに思わず神様と形容しましたが、なるほど確かにこの方は人間では無いのでしょう。
小春様の言う化け物……角があるので“鬼”と呼ばれる妖なのでしょうか?
ですが、やはり私はこの御方は鬼さんでは無く神様だと思ってしまうのです。
それ程までに美しく、気高さを感じたのです。
その神様は私を見つめたまま動きません。
目を開けたまま寝ているのでしょうか? そんな好奇心に駆られて一歩踏み出した瞬間……
「ガァァァァァァァッ!!」
「ひゃあぁあぁぁぁあぁぁぁっ!?」
いきなり雄叫びと共に腕を伸ばされて思わず尻もちを付いてしまいました。
お盆もひっくり返してしまい、兎がぼとっと地面に落ちました。
お尻がじんじんと痛みますが、そんな事も気になりません。
伸ばされた指の先には刃物のような鋭い爪。
きっと私の肉など簡単に裂いてしまうのでしょう。
ですが格子に阻まれてそれ以上手を伸ばす事は叶わず……それでようやく檻の全貌を見る事が出来ました。
檻の中に、大小様々な頭蓋骨が乱雑に置かれていたのです。
そこに至って、ようやく私は理解しました。
筑摩家の繁栄はこの神様に拠る物だと。
時折お屋敷にやってくる偉い人。
この神様は見世物か、何らかの実験に利用されているのか……もしくは、偉い人にとって不都合な人を食べさせていたのか。
大きな頭蓋骨は大人の物でしょう。
小さな頭蓋骨は子供の物……恐らくは私の“前任者”なのでしょう。
これ程美しいのに、神々しいのに、檻に囚われ獣のように唸る事しか出来ない御方。
私はそれが妙に悲しくて、けれど何故だか滾る物も胸の内にあって。
私は私なりに神様へ精一杯のおもてなしをしたいと思いました。
「お初にお目にかかります。鯨井 美子と申します。
落としてしまい申し訳ございません。この供物を捧げます」
私は兎をお盆に乗せて少しずつ押し出します。
神様の爪が兎に届いた瞬間、それは肉に刺さりあっという間に檻に引き込みました。
べちゃべちゃと言う水音と、ボリボリと言う固い物を砕く音。
そして……生臭い、鮮血の臭いが部屋中を満たします。
私はそんな光景を見ながら、兎の骨は食べるのですね。
そう言えば今日に至るまで様々な肉を食されてきた筈なのに、檻に置かれているのは人間の頭蓋骨のみ。
あれは一種の収集癖のような物なのでしょうか……そのような事を考えていました。
「グルゥ……」
神様は最後に兎の足を平らげると、満足気に喉を鳴らしました。
「お供物は満足して頂けましたでしょうか? 本日はこれにて失礼させて頂きます」
神様に向かって地面に手を付いて頭を下げます。
その後、お盆を手に取り、道中のランプの灯りを消しながら地下道を引き返しました。
それが何処か、異界から現世へ戻る為の道程みたいだな……なんて思ってみたり。
「美子ちゃん!」
蔵の扉を潜ると血相を変えた小春様が駆け寄って来ました。
この様に慌てた小春様を見るのは、私が下男の方に殴られた時以来です。
「大丈夫? 怪我はしてない?」
「はい、大丈夫です」
「あぁ、良かった……」
小春様は安堵の息を漏らしながら優しく抱き締めてくださいました。
その身は僅かに震えていて、本当に私の事を心配してくださっていたのだと実感します。
「怖かったでしょう? どうにかお父様を説得してこのお役目から外せないかお願いするからね」
「御心遣い痛み入ります。ですが、私は大丈夫です」
「そんな訳無いわ! 美子ちゃんもあの鬼が食らった人の骨を見たでしょう?
檻に入れられているとは言え、奴は人を食らう化け物なのよ!?」
「ですがこれは旦那様に言い渡されたお役目です。それを放棄するなど許されません」
「美子ちゃん……でも!」
「お役目一つこなせなくてはお屋敷に置いて頂けません。
小春様と共に居る為にも、私はお役目を全うしたいです」
「美子ちゃん……」
小春様は辛そうに顔を歪めて、少し強く抱き締めてくださいました。
……一つ、嘘を吐きました。
確かにお役目を果たして、小春様のお側に居たいのは本当です。
ですが、神様と接する機会を失うのは……惜しいと思ったのです。
血まみれになったお顔も。
手首に付いた血肉を舐め取る仕草も。
猟奇的であるのに、それを美しいと思ったのです。
それを、また見たいと思ってしまったのです。
私は私の我儘で、神様のお世話を続けたいと思ったのです。
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