第49話 最終試練05

しずくは、ゆうくんの名前をそっと口にした。



お父さんがいなかったことを感じながら、ゆうくんがずっと一緒にいてくれたことが、心に強く響いた。


お母さんが仕事に行っているとき、しずくはひとりで寂しさを感じていた。でも、ゆうくんはいつも隣にいてくれた。ずっと甘えていたことを、今、しずくは感じていた。


その思いが心に流れ込んできた。


10歳のゆうくん。公園のベンチに座って、隣で泣いている女の子に初めて作ったいちご牛乳を渡すシーンが浮かんだ。


ゆうくんが言った。「ぼくが初めて作ったいちご牛乳だけど、飲む?」


その女の子は、ゆうくんからいちご牛乳を受け取り、一口飲んで笑顔で言った。「初めて飲んだけど、美味しいよ!」


ああ、この女の子は花恋だ。しずくは心の中でそう思った。


ゆうくんは恥ずかしそうに笑って言った。

「初めて作ったからよかった。僕は、世界一のいちご牛乳を作って、大好きな女の子に飲んでもらって、美味しいって喜んでもらうのが夢なんだ。何度も失敗すると思うけど、僕は諦めない。」


しずくは、ああ、これが「初めてのいちご牛乳」だったんだ、と思った。

花恋には、これが特別だったんだ。


しずくは心からゆうくんのことを思った。ずっと一緒にいてくれたゆうくん。どんなときも、支えてくれていたゆうくん。


思い出が次々と流れ込んでくる。しずくの心に響く、ゆうくんの心の中にある優しさ、愛情。


そして、これまでの思い出の中で、ゆうくんがどんな気持ちでいたのか、しずくはだんだんと理解し始めた。


思いは共鳴している。なら、いちご牛乳に私の思いが届くはずだ。私は何のためにいちご牛乳を飲んでいるのか、改めて強く感じた。


ゆうくんに喜んでもらうためだ。


だから、ここで満足してちゃダメだと思った。私の思いを、もっとしっかりと伝えたい。その思いを、ゆうくんに届かせたくて。


その瞬間、しずくの中に現れたのは、巨大なガラス器の中に入ったいちご牛乳。


しずくはそのいちご牛乳を見つめ、心の中で感じた。これは、全部私に飲んでもらいたいんだ、と。


うん、わかったよ。ゆうくん。


私は、全てを受け入れたくなった。限界まで飲んで、ゆうくんの思いに私の思いが負けないことを証明するよ。

---


どうやって飲もうかと考えていると、目の前にグラスがふわりと現れた。200ミリリットルほどのいちご牛乳が静かに波打ち、その表面がきらきらと光を反射している。


「ああ、いちご牛乳の方が準備してくれるんだね。」


自然と口元が緩む。せっかくだし、いろんな飲み方を試して、楽しんでみよう。


しずくはグラスを手に取り、ゆっくりと傾けながら中身を見つめた。淡いピンク色の液体がゆるやかに揺れ、その動きが波紋のように広がる。ほんのりとした甘い香りがふわりと鼻をくすぐり、彼女は少し目を細めた。


「綺麗……。」


まるで、いちご牛乳そのものが語りかけてくるような感覚。しずくは、グラスの中で渦を巻く液体をそっと揺らし、その色の濃淡が変わるのをじっと見つめた。


静かにグラスを持ち上げると、より濃厚ないちごの香りが広がる。喉の奥でわずかに感じる苦みと甘さの混ざった香りに、彼女は軽く息を呑んだ。


「……いただきます。」


そっと唇をグラスに寄せる。そして、迷いなく一口。


舌に触れた瞬間、まろやかな甘みとコクが広がる。口の中を滑らかに流れる感覚に、しずくは思わず目を閉じた。わずかに感じる苦みが、まるで余韻のように後を引く。それでも、今のしずくにとって、それは不快なものではなく、むしろ心を落ち着かせるものだった。


ゆっくりと味わいながら、一気にグラスを飲み干す。喉を通るたびに、体の奥に染み渡っていく感覚が心地よかった。


「……ふぅ。」


飲み終えた後、しずくは満足そうに息を吐いた。グラスをそっと置くと、次はどうやって楽しもうかと考える。


「次は……?」


そうつぶやくと、突然、ゼリーがポンポンとグラスの中に生まれていった。小さな塊が跳ねるようにいちご牛乳の中に落ち、まるで魔法のように鮮やかに輝いた。


「わぁ……!すごい!」


しずくの目が輝く。次々と生まれるゼリーは、いちご牛乳のピンク色と絡み合い、幻想的な光景を作り出していた。


スプーンをそっと差し込み、一口すくう。ゼリーは柔らかくも弾力があり、すぐにぷるんと形を変える。口に含むと、ひんやりとした冷たさとともに、ゼリーの中に閉じ込められていた濃厚な味わいが広がった。


「ん……すごく濃い……でも、美味しい。」


ゼリーの独特の弾力と、舌にまとわりつく感触。ぷちゅっとした食感のあと、じわっと溢れ出す甘さと、わずかに感じる苦み。その組み合わせが、しずくの舌の上で広がっていく。


スプーンですくったゼリーを慎重に舌で潰す。ぷちゅっ……とした感触が心地よく、口の中いっぱいに広がるいちご牛乳の風味が、しずくの心を満たしていった。


「……こんなにたくさん食べられるなんて、嬉しいな。」


幸せそうに微笑みながら、しずくはゼリーを堪能する。次々と口に運び、その味わいを存分に楽しんだ。


けれど——。


「……お腹いっぱいかも。」


---


そして、限界を感じてから、どれくらいの時間が経っただろうか。


しずくはふと、自分の体の変化に気づいた。

どれだけ時間が経っても、お腹が空かない。まるで、体が何かを消化する必要すらなくなったような——。


「もしかして、消化されないのかな……?」


小さくつぶやきながら、しずくは考え込んだ。

これまでなら、時間が経てば空腹を感じるはずなのに。


どうすればいいんだろう——そう思ったのも束の間。


突然、目の前の器から ポポポポポ という音とともに、ゼリーの塊が生まれ始めた。

まるで生き物のように蠢きながら、それらは次々と合体し、しずくの目の前で巨大なゼリーへと変わっていく。


「うわっ……!」


思わず後ずさる。

ゼリーは強い匂いを放ち、粘り気のある表面が とろり と揺れながら、しずくの体にスリスリとまとわりついてきた。


「これ……もしかして、ゆうくんの思い?」


そう思った瞬間、しずくははっとした。

さっき、いちご牛乳が体の中に流れ込んできたとき——その味や香りの奥に、ゆうくんの気持ちが確かに感じられた。


「そういうことか……。」


しずくは、目の前のゼリーをそっと抱きしめた。

その感触は不安定で、心地いいとは言い難い。むしろ、強すぎる想いに圧倒されるような感覚だった。


でも——


「大丈夫、よしよし……。」


しずくは、ゼリーの表面をそっと撫でる。

強く求められていることが分かるからこそ、しずくはその存在を しっかりと 受け止めた。


「全部を受け入れてほしいんだよね。」


その瞬間、しずくの中で 何かが繋がった。

これまで飲んできたいちご牛乳、受け取ってきた想い、重なり合う感情——


「……私の中で、一緒にいたいんだね。」


しずくの目が潤む。

この気持ちが、ただの飲み物や味の問題じゃないことを、彼女はようやく 理解 した。


しずくは、ゼリーをさらに胸に押し付ける。

まるで、ゆうくんの温もりそのものを抱きしめるように——。


「大丈夫。私、決めたんだから。」


すべてを受け入れるって。



---


——しずくは願った。


いちご牛乳よ、私の中に溶け込んで。

もっと深く、私の一部になって——。


すると、ふわりと光が弾けるように、大きな注射器が目の前に現れた。

驚く間もなく、その針が そっと しずくの腕へと伸びていく。


——いちご牛乳が、私の血液になる。


針の先から、ゆっくりと血が抜き取られ、その代わりに濃厚ないちご牛乳が注ぎ込まれていく。

赤かったはずの血が、次第にピンク色へと変わっていくのを感じる。


「……あぁ。」


しずくは、うっとりと目を閉じた。

体のすみずみまで、ゆうくんのいちご牛乳が行き渡る。


——今、本当の意味で、ゆうくんの想いで生きることになるんだ。


その事実が、たまらなく 嬉しかった。


「私、世界で一番幸せな女の子だよ……。」


すべてが終わったとき——


しずくの体から、かすかに いちご牛乳の香り が漂っていた。


「……ふふっ。」


なんだか、少し くすぐったい 気持ち。

でも 誇らしい 気持ち。


もしも血液検査をしたら、きっと驚かれるんだろうな。どろりとしたピンク色の液体を見て、 これは何? って。


想像すると、恥ずかしくもあり、でも、やっぱり 嬉しくもある。


「……これで、終わりだね。」


しずくはそっと目を閉じ、深く息を吸い込んだ。

身体の奥まで満ちていく ゆうくんの想い を感じながら——。


「全部、受け取ったよ。ゆうくん。」

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