第3話 風子先輩とランチタイム

 一週間、筋肉痛の休まる日は無かった。太腿もふくらはぎもパンパンだった。何度学校をサボろうと思ったことか。しかし現実的な問題として、四月のはじめという新入生にとってのスーパー大事な時期に休んでしまうことは、クラス内で『ぼっち』になることを意味した。あんまり必死で友達をつくるつもりもなかったが、教室内で気軽におしゃべりする相手もいないというのはつらい。脚を引きずりながら学校へ行き、授業を受ける。数人の女子と仲良くなった。東京から来て、しかもオリエン部というドマイナー部に入ったあたしは、珍しがられた。


 放課後、あたしは毎回葛藤した。先輩に会いたい気持ちと、もう走りたくないという気持ち。二つの気持ちを天秤にかけ、僅差で愛が勝利してしまう。だって乙女だから。いやーもう脚動かないですってーなどと思いながら走っていると、その思いとは裏腹に、固まっていた筋肉はほぐれ、むしろ爽快に(とはいえまだ遅いが)走ることができてしまう。




 土日はオフということでゆっくり休み(ホントにゴロゴロしていた)、大阪での生活も二週目に突入した。そんな月曜日の昼休み。


「なぁなぁ、さっそく帝王寺中のオリエン部に目をつけられてるってほんま?」

「え、そんな噂になってるの?」

「新聞部にはいろんな情報が入ってくるからなぁ」

「木村先輩と向こうの部長の間に、何やら因縁があるっぽいけど」

「ほうほう……もう少し詳しくインタビューしても?」

「それ以上はあたしも知らないよ」

「うーむ……」


 新聞部期待の新星ことクラスメイトのなわて大地だいちくんと、あたしは世間話をしていた。あたしは別にしたくもなかったけど。あたしは今日も元気に筋肉痛を嗜んでいたので、自分の席に座ったまま。畷くんがちょこちょこと寄ってきて、話す。なぜか周りは空気を読んで近寄ってこない。いやそういうのじゃないからマジで。


「あ、天ちゃん。いたいた~」


 と、唐突に空気を読まないゆるふわボイスが割って入った。一年生の教室にふらふらと入ってきた二年生。林原風子先輩だった。


「風子先輩、どうしてここに?」

「たまには後輩とランチを共にしようかと思てな。お邪魔やったかな?」

「いえいえ、全然大丈夫です」

「ええと、あなたは……」


 風子先輩が畷くんの方に向き直り、畷くんは姿勢を正す。


「新聞部一年、畷大地です」

「どうも~。ウチは林原風子です。ちょっと天ちゃん貸してな?」

「は、はい!」


 そんな感じで、あたしは風子先輩に連れ去られ、弁当を持って中庭へ出た。楠木中学は給食なしのお弁当持参システムである。昼休み中であればどこで弁当を食べようが構わないことになっている。クラスで班の形に机をくっつけて……という幼稚なシステムがない点は、あたしが気に入っている楠木中の長所のひとつだ。


 二年生の教室棟と理科棟の間に挟まれた芝生の中庭。ベンチが一つ空いていた。


「じゃあ、いただきまーす」


 風子先輩はマイペースに、可愛らしい手提げかばんから弁当箱を取り出す……て、あれ? 弁当箱デカすぎじゃね?


「ていうかそれ、重箱ですよね⁉ おせち料理とか入れるやつ!」


 太腿の上にひろげた重箱は、ニーソックスとスカートの間の肌色を隠してしまう。


「そうやねん。うっかり作りすぎてしもてな」


 口ぶりからすると、風子先輩の手作りだろうか。


「うっかりて……」

「いつもは卓美が勝手に横から食べていくからちょうどええねんけど、今日は部長会議でおらんくてな。燐ちゃんも図書室かどっか行ってもうたし」

「はぁ、それで一年生のクラスまで、わざわざ」


 先輩方は仲良しなように見えるけれど、各々自由気ままなようだ。そういう気を使わない関係っていいよね。一緒じゃないとトイレにも行けないって感じのベタベタした女子友達の関係はちょっとあたしも苦手なので、なんだか安心する。


「というわけで、遠慮せず食べてな」


 あたしのお弁当(小学生の時から使っていた小さいやつ。中身は母上が作った昨晩の残り物詰め合わせ)の上に、ホウレンソウ入りの卵焼き、アスパラベーコン、山菜のおひたしが乗せられていく。


「い、いやこんなに食べれな……んまい!」


 食べれないと言おうとしながら、口に運ぶ。これがうまかった。


「家の畑で採れた野菜やからかな~。産地直送やで」


 それはまがうことなき産地直送だ。


「畑があるんですか」

「まぁ、ウチの家は大阪でもちょっと田舎にあるからなー」

「へー」

「あ、お肉も食べ?」

「んー、あんまり脂身がなくて罪悪感なくおいしい……ん? これ何の肉だろう……?」


 鶏でもなく牛でもなく豚でもない何か。


「鹿肉やで」

「鹿⁉」

「ウチの家、山も持っとるからなー」

「ほえー」

「おじいさんが山主でな、叔父さんに一人、猟師がおるんや。あんまり鹿が増えたら杉とかヒノキに傷つけよるからな」

「なるほどなるほど」

「農林業の一族なんですね」

「せやなー。せやから山には昔から慣れ親しんどったんやろなぁ」


 もしかして豪農のお嬢様なのだろうか。だって弁当が重箱だし。


「みんなのんびりしとるから、そういう遺伝なんかもしれんな」


 しゃべりながらも、箸は止まっていない。風子先輩はここでも一定のスピード、マイペースで進むのだった。


「おかずはみんな、先輩の手作りですか?」

「だいたいそうやね。ちょっとお母さんのも入っとるけど」


 風子先輩は少し照れ臭そうに言う。


「すごいです。あたしはまず、早起きができないです」


 料理もまぁ、あんまりやらないけど。


「家の人たちがみんな早起きやから、朝方の生活にならざるをえないんよ。それに、料理は好きやし」


 自分の弁当箱は空になったが、風子先輩からの供給が止まらない。


「中学生やから、だいたい何食べたって運動量でカバーできるけど、やっぱり効率よく筋肉付けたりするには、栄養バランスも考えなあかん……てい」

「うぎゃ」


 唐突に、風子先輩があたしの腿のあたりをつっつく。絶賛筋肉痛満喫中なので悲鳴が出る。


「やっぱり、筋肉痛があるんやね」

「わかっててやったんですか。ひどい……」

「ごめん、ごめん。でも筋肉痛がくるってことは、筋繊維がダメージを受けとるってことやで」

「ダメージですか。痛いですもんね」

「でもそれを修復するときに筋肉は成長するんよ」


 筋肉の成長と聞いて、例の四天王の姿が浮かぶ。広瀬藍ちゃんくらいならいいけど……


「ぶっちゃけ、あんまりマッチョにはなりたくないですねぇ」

「大丈夫、大丈夫。このくらいではならへん」


 そりゃそうか……と安心するとともに、帝王寺四天王の日々の努力に思いを馳せてしまう。ちょっとやそっとのトレーニングでは、あんなにバキバキにならないだろう。


「で、何が言いたかったかっていうと、筋肉を修復するにはタンパク質が必要やでっていうこと」


 再び鹿肉のしぐれ煮。


「ほな、また放課後な~」


 昼休み終了十分前。風子先輩と渡り廊下で別れる。


 幸福な満腹感に包まれ、午後の授業はいつの間にか終わっていた……あれ? あたし寝てた?

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