『0能者ミナト』第一話「嫉」③

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 御蔭神道の歴史は古い。


 起源は定かでないが御蔭神道に保管されている一番古い文書『』には、飛鳥時代のころの記録がある。へんさんされたのは平安時代、いまから千年以上昔のことだ。


 続く『』『』『』の名からわかる通り、御蔭神道の歴史文書は『いろはにほへと』の順で名づけられていた。


 いろは歌は仏教の諸行無常をもとに制作された歌であり、神道の歴史をつづる文書にふさわしい名とはいえない。しかし御蔭神道は任務の性質上、仏教のとある機関と深く結びつき交わった時期があったことはたしかだ。


 彼らの任務は怪異の討伐。


 人を襲い人をらい人にあだなすものを、払い、封じ、滅す。


 もう少しいろは歌に言及するならば制作者は不明であり、候補の一つとして平安初期の僧侶であるこうぼうだいくうかいの名がある。『伊記』が記述された時期と一致するが、いまでは空海説はほとんど否定され、いろは歌はもっと後期のものと言われている。


 しかしそれでは『伊記』や『呂記』の存在がおかしくなる。ここにも奇妙な歴史のねじれがあった。


 いずれにせよ、歴史の表舞台に現れることのない御蔭神道が、歴史の検証に使われることはない。彼らはただ怪異を討伐するために存在してきた。


 故に非情とも思える判断を下すこともある。


「沙耶の命を差し出すしかあるまい」


 有無を言わせない重々しい声が響いた。声を発したのは白い頭巾で顔を隠した十数名の集団のうちの一人だ。


 薄暗い部屋の中で白頭巾の姿だけがぼんやりと浮かんで見える。


 部屋の中央で平伏している理彩子は、感情を押し殺した声で異を唱えた。


「お言葉を返すようですがカオナシ様。怪異が解き放たれたのは、沙耶のせいではありません。心ない者達が常世境を荒らしたせいなのです。このような処罰は厳しすぎます」


 クチナシの位である理彩子の口は頭巾で隠れ、声は少しくぐもっていた。


「勘違いするな。処罰ではない。我らに他の選択は許されていないのだ。相手は姿こそ卑しいが、かつては神としてあがめられた存在。我らの力をもってしても、封ずるのが精一杯なのだ」


しつのことが記されている『流記』には、かように書かれている。神座よりちし嫉なる怪異。いかなる手段をもってしても滅することかなわず。百人の御霊をもって常世の果てに封ず、と」


「百人の御霊で作り上げた封印は、山神沙耶に受け継がれた。その証である神代文字、二千四十七種二千四十七文字は巫女の右腕にある」


「わかっております。しかし山神沙耶は神降ろしができる貴重な人材です」


「そしてぬしのめいでもある。姉の忘れ形見であったな。その判断に私情は混じっておらぬと断言できるか?」


「それは……」


 理彩子は言葉をつまらせた。


「あきらめよ。我らが使命よ。封印が沙耶に譲渡されたのは不幸中の幸いであったのだ。おぬしには酷なことであるが」


 無慈悲なことを言っているのではない。しかたがないのだ。それは理彩子もよくわかっている。


 先達がいかような手段をもってしても滅することかなわず、数多あまたの犠牲を代償に封じるしかできなかった怪異だ。自分の身内を救いたいがために、幾人ものひとくうをたて、新たな封印を作るなど許されない。


「怪異を再び常世境に返さねばならぬ」


「怪異を現世に存在することを許してはならぬ」


 カオナシ様と呼ばれる白頭巾の集団はいっせいに立ち上がった。


「これにて議を終了とする」


 理彩子は唇をかみしめたままカオナシ達が立ち去るのを待った。


 やがて足音は途絶え、理彩子はおそるおそる頭を上げようとした。


「まだわしがいる」


 カオナシの一人の声がした。まったく気配がなかったことに驚き、理彩子はあわてて平伏する。


「は、はい」


おもてを上げよ」


 気配を感じ顔を上げると、ぼんやりと白い光の中に、ろうにとらわれている沙耶の姿が映った。


けがれの時期の沙耶をにえにはできぬ。あと五日か六日か。充分とは言えぬが別れを惜しむことはできよう」


 言葉のうちには優しさと、そして諦念があった。


 それを言い残すと、最後の気配も消えた。


「クチナシ様」


 二人きりになると、伏したまま沙耶は話し始める。


「このたびはまことふがいなく申し訳なく思っております。覚悟はできておりますゆえ、どうぞこの身を……」


「沙耶。私を見て」


 顔を上げた沙耶は、しばらく理彩子を見ていたが、ためらったのち、形の良い唇を小さく動かした。


「理彩姉さま」


 名で呼ばれるのは五年ぶりだった。それだけで沙耶の覚悟が伝わってきた。


 十一歳で沙耶が巫女になってから、歳の離れた姉妹のようだった二人の間に、厳格な上下関係がうまれた。沙耶は上位である理彩子を名前で気安く呼ぶことは許されず、クチナシ様と呼んだ。どんなときでも真面目な沙耶はその教えを必ず守った。


「理彩姉さま……。ごめんなさい」


 気丈に振舞っていた沙耶の頰に、一筋の涙がこぼれた。


 理彩子の心に、姉の腕に抱かれ無邪気に笑っていた幼い沙耶が浮かぶ。母親代わりに育ててくれた美しい姉が、自分に託した大切な忘れ形見。姉が死んだ日、理彩子は小さな沙耶を抱きしめて、自分がはぐくみ守ると誓った。


「あきらめないで、沙耶。なにか、まだ……」


 まだなにか助かる方法があるはず、と言いかけてやめる。


 自分には思いつかない。覚悟を決めた沙耶に根拠なき希望を与えても残酷なだけだ。


 御蔭神道がこれしかないと出した結論だ。霊力、法力、神通力、自分が信じてきたどんな力をもってしても沙耶の命は救えない。


 ならば、その枠に収まらない者に頼むしかない。


 たとえ自分の歩んできた道を否定することになっても。


 理彩子にはたった一人だけ心当たりがあった。


 その者の名はじようみなとといった。

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