異世界(ユグドラシル)のバレンタイン
――チョコを贈る習慣? なんだ、それ?
怪訝そうな顔で私を見たアスのことを、今でも憶えている。
チョコ、そのものは
割と、簡単に食べられるのは、世界樹の恩恵があるから。カカオを加工する手間はあるが、そこは異世界。魔術でなんとかなってしまう。
過去には、薬品として重用されていたが、魔術と錬金術の進歩により、庶民から富裕層、貴族まで広く親しまれるようになったのが、チョコレートだった。少し、贅沢な嗜好品。アスも、研究の傍ら、囓っているのを見る。
適度な糖分は、効率的な思考に有用。
でも、ご飯代わりにジャンキーに摂取するのは、少し違うと思うんだ。
私は、アスのお母さんじゃないんだから、そんなこといちいち言わせないで欲しい――と、今はそれは置いておいて。
アスが知らないのなら、なお都合が良い。
チョコの製法から拘ろう。
だって、私には錬金術師の味方、メグがいるんだ。
やるなら、生チョコかな。
口の中で、溶けるような感触。そこに、ありったけの感情をつめこんで。言葉にするつもりはないけれど、ありったけの大好きを溶かしちゃえ。そう思ったら、瓦全とやる気が出た、ゲンキンな私だった。
「櫻」
「なに?」
首を傾げる。
(大袈裟すぎるよ)
そう思う。王宮で、もっと良いモノを食べているはずなのに。
でも、嬉しい。
言葉にするつもりはないけれど、
「……櫻」
もう一度、名前を呼ばれて、私ははっと我に返る。アスの顔が、先程に比べて険しい。
(もしかして、バレた?)
私は、上手く立ち振る舞っていたと思う。
貴族さん達に言われるまでもなく、わきまえていたつもりだ。大丈夫、私はちゃんと演じられていて――。
「櫻の国では、大切な人にチョコを贈るんだろう?」
「……へ?」
どうして、それを――?
見れば、エルやウィルと一緒にお茶会としゃれ込んでいたメグ。彼女が私に視線を向けたかと思えば、親指を立て、サムズアップ。
メグが余計なことを言ったんだ、これ。
「兵士や騎士、官僚にまで贈っていたのを見たが?」
「あ、あのね、アス? あれは日頃の感謝をこめた、義理チョコってヤツで――」
「奴らに義理があり、俺には義理はないということか?」
「ちが、違う――」
そういう意味じゃないから!
言えない、言えないよ。
アスに一番、美味しいものを食べて欲しくて。皆さんに実験台になってもらったなんて。
2/14に渡したのはアスだけ……って、
(そうだっ!)
ココは、
『王子~。どうやら、チョコを渡したなかに、本命がいるんだって、さ』
「エル?!」
このイタズラ妖精! 絶対に分かって言ってるでしょう?
「……本命って、どういうことなんだ?」
怖い、怖い。
「あ、あのね……?」
言えないよ。
大好きな貴方のチョコだから。一番、力を入れました……なんて。エルのバカ、本当にバカ! エルに当分、お菓子作ってあげな――。
「櫻?」
アスの双眸から、どうしてだろう。ハイライトが消えた気がした。
■■■
――王国歴2025年。
「くっ、くっ、くっ」
思い出したら、笑いが止らない。
「エル、悪い顔してるー」
チェリー姫。もといチェルは、眷属妖精のことが、よくお見通しのようで。気脈を介して、筒抜けだから、隠密行動もできやしない。それだけ、今代の聖女様は、眷属養成との相性が良すぎる。シンクロ率で言えば、櫻以上じゃないだろうか。
「もう焼き上がりですね」
今代のエリィ――エリザベッタが微笑む。
王女が、厨房に立つのもどうかと思うが。チェルは、期待されない能なし王女と揶揄されていた。本当に、バカな話だ。気脈に愛された王女こそ、世界樹に寵愛されるというのに。
「エル様、チョコを贈る習慣を作ったの、聖女・櫻様なんですよね?」
キラキラした目で、エリィもチェルも僕を見る。僕は、肯定代わりに微笑んで見せて。
この国の女の子にとって、聖女が王子にチョコを捧げた。それは、いわゆる、女子からの求愛。淑女然としながら、男子以上に勇気をもって捧げる。
その立ち振る舞いは、多くのレディーの憧れとなった。本人は
『チェルは、兄君にあげるの?』
焼き上がったチョコを見やりながら言えば、チェルはまるで不満と主張するかのように、頬を膨らます。
「あげないっ」
『じゃ、自分で食べるの?』
「違うっ」
さらに不正解だったらしい。チェルは、さらに頬を膨らませる。
「あらあら。流石のエル様も、女心までは理解できなかったんですね」
クスクス笑う。
すっかり、ふて腐れた顔をしたチェルは、ボクを見る。
「……エルにあげるの!」
『ボク?』
予想外の言葉にボクは目を大きく見開いて――どうやら、失言に次ぐ失言。今がトドメの大失態だったらしい。
不機嫌マックスな姫君にどう声をかけようか。必死に、思案するが、これといった手は思いつかなくて――あの時の櫻の気持ちが、ようやく分かった気がした、ボクだった。
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