第54話 しずくのいちご牛乳

「大事なことも思い出したよ。」

静かに目を閉じる。


——私の夢は、ゆうくんに心から笑ってもらうこと。


「ねぇ、ゆうくん。」


「ん?」


「ご褒美に、初めて会った時のいちご牛乳を作ってきてくれない?」


その言葉に、ゆうくんの表情がわずかに変わる。


「懐かしいね。」


ふっと、小さく笑う。


「ちょっと恥ずかしいな。」


そう言いながら、ゆうくんは少し照れくさそうに頭をかく。


「……実はね、あの味をずっと再現したいんだよ。」


「でも、普通に作ってるはずなのに、なぜかあの時の味にならなくて……」


少し悔しそうに、けれどどこか嬉しそうに言葉を紡ぐ。


「なにか、足りないんだ。」


「だから、ずっと試行錯誤してるんだけど……。」


しずくは、そんな彼を優しく見つめた。


「それでもいいかな?」


ゆうくんがそう問いかけると、しずくはゆっくりと頷く。


「うん、大丈夫だよ。」



---


「じゃあ、作ってくるね。」


ゆうくんが部屋を出ていくのを見届けたあと、しずくは静かに立ち上がり、公園へと向かった。


ここが、あの日、ゆうくんと出会った場所。


そして、ゆうくんの「いちご牛乳の原点」でもある場所。



---


しばらくすると、ゆうくんが手にいちご牛乳を持って、公園のベンチに現れた。


「置いてくなんてひどいよね、しずく。」


ゆうくんは、少しだけ拗ねたように笑う。


「でも、ここにいるって分かってたよ。」


しずくは、何も言わずにゆうくんを見つめた。


「……」


その視線が、少しだけゆうくんの動きを止めた。


「……あれ? どうしたの?」


ゆうくんが小さく眉をひそめる。


「はい、あの時のいちご牛乳だよ。」


しずくの前にそっと差し出された いちご牛乳。



---


「横に座って。」


しずくの静かな言葉に、ゆうくんは何も言わず、隣に腰を下ろす。


しずくは、手渡されたいちご牛乳を受け取り、ストローを差し込んで、そっと口に含んだ。


—— ああ、そうだ、こんな味だったなぁ。


ゆうくんと出会ったあの日の味。


胸の奥が、じんわりと温かくなる。


「はい。」


しずくは、ストローの刺さったいちご牛乳をそっとゆうくんに差し出した。


「私があのとき飲んでいたいちご牛乳。私の思いを込めたから、ゆうくんが飲んでいいよ。」


ゆうくんは、しずくの真剣な表情を一瞬だけ見つめ、静かに受け取った。


ストローを口に運び、一口、また一口と飲み込んでいく。



---


「……ああ。」


ゆうくんは、目を閉じた。


「あの時の味と同じだ。」


「ずっとこれが飲みたかったんだ。」


そして、ふっと息を吐くように笑う。


「……何が違うんだろうね。」


「このいちご牛乳、すごくおいしいよ。」


—— そう呟く彼の声が、どこか震えていた。



---


その瞬間、しずくは迷わずゆうくんを胸に抱き寄せた。


「えっ?」


驚くゆうくんの頭を、しずくは優しく撫でる。


「ゆうくん……ずっと辛かったんだね。」


ゆうくんの体が、わずかにこわばる。


「ごめんね、気づけなくて。」


そう囁きながら、しずくはそっと「よしよし」と、子供をあやすように撫で続ける。


「ゆうくん、私以外にこうやってされたこと、一度もないんだもんね。」


その言葉に、ゆうくんの肩がわずかに震えた。


「だから、これからは私が甘えさせてあげる。」


「一緒にいてあげるよ。」


ゆうくんの瞳が揺れ、しずくの温もりを感じながら、静かに涙がこぼれた。



---


「しずくにだけは、分かってほしかった。」


—— ずっと、ずっと。



しずくは、そっとゆうくんを抱きしめたまま、心の中で呟く。


—— ほんと、わかりにくいよ。


そりゃ、そんなに長い年月熟成したら、いちご牛乳もあんなドロドロしたものになっちゃうよね。


小さく笑ってしずくは思う。


(……でもね。)


(いちご牛乳に足りなかったのは、たぶん私のほんの少しの唾液と、)


(ゆうくんが望んでいた、私の思いなんだろうな。)


ゆうくんの背中を、そっと撫でながら、しずくは静かに微笑む。



---


「私の初めての関節キスなんだから、そんなの世界一美味しいに決まってるでしょ?」


「……はは、そうだよね。」


ゆうくんは、涙を拭いながら、心の底から笑った。

しずくは、その顔を見て——

ようやく、心の奥が満たされた気がした。



しずくは空を見上げた。

夕日が差込み、世界は、染まっていく。照らされるしずくの髪に反射して、揺れていた。


「これからは、このいちご牛乳も作ってね。」


「同じように、思い込めてあげるから。」


--

しずくの笑顔。

髪も瞳もうっすら桜色にキラキラ輝いて。

小さく息を吸い込み、そして——しずくの顔を

ちゃんとみて、確かに頷いた。 



いちご牛乳が揺れ、2人の思いは伝わる。


ふと、言葉が紡がれる。

「名付けるなら---しずくのいちご牛乳だね。」



---

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