自立への促し

二人の絶句する顔を見るのは辛い。

「えっと......どういう意味でしょうか」

母親が戸惑いを隠さずに聞いた。

「これまでご夫婦の問題にカオリちゃんが苦しんできました。それはお二人が問題にちゃんと向かい合わないで、まるでないもののようにしてきたからです。それをカオリちゃんがなんとかしたいって、全身で表現してくれたんです。でも、今、少しずつご夫婦で問題に向き合う準備ができてきていると思います。だから......カオリちゃんにそのことを伝えて、カオリちゃんは自分のためにエネルギーを使えるようにしてあげませんか」

「そんな......」今度はカオリが口を開いた。「私は、別に負担だなんて思ってません。お父さんとお母さんが一生懸命私を育ててくれました。私はなんにもしていません。私の方が甘えてばっかりなんです」

カオリの言葉には怒りとも取れる力を感じる。


前々回、自分の役割が家族を再生させることという認識をさせ、けしかけたのは私だ。それをカオリは自分の使命として受け止めた。まさに生き甲斐を与えてしまったのである。それを今更やめろという私に怒りがわくのも仕方がない。

しかし、私が想定していたのは、父親に責められている母親の心の痛みを、カウンセリングの中でリゾネイティングで癒していくということだった。

だが、その後のカオリは想定外に動き始めた。リスカのことを自ら母親に伝え、父親もカウンセリングに連れ出した。更に母親自身の希死念慮や自傷歴も明らかになった。そんな傷まで癒そうというのは、中学生のカオリに負わせていい責任の範疇を超えている。


「カオリちゃん、本当に、本当にごめんなさい。僕がカオリちゃんにお母さんを助けようって言い出したんです。でもね、今のカオリちゃん、すごくランナーズハイ状態になってると思うの。本当に頑張ってくれてる。でも、カオリちゃんが気づいていないところで、凄く負担がかかっていると思うの。その負担の揺り返しは、必ず来ます。そのときにカオリちゃんがもっと傷つくのを僕は止めないといけないんです」

しかしカオリは納得がいかない様子で、「そんなの大丈夫です。私は全然平気です!」と反論する。



「カオリ......」

それまで静かに座って私の話を聞いていた母親だったが、カオリの腕に静かに手を置くと、食い下がるカオリを制するように言った。

「本当に......強くなったね」

その表情は力なく微笑んでいる。

その微笑みの意味をカオリは理解できないでいるのか、どう反応して良いか分からない様子だ。

戸惑っているカオリを横目に、母親は、すぐに真剣な顔に戻り私の方に視線を向けた。

「ありがとうございます。今、鈴木さんに言われて、私もスッキリしました。知らない内に、私たち夫婦がこの子に甘え過ぎていたんですね。これからは夫婦の問題は夫婦でしっかりと話し合って、」

「お母さん!」

「カオリには......自分の人生を生きさせてあげられるようにしたいと思います。そうできるように、これからもサポートしてもらえますか?」

「お母さん、ご立派です。今の決意表明、確かに受け取りました。カオリちゃんが今まで全力で訴えてくれていた山野さんご夫婦の問題、ちゃんと向き合って、本当に納得のいく落としどころを見つけられるよう、私も誠心誠意お手伝いさせてください」

そして、私は隣で納得がいっていない表情のカオリに顔を向けた。

「カオリちゃん、怒ってますね。もっと怒っていいですよ。ここで、私に向かってもっと怒ってください。もっと怒って......そして、この部屋を出る前に深呼吸して、出た後はリセットしていきましょう」


「もういいです。お母さんがいいって言うなら、もういいです。でも、今度お父さんがお母さんに怒ったら、お父さんの目の前でリスカしてやります!」

本気とも冗談とも取れる口調に反応に困ってしまう私だったが、そこは母親が言った。

「そうならないように、お母さんも頑張るね」


その後、残りの時間は三人で呼吸合わせをして、グラウンディングの時間を取った。胸式呼吸を意識しながら心のつながりを感じてもらうことで、カオリのやや過剰に優位に働いていそうな交感神経を鎮静化させることを狙ったグラウンディングだ。


時間になり今後の見通しを話す中で、週末に会う約束をしている父親の話題になった。父親とのカウンセリングで夫婦の問題に向き合うことができるように父親に提案してみること、その過程で、今日のセッションで話した内容を父親に話すことの許可を得た。


最後に料金をお支払いいただくときに、隣にいるカオリにむけて、「そう言えば、今日みたいなセッションすると喉渇くでしょ。血糖値も下がると思うし。お茶とクッキーよかったらどう?」と勧める。すると、カオリは、さっきまでの納得のいかない感じを表面的に抑え込んだのか、気持ちが切り替わっているのか、「ありがとうございます」と言って、マスクを下げ、お茶を飲みほした。

私はクッキーを指し、「これも、よかったら帰りの車で食べてね」と伝える。するとカオリは皿の上からクッキーを手に取って母親の持っているカバンにしまった。



二人を見送ると、いつものように記録に取りかかる。

終わったばかりの面接を振り返ると、いろいろな反省点が浮かび上がる。

やはりカオリが少し躁的に動いていることに懸念を感じる。エネルギーが低下していた時に比べると、回復してきた、強くなった、成長したなどの言葉を思い浮かべるが、この時期に動き過ぎると、また大きく躓いてしまう危険性がある。その意味で無理はさせたくない。

そして、私がカオリの動きを抑えようとしたことにはカオリの状態を危惧してということの他に、もう一つ理由がある。カオリはこれまでずっと両親の冷戦の中、エネルギーを削られてきた。それを仕方のないものとして受け入れ、ずっと耐えてきたのだ。ところが、私とのカウンセリングの中で、自分が頑張れば両親は変えられると思うようになった。それ自体は本当にカオリの成長だ。単に与えられた環境に耐えるだけでなく、自から環境を変えようという主体性が出てきたことには心から頭が下がる。

しかし、両親に気づきを与えるだけで、カオリの役割としては十分だ。両親の不仲の責任はカオリが負うのではなく、両親に返さなくてはならない。カオリがエネルギーを使うべきは自分を癒し、自分の人生を進むためであり、両親のためであるべきではない。

しかし、そのためには夫婦のセッションを入れるべきか、カオリ、母親、父親個別で面接していくべきか......


アセスメント

・カオリに主体性が出てきてたが、躁的な様子も見られる。一時的なものなのか、今後継続するのかは要注意。

・母親がカオリに対する親の責任を自覚し、自分たちで解決すると宣言したのは物凄い変化。


方針

・カオリの主体性を尊重しつつ、両親の問題から切り離して、自分の人生に関心を持てるように援助する。

・両親に関しては夫婦ともに、お互いの関係の問題に向き合うことができるよう援助する。

・今後の面接構造について、3人に提案して改めて作り直す。父親の様子によっては夫婦面接は頭に置いておく。


このように書きつつも、私にも迷いがある。今回の面接では特に、主導権を母親かカオリに取ってもらいたかったが、結局父親の面接についてや、カオリを問題から切り離すことについて、私が主導してしまった。本来カウンセリングの方針とはクライアントから出された物を根拠に考えないといけない。しかし、今回、私が主導してしまった結果が、カオリの憮然とした表情だ。母親の健全さに救われたセッションであったと感謝するとともに、つい出しゃばってしまう自分を自戒する。

そして、更に、面接の中でのそれぞれの位置づけだ。これまでの記録には全て「父親」「母親」「カオリ」と表記してきた。しかし今後夫婦関係を援助のターゲットにしていくとするならば......。


私はアイスコーヒーの中に浮かぶ氷をグラスにぶつけるように少しグラスを揺すり、心地の良い音を楽しむと、苦みのある冷たい液体を自分の喉に流し込んだ。

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