第1話 騎士と巫女の日常
朝靄が薄く漂う
月の巫女だけが住まうこの地に、朝の光がゆっくりと差し込んでいく。
白い大理石でできた長い回廊を、一人の少女が静かに歩いていた。
エレナ・ルーナライト。
月の加護を受けた巫女であり、この世界に魔力を降ろす役目を持つ少女。
銀糸のような髪が朝の光を受けて輝き、深い青の瞳はどこか遠くを見つめていた。
——今日も、変わらない朝。
エレナはそう思いながら、ゆっくりと歩を進める。
毎朝の日課として、神殿で月の魔力を大地へと降ろす儀式を行う。それが巫女の役目。
だが、その務めを果たす前に、彼女はある存在を待っていた。
「巫女様、やはり早すぎます」
背後から、落ち着いた声が響く。
エレナは微笑みながら振り返った。
そこに立っていたのは、燃えるような赤髪の少女——リリア・ヴァレンティア。
彼女はエレナに仕える騎士であり、その身を捧げると誓った唯一の存在だった。
「リリア、おはよう」
「おはようございます。……ですが、私が迎えに行く前に歩き出すのは困ります」
「だって、待ちきれなかったんだもの」
エレナはくすっと笑いながら、リリアの袖を軽くつまんだ。
リリアは困ったようにため息をついたが、すぐに優しい微笑みを浮かべる。
「まったく……巫女様は油断しすぎです。私がいなければどうするのです?」
「リリアはいつもそばにいるでしょ?」
エレナはそう言って、小さく首を傾げる。
それが当然のような口ぶりに、リリアは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
——当たり前、か。
主従の関係なのだから、当然といえば当然なのかもしれない。
だが、それでも胸の奥が僅かにざわめくのを、リリアは意識の隅に押し込んだ。
「……ええ、もちろんです。巫女様の騎士ですから」
そう答えると、エレナは満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、行きましょう?」
リリアは静かに頷き、エレナの隣に並ぶ。
白亜の神殿へと向かいながら、二人はゆったりとした足取りで歩き出す。
《ルーナ・ガーデン》の中央にある月の神殿は、古くからこの地に建てられていた。
巨大な大理石の柱がそびえ立ち、天井には夜空を模した美しい装飾が施されている。
中央には祭壇があり、その上には月の宝珠が静かに輝いていた。
エレナは神殿の中央に立ち、静かに目を閉じる。
手を胸の前で組み、ゆっくりとした呼吸を整える。
「——月の加護よ、世界へと還れ」
その声とともに、エレナの体が淡い光に包まれる。
銀色の魔力が周囲に広がり、月の宝珠から光の波紋がゆっくりと大地へ降りていく。
それを、リリアは少し離れた場所で静かに見守っていた。
エレナがこうして祈りを捧げる姿を見るのは、もう何度目だろうか。
しかし、そのたびに胸の奥が熱くなるのを、彼女は否応なしに感じてしまう。
——私は、この人を守るために生きている。
それが、リリアの存在理由だった。
彼女は剣を握りしめ、エレナを見つめる。
だが、その時——。
「……っ」
エレナの体が、ふらりと傾いだ。
「巫女様!」
リリアは反射的に駆け寄り、倒れかけたエレナの体を抱きしめる。
エレナの体は、ひどく冷たかった。
「リリア……ごめんね……」
か細い声が響く。エレナの瞳が微かに揺れ、意識が遠のいていく。
リリアは唇を噛みしめながら、彼女をそっと抱きしめた。
「……大丈夫です、巫女様。私が、必ずお守りします」
——しかし、その異変は、単なる疲れではなかった。
この瞬間から、月の巫女と騎士の運命が、大きく動き出すことになる。
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