第3章 そういう戦い
1
「じゃあ、報告をしてもらいましょうか。クローチェ選別会に立候補する、四人の刺客について」
アオイの寮の部屋である。こちらもクローチェ会室と同じ格式高さと広さがあるが、違うのは家具が比較的少なめで圧迫感がなくすっきりしているところか。そこは彼女のセンスなのかもしれない。大きめのベッドに腰を下ろして、アオイは尋ねてくる。刺客とは大げさな表現だ。
その傍らに立つ困惑顔のディレッタと、正面に立つキアラ。座ってと椅子を勧められたが遠慮した。あまり彼女の言うことを聞くのも癪だ。
キアラは口を開く。
「一人目は、チェリオ・デボレ。彼の祖父の代に中級貴族から上級に成り上がったデボレ家の息子。四人の中では一番立場が低いけど、最上級貴族のアレキサンドラの目に掛かりたいだろうから手段を選ばない危険性がある。少なくとも父親はその気があるみたい」
密談会に来ていたチェリオの父親は、正に野心を絵にかいたような雰囲気で常に前のめりといった感じだった。今の放課後の時間帯になるまでに、本人をさりげなく観察にエメラルドクラスに観察しに行ったが、チャリオ自身も教室内ではかなりぞんざいな態度を取る人物のようだった。ちなみに上級貴族のクラスはエメラルド、サファイア、ダイヤと位があがるので、彼は文字通り上の下である。
「二人目はマジモ・チェルボラ。彼の家は歴代からずっと由緒正しき上級貴族だね。この辺りにいくつか領地を持っていて、徹底した管理が行き届いている。その代わり、税の徴収はしっかりやってかなり高く設定しているからチェルボラ家のせいで路頭に迷う庶民は多いみたい。それでも頑なに自分のやり方を貫く頑固者って感じかな、マジモ本人も」
眼鏡を掛けて、長い髪を結んで肩に流しているマジモは、サファイヤクラスの中では敬遠されているのかずっと一人で行動している。本人は気にもしてない様子で、食事も簡易的な栄養補助食のようなもので済ませていて自身の身の回りも効率よく回しているようだ。その機械的な振る舞いが、人を近寄りがたくさせるのだろう。だがキアラは、逆にそういうところが共感出来た。彼とは気が合うかもしれない。
「三人目。フランチェスカ・マジロ。これまでの二人と比べると、マジロ家はかなり規模の大きいって印象。下級から中級までの貴族を取り仕切っている、まあ庶民のボスって感じ。けど庶民派かと言われればそうじゃなくて、家畜を管理していて飼い慣らしているっていう方が正しいかもしれない。自分の役割を怠ったり、税を指定額きっちり納めない貴族はすぐにその爵位を容赦なく剥奪する。それで、見せしめに持っている土地や家、全財産根こそぎ搾り取って事実上社会から抹殺する。だから誰も彼女の家には逆らえない。マフィアっぽいやり方だね」
マフィアという例えにぴんと来ていないアオイとディレッタを無視してキアラは説明を続ける。そうか、こっちの裏組織は名称が違うか。
「フランチェスカ自身は、クラスでは人気者だね。自分と同じ位の人間には親しく分け隔てなく接する社交的なタイプ。でも、私みたいなスピネルクラスは徹底的に無視してるし、エメラルドとサファイアも眼中になさそう。同じダイヤクラスのアオイ先輩なら、彼女のことは知ってるでしょ」
「……まあね。あの子、表裏が激しいのよね。ダイヤクラスではいい子にしているけど、廊下で資料を運んでたスピネルクラスの子にわざとぶつかって、その資料をわざわざ踏みつけて行ったのよ。私が注意したけど素知らぬ顔してた。私には媚びてるのかよく話しかけて来るけど……ディレッタには一切挨拶してこない。私はあまり好みじゃないわね、そういうの」
思い出したのか、アオイは面白くなさそうに鼻を鳴らす。ディレッタは気に掛けて貰えたからか、少し嬉しそうにそわそわしていた。
マジロ家には、当然中級貴族であるキアラのサヴァトー家も決して安くはないみかじめ料を払っている。だから一連の騒動で火の粉が降りかかってこないか少し懸念していたが、今のところそんな気配はない。これからがどうなるかわからないけれど。
と思っていたら、そんなキアラの心中を察したようにアオイが片目を閉じる。
「心配しないで、キアラさん。あなたは私の公の許嫁なんだもの。向こうも下手に手を出せば火傷じゃ手を済まないことくらいわきまえているはず。私の傍にいれば、安全よ」
……つまり、裏切ったらやばいわよ、ということだ。この女め。キアラは舌打ちしたい気持ちを堪えて続ける。
「最後はもちろん、エリオット・アレキサンドラ。彼に関しては説明不要だよね、アオイ先輩。というか、私自身も近づく機会がなくてほとんど情報は得られなかった。相当警戒されてるのか、彼の周りには見えないところに護衛の目が光ってる。あの警戒網を掻い潜るのは容易じゃない。特に私は」
「でしょうね。彼、ああ見えてかなりの食わせ物よ。私に喧嘩を売られてあんなに余裕を見せているのも、きっと何か策があるからに決まっている。……クローチェ選抜会では、おそらく彼が一番手強いライバルになるでしょうね」
「アオイ様も、何かお考えが……?」
困り顔のディレッタに聞かれて、アオイは立ち上がる。そして胸に手を当ててもう片方の腕を広げ、宣言するが如く言い放つ。
「無論、スピネルクラスの子たち全員の信頼を勝ち取ること! 私の目的はあくまで、彼女たちの平等な教育と自由のためだもの。スピネルクラスの比重は、当たり前だけど上級貴族の三クラスと合わせても多いのよ。私たちがこうやって生きているのも、大勢の庶民に属させられている人たちが頑張ってくれているおかげ。そのことを、上で踏ん反り返ってる輩にわからせてやらないと」
確かに、エメラルドからのクラスは一つの教室で収まるような人数に対して、スピネルクラスは五つに教室分かれするほどに数が多い。当たり前だが、庶民に近い位の人種の方が数では勝るのだ。
彼、彼女らを全員味方に付ければ、勝算はあるかもしれない。だが。
「言うは易く行うは難し、とはよく言うよね。そんな簡単に、庶民がアオイ先輩に靡くかな」
「案ずるより産むが易し、とも言うわ。そこは私のカリスマ性の見せ所よ。スピネルクラスの子たちと接する機会を増やして、私が学園改革に真剣だと感じ取ってもらう。あなたたちはもう飼いならされているんじゃない。自由にどこへでも羽ばたけるんだって」
クローチェ選抜会は、最終的に全学園生徒の投票によって決まる。つまり数の多いスピネルクラスの生徒たちを味方に付ければ付けるだけ有利になると言ってもいいだろう。
理屈は通るが、キアラには机上の空論にしか思えない。
「そんなの絶対、学園側が圧力を掛けたり不正をしたりするに決まっている。私が見てきたところ、密談会に集まっていた上級貴族たちは全員現状維持派だった。いくら人望を集めようが、咲いた花は摘み取られるし出る杭は打たれるよ」
「……そこはほら。それこそあなたの真骨頂じゃない」
アオイの得意げな顔に、ハッとさせられた。こいつ、投じた一石で何羽仕留める気なのだ。
学園側の連中がアオイの邪魔をしないように、陰で密かに処理しろと言っているのだ彼女は。それこそが、彼女がキアラを雇った真の理由だ。
「……了解。ただ私を働かせるからには、しっかりやって。これでどうにもなりませんでしたじゃ困る」
「もちろんよ。目立つ仕事はこちらに任せなさい。見返り分の仕事はきっちり、こなしてもらうから」
あなたに損はさせないわ、とアオイの自信満々に言い切る。上手くいくといいけど、とキアラは少々懐疑的だった。
2
「魔法というのは、本来私達みんなの体の中に宿っている魔力を解き放つこと。魔力は大小個人差はあれど、誰にでも等しく持ち合わせているわ。私はもちろん、あなたたちだってね」
アオイは椅子に座った生徒たちを前に、教師のように振る舞いながらそう語る。ようにというか、本当に魔法の講義をしているのだ。
アオイの前にいて、真剣に耳を傾けてくれているのは当然、スピネルクラスの生徒たちである。時間は放課後、場所は中庭。今日は天気も良く過ごしやすい気候なので、アオイが貸し切りにして皆を集めたのだ。
魔法の授業は、通常スピネルクラス行われない。上級貴族以上の特権だからだ。なので、アオイ自らが教鞭を執ることにした。もちろん学園側の許可は無理矢理取らせてある。
「そして魔力を魔法に転化させるアシストをしてくれるのが、この魔具、ステラよ。ステラに魔力を注ぎ込めば、自分にふさわしい魔法を自動で選んでくれる。だから一人一つ与えられたステラで使える魔法は一種類だけ。その人だけの特別な魔法よ」
アオイが薄く暖色色に光る琥珀のようなものを手に乗せて掲げて見せる。ステラだ。スピネルクラスのみんなはつい前のめりになったり席を立ったりして夢中で覗き込んでいた。彼、彼女らは上級貴族の連中よりも勉強熱心かもしれない。アオイは苦笑する。
実際、アオイが魔法についての講義をスピネルクラスの生徒を対象に行うと打ち出した時、一人も余すことなく五教室、全学年の生徒が参加の表明をしてくれた。人数が多すぎるので、講義を受けるメンバーを日程ごとに分けなければならなかったくらいだ。もし参加人数が少なければ自ら勧誘に赴くまでと考えていたが、杞憂で終わってしまった。自分で思っていた以上に、アオイの舞踏会での宣言は効果を発揮してくれたみたいだ。
(……いえ、それ以前に。みんな、魔法のことを知りたくて、学びたくて仕方ないのよね。だってここは、魔法学校なのだから)
それなのに、魔法のことを本格的に学べるのは上級貴族以上のクラスだけ。スピネルクラスの生徒はその歴史や知識をなぞることしか許されない。これほどおかしいことがこの世にあるだろうかと、入学当初からずっとアオイは疑問を持ち続けていたのだ。
なら、私が変えてみせる。この学園の歪んだ現実を。魔法は、身分の高い者だけの特権じゃない。皆平等に扱うべき技術なのだ。
「このステラは使う人の魔力の程度を計る試用のものだから、使う魔法を定めてくれるほどの精巧な代物ではないわ。でも使い方次第では、簡単な魔法くらいなら発現することが出来るわ。──こんな風にね?」
アオイは掌でかざしたままのステラに意識を集中し、魔力を注入する。
すると琥珀に似たステラの帯びる光が青く瞬き始め、アオイの周りに一瞬で青色に発光する半透明の蝶たちが舞い始める。これが簡単だけれど魔法。
おおっ、と生徒たちが感心した声が上げる。新鮮な反応が、ちょっと楽しい。
「ふふっ、結構素敵よね。では、みんなに一つずつ同じものを貸し出すわ。みんな、お手元のステラに自分の魔力を注いでみて。こつは、掌に置いたステラが自分の一部だと思い込むこと。血が体を巡るように、魔力の流れをイメージしてみて」
ディレッタが今アオイが手にしているのと同じ琥珀のステラを、座っている生徒たちに配る。アオイが個人で用意させたものだ。エレジアルナ家の財力に頼らずとも、これくらいは買い揃えることが出来た。
皆、一様に物珍しそうに渡された試用ステラを物珍しげに眺めている。これすらも、スピネルクラスの子達は触れさせてさえもらえていないのか。その格差に、アオイは愕然としそれ以上に燃え上がる思いだった。やはりこの学園には大々的な改革が必要だ。
「魔力上手く注ぎ込めたら、ステラがそれに応えて光ってくれるわ。目を閉じて、イメージを膨らませて。……そう、みんな様になっているわ。上手よ。わあ、もう光った人がいるわ。いいセンスね」
アオイに言われた通りの仕草で、皆がステラを光らせようと実践を試みている。誰もが真摯で、一生懸命なのが伝わってきてアオイもやりがいを感じる。受動的に教わる上級貴族たちの授業より、自ら率先して取り組む能動的なこの子たちの方がずっとステラを使った魔法の上達は速そうだ。事実、時間に差はあれどアオイの最低限の教えだけでもう全員がステラに光を宿らせていた。
「すごい! 本当に光った!」
「これって、私達の魔力がステラに届いたってことだよね!」
「やった! 俺達って才能あるのかも!」
わいわいと賑やかにやりとりするステラクラスの面々は、お互いを認め合いつつ楽しそうに交流している。魔法なんて使えて当然、私の方が更にポテンシャルを秘めていると澄ましてばかりの上級クラスの様子と比べると天と地ほどの空気の差だ。無論、アオイはこういう授業を望んでいた。お互いに学び、交流し、高め合う。それこそが、教養というものだ。
「わっ! ボヴェルナさんのステラ、ひと際強く光ってる! こんなに光るものなの……⁉」
ふと上がった声にアオイが目を向けると、カヤが皆の注目を集めていた。戸惑う彼女の手元にある他の人達と同じはずのステラは、目映いほどの光を讃えていた。ざわつく周りに対し、カヤ本人が一番驚き慄いている。アオイも試用のはずのステラがあそこまでの反応をするのは初めて見た。
「やっぱりボヴェルナさん、さすがアオイ様の……」
他意はなかったのだろう。そう口走った生徒の一人が慌てて口を噤んだ。それを耳にしてしまったらしいカヤが、尚更肩身が狭そうに縮こまり耳まで赤らめて俯いてしまう。周りもそわそわと硬直気味の空気になった。
さすがにこれは介入しなければならないか。そう考えてアオイが手を叩いて自分の方に注視させようとした時だった。
「ボヴェルナさんすごいね! コツとかある? よかったら私たちに教えてよ!」
別の生徒が、あえて明るい声を出してその場の硬直を解いた。それを皮切りに、カヤの周りに「教えて教えてー!」と生徒たちが集まっていく。積極的だが友好的な親交に、カヤは困ったようにしていたが満更でもなさそうにぎこちない笑みを浮かべていた。
「と、特別なことはしてない、けど……。目を閉じて、掌に乗せたステラに強く集中するっていうか……」
「よし、やってみようぜ! うぉおーん……っ。どうだ、さっきより光ってるんじゃね?」
「あんた、それ全然変わってないってば」
「ボヴェルナさん、私達と同時にやってみようよ。いい?」
カヤの周りが、あっという間に温かな賑わいに満ちていく。カヤ自身も、その一環になって上手く調和していた。
思わずアオイは笑みをこぼしてしまう。自分の助力なんていらなかったみたいだ。
(……この子たちなら。きっとこの学園に新しい風をもたらしてくれるわ。私一人で奮起する必要も、なかったかもしれないわね)
彼、彼女らは。守られるだけの存在じゃない。手を取り合ってお互いを高め合っていく強さがある。ひたすらに唯一の頂を目指し、他人を踏み台にしてでも孤高を求める上級貴族の生徒たちとは明確な違いだ。
自分が彼、彼女らの味方になるだけじゃなく、彼、彼女らがその団結力を駆使して味方になってくれたのなら。きっととても心強いことだろう。
本当は少しだけ自信がなかったが、これならもしかしたら。自分の理想への活路が開けていくかもしれない。これから迎えるクローチェ選抜会。アオイはより一層、決意と身を引き締める想いだった。
(……あの子も。ちゃんと仕事をしてくれているみたいね)
ふと、アオイの意識に届く、キアラの気配。どうやら彼女も見えないところで動き出したようだ。
やはり敵も、隠密にこちらの妨害をもくろみ始めているみたいだ。あの子をこちら側に引き込んだのは、やはり間違いではなかった。
(……負けないわよ)
スピネルクラスのみんなには、他のクラスにはない団結力がある。みんながもし自分を信じてくれるなら、先陣を切って進む他ない。何があろうと、輝かしいこの子たちの未来のためにも。
アオイはぎゅっと手を握り、ステラの講義の続きに集中することにする。
3
「ほ、本当にやるのか……? いくら何でもやりすぎな気がするが……」
「や、やるしかねぇだろ……ッ。上級貴族の連中はエレジアルナの娘のやることが疎ましいんだろ? 大体、今の庶民貴族のガキどもが優遇されるのは面白くねぇだろうが。ガキには苦労を買わせてやんねぇとな。やりとげたら、報酬をたんまりもらえる。それで俺たちも成り上がれるんだッ」
潜めた声で話し合いながら、明らかに人目を忍んで怪しい動きをしている男性が二人。学園の用務員の服を着て、タグまでぶら下げている。清掃用のカートを一人が引いているが、もう片方の方はモップも清掃用の道具を収納するベルトも携えていない。
どちらもキャップを目深に被っているが、その相貌は学園の職員リストにもないものだった。
「……よし、ここだな。お前もそろそろ覚悟を決めろ。今ならガキどもは出払っていて見られるわけがねぇ。エレジアルナの娘のありがたい魔法講義のおかげでな」
「……くそ。そうだな。やっちまおう。これで金が手に入るなら安い仕事だ」
男たちが向かった先は、スピネルクラスの生徒たちが住まう寮だった。エメラルド以上の上級貴族の寮とは明らかに外観が古ぼけていて、質素な木造作りだ。修繕の跡もいくつか見られて、長らく改築されていないのが見て取れる。
寮の建物の陰の方にやってきた男たちは、布で覆い尽くされている清掃ワゴンから何かを取り出し始めた。大量の小瓶に入れられた液体と、あれは火を着ける道具だろうか。それだけで、男たちがこの寮に対し何を行おうとしているかは明白だった。
「く、くく……こんだけのボロ屋なら、盛大に燃え上がるだろうな。まあ、ちょっとした火事でも構わないって言われてる。火を着けたら、俺たちの仕事は終わりだ。おい、イディオやるぞ。……イディオ?」
呼びかけながら不審そうに振り向いた男のどてっぱらに、キアラはすかさず駆け寄って拳を叩き込む。「ごぶッ!」と鈍い呻きを発した彼をすかさず蹴って仰向けにした。ちなみに相棒のイディオという男は、軽い脳震盪を起こして訳も分からないまま後ろで横たわっている。両手両足、拘束済みだ。
「誰に雇われた?」
キアラは立ったまま、今倒した男に問いただす。逆光になっているから、こちらの顔はよく見えないはずだ。いや、意識が朦朧としていて視界もぼやけているだろう。
「な、何だお前は……っ。お、俺たちはここの用務員だッ。何もしていない……!」
「職員リストにお前らの名前はないよ、ロッコ・ラドロさん。それに、さっきの一連の動作も火を着けるって会話も撮り収めている。こっちの世界の魔具も、記憶媒体としては優秀だね。言い逃れは出来ないよ、放火未遂犯さん」
──もう一回、問う。誰に雇われた? キアラの鋭い眼光だけが透けたのか、ロッコという実行犯は途端に怯えだした。
「し、知らない……ッ。俺たちは何も! ただやれって言われただけで……ッ」
男の答えに、キアラはため息をつく。そして男の顔に、べちゃりと少し重みのあるものを落とした。
濡れた厚手の布切れだ。男の顔をすっぽり覆ったそれに、キアラはジョウロから勢いよく水を注ぎ込む。「ごぼぼぼっ」と男が溺れたような声を出して顔のタオルを引き剥がそうとしたが、すかさずその手を蹴って防ぐ。
しゃがんでタオルを取ってやり、荒くひゅーひゅーと息をつく男に再び問いただす。
「誰に、雇われた。これはゲーム。間違った答えを出したら、また同じ罰が下される。安心して。お仲間も同じことして、ちゃんと答え合わせするから」
「や、や、やめろ……い、言ったら、今度はこっちの家が燃やされちまう……っ。家族がいるんだ……ッ。金が必要なんだ……ッ」
「ブー、外れ」
キアラはまたぐっしょりと水を吸ったタオルを男の顔に押し当て、ジョウロの水をぶちまける。必死にもがく男はこちらの腕を掴もうとしてきたので、手首を思い切り捻り上げてやった。
タオルを取り、息絶え絶えで意識も途絶えかけている男に問う。
「誰に雇われた」
「はぁー……はぁっ……。言う、言うから……っ。俺たちを、雇ったのは……ッ」
「おい、何をしているッ⁉」
声を掛けられて、キアラは男を視界に捉えたまま振り返る。思った通り、ディレッタがこちらに向かって駆け寄ってくるところだった。
「放火実行犯を捕まえて、主犯格の尋問をしていたところ。何か問題?」
「明らかに拷問だろうッ! 証拠を捉えて、学園の警備に引き渡すだけだったはずだ。ここまでしろなんて言っていない!」
「それじゃぬるい。こいつらはただの下請け、トカゲの尻尾。トカゲ本体を今のうちに潰しておかないと厄介なことになる」
「余計なことはするなッ! この人たちを殺すつもりかッ!」
「必要なら」
キアラが食い気味に答えると、ディレッタがかっと目を見開いて制服の胸倉を掴んでくる。
「ふざけるなッ! あの人の名を血で汚すことは許されない! いや、私が許さない!」
「……悪いけど。正義の味方ごっこなら他でやって興味ない。わかってる? これはそういう戦いなんだよ。やらなきゃやられる。それだけ」
「それでも……っ」
こちらを睨むディレッタの目に迷いが浮かぶ。胸倉を掴む腕を振りほどこうとした時だった。
「そうだよぉ? そういう戦いってこと。だから仲間割れなんてしている余裕なんかないと思うけど( *´艸`)」
別の声。しかも至近距離。いつの間に。
キアラが声の方向に顔を向けた瞬間、人影が目前に迫っていた。鈍い光を走らせたのはおそらくナイフ。咄嗟に突き出した手でそれを振ろうとした手を弾く。
すると向こうは身を翻して蹴りを放つ。キアラは身を引いて避け、すかさずカウンターの回し蹴り。だがぴょんと飛び上がった相手にかわされてしまった。獣のように身軽な奴だ。
「……へえ、やるじゃん。あたしの奇襲に対応するとか。あの女の許嫁にしては随分物騒だねぇ、キアラ・サヴァトーさん( `ー´)ノ」
距離を取って話しかけてきたそいつの姿をじっくり観察できた。
キアラたちと同じ制服。だがリボンの色が青と違うので、おそらく上級生だ。そしてブレザーの胸に刺繍された紋章で、上級貴族クラスだとわかる。サファイアだ。
だが何より目を引くのは、その顔に装着している仮面。蜘蛛を模しているらしく黒を基調としたそれに四つ、赤い目が付いている。ロングボブの黒い髪は艶めいていて、それがより一層蜘蛛らしさを助長しているように見えた。
声の感じと体格から、おそらくは女。だが、妙だ。こいつが喋るたびに、どんな表情を浮かべているか伝わってくるのだ。声の調子だけじゃない。仮面で覆われているはずの感情がわかる。妙な感覚だった。
「……どうも。あなたも同じ雇い主の刺客ってわけ」
「まぁねぃ。こいつらが余計なことしないようにってお目付け役。でも楽しそうなことしてたから、つい出て来ちゃった(*^。^*)」
見た目と声の異質さも相まって妙な奴だ。てっきりこっちを仕留めに来たのかと思ったが、ただ単にちょっかいを出しに来ただけかもしれない。感情はわかるが行動が予想できない。こういう輩が一番やりづらい。
彼女の顔が、横たわっている男たちに向く。
「君たちぃ。あんま変なこと口走んないようにね。見張ってるから。家族と死体安置所でご対面したくないっしょ?<(`^´)>」
女に釘を刺されて、男たちはあからさまに怯えた様子を見せる。これはもう口を割りそうにない。強硬手段も、ディレッタが止めに入るだろう。面倒なことだ。
なら、こいつに聞いた方が早そうだ。
「その人たちにもう用はないよ、あなたがいるから。誰に雇われてる?」
「もぉ、せっかちさん。教えてあげなーい。だって今バラしちゃったらつまんないじゃーん。だから後々のお楽しみってことで、ヨロシク('ω')ノ」
「サプライズはする方のエゴ。私は嫌いだから、今すぐ教えて」
「やーだよっ。どっちみち、もう時間ないんじゃない?"(-""-)"」
女が顎をしゃくって見せる。少し離れた方角から足音が複数近づいて来ているのがわかる。どうやら学園の警備が来ているようだ。ディレッタが呼んだのだろう。女はそのことがわかっていた。こっちに口を割らせないための時間稼ぎだったわけだ。
「じゃあまたねぇ、キアラ・サヴァトーさん。次はちゃんと楽しもうね。マジの殺し合い(#^.^#)」
女が止める間もなく高く飛び上がってどこかに木々の隙間に姿を消した。驚異的な身体能力。あれもステラの力だろうか。興味深い。
「……ディレッタ先輩。後処理よろしく。面倒だから、私も消える」
「あ、おい!」
まだ状況把握できていないディレッタにそう告げて、キアラもその場を離れようとする。彼女の傍をすれ違う時、囁いた。
「あなたたちのやり方を貫くのは勝手だけど。私に強制しないで。生易しいことをして、自分の主を危険に晒すことになっても。後悔しないでね、ディレッタ先輩」
キアラは木陰へと離れていく。後ろから迷ったように悔しそうな、「……余計なお世話だ」というディレッタの呟きが微かに聞こえてきた。
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