第5話 本気の出し方を知らなかっただけ

 外から吹奏楽部の練習の音、サッカー部だか野球部だかの掛け声が聞こえてくる。休みの日の学校。狭い部室。


「天ちゃん、どうかしたん?」

「え……?」


 先輩方の反省点まとめが終わってから、風子先輩があたしに話をふる。


「いや、なんか山から戻ってきてから、様子が変やったから……」


 風子先輩は、あたしの「悶々」のことを言っているのだ。「悶々」が顔に出ていたらしい。


「うーん、その……自分でもよくわかっていないと言いますか……」

「うんうん」


 風子先輩の柔らかい相槌に背中を押されて、少しばかり気持ちを整理する。


「それで、実力差というか経験値の差というか、それを目の当たりにして、落ち込んでいるというか……。なんか調子も良くなかったし……」


 調子が良くなかった――ていうか、「ま、こんなもんかな」って感じだったのだ。インドア派都会っ子にしてはまぁ頑張った方だろ、みたいな。そりゃ昔から運動してる人と比べたってかないっこないじゃん……みたいな。


「……」


 卓美先輩は、珍しく何も言わない。


「……」


 燐先輩も、なにやら難しい顔をしているものの、声には出さない。楠木中学の先輩たちだって、本当は広瀬藍ちゃんみたいな即戦力になりそうな新人が入ってきてくれることを望んでいたのではないか。そんなことを考えてしまって、泣きそうになる。


「なぁ、いつやったか山頂で、二人で話したこと覚えてる?」


 耳元で、優しい声がする。風子先輩だ。


「はい、覚えてます」


 風子先輩と、山頂で話したこと。


「得意を伸ばして、不得意も限界まで伸ばして……っていう」

「そうそう。ウチだけやないけど、燐や卓美といっしょに学んできたこと、今日は活かせた?」


 風子先輩の問いに、ハッとする。チェックポイントにばかり気を取られて、ペース配分ができていなかった。藍ちゃんの影を気にして、次に現れる地形を意識していなかった。登山道通りに進んで、よりよい道を模索しなかった……。


「あ……あの……」

「まぁ、すぐには難しいですよ。公式だけ覚えていても、問題は解けない」


 これは燐先輩。数学で喩えるのは、なんだか燐先輩っぽくて思わず笑ってしまう。


「意識して練習せなあかんってことがわかっただけで、模擬戦やった意味はあったな」


 こちらは卓美先輩。


「はい!」

「お、元気出たみたいやな」


 風子先輩の笑顔。


 そう、ようやく「悶々」の正体がわかった。あたしはまだ、本気を出していなかったのだ。いや、負け惜しみとかじゃなく。本気の出し方がよくわかっていなかった。だから悶々としていた。本気でぶつからないと、悔しがることもできないじゃないか。


「おっしゃ、ゴールデンウィーク終わってもバリバリ練習するで~」

「おー!」




「天さん、あなたに渡しておくものがあります」


 連休明け、部室に行くと燐先輩が待ち構えていた。その後ろには卓美先輩と風子先輩。


「は、はい……」


 受け取ったのはビニル製の袋に包まれた布状の何か。


「開けてみてください」

「何ですか……?」


 袋から取り出したそれを広げる。


「……おぉ!」

「あなたのユニフォームです」


 それはライトグリーンがまぶしい速乾性素材のTシャツだった。背面には楠木中学校の校章と「KUSUNOKI」の文字が印字されている。前面首元にはチャックが付いていて開け閉めできるようになっていた。


「大会では、ユニフォームの背面で学校名がわかるようにしなければならないルールがあります」

「体操服にゼッケン付けてもええんやけど……」

「あかんあかん、そんなんダサすぎやろ」


 卓美先輩が猛烈に反対する。あたしも同意。


「というわけで、連休前に私が天さんの分を手配しておきました」


 燐先輩が眼鏡の向こうでにっこり笑う。


「修行編を終えて、天も立派な楠木オリエン部の一員になったわけやし」

「そやねぇ。天ちゃん、ちょっと着てみてや」

「はいッ!」


 あたしは喜び勇んで制服を脱ぎ、ユニフォームを身に着ける。ぴったりフィット。よくよく見てみれば、胸元に「SORA」の刺繍が入っている。


「これで、みんなおそろっちというわけや」


 見上げると、先輩たち三人がいっせいに制服を脱ぎ捨てる。


「うわお」


 先輩たちは制服の中に、すでに同じユニフォームを着こんでいた。「TAKUMI」「FUKO」「RIN」そして「SORA」。ライトグリーンのユニフォームが四人並ぶ。


「ヤバ……写真撮っていいですか?」


 あたしは感極まった末にそんなことを口走る。ふつうはお礼の言葉でも言うべきだったが。


「今撮らんでもええやろ。大会の時にしようや」


 卓美先輩が意外と冷静に言う。


「そ、そうですね……というか、わざわざこの演出のためにみなさんユニフォームの上から制服着てたんですか?」


 素朴な疑問を口にする。


「燐ちゃんがそうしようってゆうたんやで~」

「ん? そうでしたか?」


 風子先輩の告げ口に、燐先輩が目を逸らす。それを見て卓美先輩がさらに笑う。

広瀬藍ちゃんみたいな天才じゃなくて、あたしみたいな都会育ちのもやしっ子が新入生で、先輩たちは内心がっかりしているのではないかと、そんな疑念がよぎったこともあった。しかしそんなものは、今この瞬間に吹き飛んでしまう。ウジウジ考えてないで、頑張って少しでも期待に応えよう。

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