第28話 日本酒
まぁリルの反応は想定外でしたが。さっさと主目的を達成することにしましょう。
主目的。それはもちろんマホウ・ショウジョであるリルにこの世界の『庶民』を見せて、いざというときに庶民のために戦ってもらえるよう仕向けること――ではありません。
私がわざわざ街まで降りてきた理由。それは、お酒を買うためです。
『……
相変わらずとは失礼な。確かに私はお酒に目がなく、少々酒乱ではありますがまだアヤネの前で乱痴気騒ぎを起こしたことはないはずです。まだ。
『酒乱である自覚があったことにビックリなのにゃ』
アヤネのツッコミを聞き逃していると行きつけの酒屋に到着。お酒の販売をしつつ店先で飲酒もできるお店です。前世で言うところの角打ちスタイルですね。
『よくもまぁそんな言葉を知っているものだにゃ。やはり酒乱なのだにゃ』
いや『角打ち』という言葉を理解しツッコミができる時点でアヤネも相当な酒飲みだと思いますが。
「おや王女様――じゃなくて、とある貧乏貴族のお嬢様。お久しぶりですね」
私が店に入ると店主さん(姉御肌な魅惑の美人さん)が気さくに声を掛けてきてくれました。そう、私は貧乏子爵家の娘。変装は完璧のようですね。
『もはや突っ込む気力もないのにゃ……』
ふっ、勝った。
何かに勝利した私はとりあえず駆けつけ三杯ということで新入荷のお酒を三種類戴くことにしました。このお店のお酒はすべて飲みましたからね。
『駆けつけ三杯ってそういう意味じゃないのにゃ。あと飲み過ぎだにゃ』
アヤネがツッコミしている間にグラスが三つ出されました。この国の基本的なお酒はワインであり(製法とか前世と違うかもしれませんが味はだいたい一緒です)、出されたお酒のうち二つがワインでしたけど、最後の一つはワインではありませんでした。
「……店主さん、これはまさか……」
「ほぅ、さすがはお姫――じゃなくてお嬢様。めざといですね。これこそ海の果てにある『竜列国』よりもたらされた『セイシュ』と呼ばれる酒なのです」
「まさか、この国で清酒を口にできる日が来ようとは……」
あぁ懐かしき日本酒。蠱惑なる日本酒。その澄み渡りはどんな宝石よりも美しく、芳醇な香りはいかな香水とて再現すること叶わない。その味はまさに天上の調べにして、人と神(こうぼ)が織りなす至高の芸術。今ここに――
『さっさと飲むのにゃ』
アヤネに無粋なツッコミをされてしまいました。この世界に転生して十五年、やっと出会えた日本酒だというのに。
ぷっくーっと頬を膨らませながら私はグラスを手にました。少々色が茶色い気がしますが店内が暗いせいでしょう、きっと。
なにせ久しぶりの日本酒です、細かいことを気にすることなく私は少量を口に含みました。久方の出会いを楽しむように。限られた清酒を惜しむために。
「こ、これは――」
独特の酸臭。
ヨーグルトのような香り。
日光臭。
これはまさしく……。
「――劣化してる! まっずいなこれ!?」
思わずガッツーン! とカウンターに額を打ち付けた私。こんなヤバい日本酒は久しぶりに飲んだわ! 15年ぶりの再会がこれとかひどすぎる!
『胡散臭いお姫様口調が吹っ飛んでいるのにゃ』
胡散臭いとは失礼な。正真正銘のお姫様ですことよ。
アヤネの猫髭を引っ張っていると店主さんが『あっちゃ~』と声を上げました。
「やっぱり劣化してたんですか。あたしは飲むのは初めてだから分からなかったんですよね。竜列国人の味覚が狂っている可能性もありましたし」
「店長さん、そんなものを客に出さないでください。何という鬼畜。血も涙もありません。鬼に
「おうどう? ってなんですか?」
「人としての正道から外れた行いとか、悪いこととか、そういう感じです。この場合は『私に嘘をついたのね! ひどい!』という意味です」
「嘘はついてないですね。これがセイシュであることに間違いはないですし。ただ『劣化しているかもしれない』とは言っていませんけど」
「おのれヒューマン……なんですかこれは、酒と呼ぶのも烏滸がましい。みりん、もはやみりんですよこれは!」
『日本酒が劣化してもみりんにはならないと思うのにゃ』
「そんな理屈などどうでもいいのです! 全くの別物になったのだという比喩を魂で感じてください!」
『無茶苦茶なのにゃ』
文句を言いつつもアヤネは出されたお酒の一つを飲んでいました。いつの間にか人型に変身して。この子意外と要領がいいというか何というか……。
そして。重要なのはここからです。
そう、三つ出されたお酒のうち一つを私が、一つをアヤネが飲んだのです。ならば最後の一つはリルが飲むべきでしょう流れ的に! そして酔っ払ったリルが私の肩に頭を乗せてきたりするんですよきっと!
『男子中学生並みの妄想なのだにゃ』
大事の前の小事。アヤネのことを丸っと無視した私が(今までなぜか沈黙していた)リルの方を向くと、
「…………」
ものすっごい。
リルがものすっごい顔をしていました。指で鼻をつまみ、眉はひそめられ、犬耳は逆毛立っています。
「え~っと、リル? どうしました」
「臭いです」
「え゛!?」
まさかまさかのこの私、15歳にして加齢臭が!? 私は慌てて自分の二の腕に鼻を押しつけましたが……うん、たぶんセーフです。お父様のような臭いはしません。
「いえミラカはとてもいい香りですよ。いつまでも嗅いでいたくなるような」
さらりととんでもないことを口走るリルでした。何それ恥ずかしい。犬耳っ娘は鼻も利くのですか?
「えっと、では何が臭いのですか?」
「アルコール臭いです」
「あ、はぁ、でしょうね」
だってここは酒屋さんですもの。
それでも言うほど臭くは無いと思いますが? 吸血鬼ノーズでもお酒を口元に運ぶまでアルコール臭さは気になりませんし。
「あんな臭いもの、飲めるはずがありません。鼻がひん曲がります」
「…………」
さすが犬耳少女と言いたいところですが、リルがお酒を飲めないのでは『酔っ払ったリルが見たい大☆作☆戦』が決行できないじゃないですか。なんということでしょう、まさか今孔明と称えられる私の策略を無に帰してしまうとは……リル、恐ろしい子!
『今孔明とか過大評価にもほどがあるにゃ』
「なるほど、私の器は孔明すら越えると? 孔明と並び評しては私が過小評価されてしまうと?」
『アホにゃ、アホがいるのにゃ……』
なぜか呆れられる私でした。解せぬ。じゃなくて、解せません。
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