四章02・香煙の地下礼拝堂


 地下礼拝堂の入り口に人垣ができ、静寂を重んじるはずの修道士たちがざわめいている。緊張が漂うそこに美貌の修道士が現れると、うろたえる者たちはわずかに安堵を見せた。

 修道士の模範だとされるクインシーは、最近ではジルに肩入れしすぎだと教会内で孤立している。しかしジルに関するそれさえなければと、今なお信頼を寄せる者は多かった。


「くわしい状況を説明できる者はいるだろうか?」

 クインシーが尋ねても答えは返ってこない。錯乱した者がいると、聞いていた以上の情報はなさそうだ。

 クインシーが中へ入ろうとすると入り口をふさいでいた人垣は割れ、彼と彼についてきたローブのフードを深くかぶる二人の修道士のために道を開けた。


 壮麗な装飾が随所に見られる地下礼拝堂は奥に納骨所があり、死者の霊を慰めるために存在する。吊るされた香炉から鎮魂の香煙があふれ、場を清浄な香りで満たしていた。

 燭台に立てられた蝋燭の緋色が煙の中に滲む。納骨所の扉――封廟へ続く最奥の扉は、煙に阻まれてよく見えない。


「……ジル、もう少し顔を隠した方がいい」

 クインシーが背後のジルに、周囲に聞こえない小さな声をかける。

 封廟のある方向に気をとられて顔を上げすぎていたようだ。修道士のローブを着たジルは、フードで更に深く顔を隠した。

 地下牢でクインシーが意識を奪った大柄な修道士のローブを拝借したのだ。別の修道士を気絶させて剥ぎとったローブを着ているエドガーは、ジルの隣で変装を楽しんでニヤけている。


 礼拝堂の中へ進むと、そこで若い修道士がうずくまっていた。震えながら頭を抱えていた彼は近づいてくるクインシーに気づき、死人のように青い顔を上げて後ずさる。怯えを浮かべた虚ろな目は正気ではない。

「く、来るな! 来ないでくれ!」

 裏返った声で叫び、無理に近寄ろうとすれば腕を振り回して暴れる。


「まかせろ。慣れてる」

 言うが早いか、エドガーは前に出るとためらいなく暴れる彼の腕をつかむ。流れるような動作であっという間に床にうつ伏せにさせ、後ろ手にねじり上げた。

 さすがだと思う。しかし他の修道士たちから顔が見えない位置にいるとはいえ、どう見ても軍人の動きではないか。

「え……あ……?」

 自分に何が起きたのか分からず、きょとんとしている修道士の耳にクインシーが囁く。


「封廟に入ったのか? 何を見てそれほど怯えている?」

「なに、を……」

 みるみるうちに修道士の目が見開かれた。その目から涙があふれ、体は再び激しく震えだす。

「わ、私は入ってません! あんな、恐ろしい、あんな……ダーレンが! 私は彼を見捨てて……こ、怖くて、逃げてしまった……」

「ダーレン? ダーレンが中へ入ったのか?」

「彼の……偉業を、見届けようとしたのに……」

 正気を取り戻したが、恐怖に耐え切れず呼吸もまともにできていない。カチカチと歯を鳴らし、それ以上の言葉を聞き取るのは難しい。


 ジルが視線を向けるとクインシーはうなずき、地下礼拝堂の入り口に集まる修道士たちに向き直った。

「開かずの扉を無断で開いたようだ。私が様子を見てくる。貴方たちは彼の介抱を」

「クインシーさん、その先は納骨所なんですよね?」

「封廟だ」

 その名称を聞いて動揺する修道士たちを尻目に、クインシーは近くの燭台を手に取り、香煙が漂う中を奥へと進んだ。


 封廟へ続く扉は女神の姿が彫られたレリーフの側にたたずむ。鍵の開いていた両開き扉を開き、現れたのはひんやりとした石の通路だった。明かりを持つクインシーにジルとエドガーが続くと、数人の修道士がこわごわと距離を取りながらついてくる。この先が封廟だと明かせばついてくる者はいないだろうとクインシーは考えたようだが、一部の者の好奇心には意味がなかったか。


「ジル、追い返そうか?」

「仕方がない。このまま行こう。高位聖職者に伝わる前に辿りつきたい」

 高位聖職者は彼らより妨げになりかねない。遠ざけておきたいのだ。

 通路はさほど続かず、すぐに開けた場所に出る。そこは聞いていたとおり納骨所だった。


 三つの小部屋が連なっている。あちこちに蜘蛛の巣がはり、地下礼拝堂から流れてくる香の匂いが溜まっていた。壁のくぼんだ場所に安置されているのは、古い時代の高位聖職者の遺体がおさめられた石棺。それとともに、おびただしい量の人骨が丁重に積み上げられている。古都で黒死病が蔓延した際、浄化のために遺体を焼かれた信徒の骨だという。


「あそこに」

 クインシーが蝋燭をかかげて照らした最奥の部屋に、下へ伸びる階段がひっそりと存在した。

 装飾のない無機質な石の階段は、ゆるやかに曲線を描いて下りていく。進みながら異様な空気に鳥肌が立った。下から獣の匂いが漂ってくる。それは徐々に濃くなり、クインシーとエドガーの顔にも緊張が浮かぶ。二人とも歩みは止めないが、進むことに対して忌避感を抱いているのが伝わってきた。


 地下にあった納骨所から更に二、三階分は下りただろうか。階段が途切れて出た場所は雰囲気がガラリと変わり、急に別の場所へ迷いこんだのかと思った。

「……なんだ、これ」

 エドガーが辺りを見回して呟く。

 天井も壁も剥き出しの岩盤だ。自然の洞窟のように見えるが、ところどころに人の手が掘った形跡がある。


「遺跡の一部ではないだろうか。遺跡の上に教会を建てたという噂は昔からある。発掘調査に関する文書は厳重に保管され、閲覧に制限がかけられていると」

 クインシーの言う遺跡の入り口が、ジルの視線の先に鎮座していた。朽ちた彫刻が彫られた巨大な石の扉が誘うように口を開けているそこが封廟なのか。

 扉の中が見える位置まで進むと、ジルたちは思わず足を止めた。


「まさか、こんなことになってるなんて……」

 伝え聞いていたものと違う。ついてきた修道士たちもそれを目にすると、悲鳴を上げて腰を抜かした。無理もない。地下礼拝堂で錯乱していた修道士もこれを見たのだ。

「……あれはダーレンか?」

 驚愕しながらもエドガーが見つけたのは、扉の内側にうつ伏せで倒れている修道士だ。力を振り絞り、這って外へ出ようとしている。

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