四章01・繋がれた獣(2)

 意識が地下牢へ戻ってくると時間が経過している。牢の闇に変化はないが、日が落ちた匂いが隙間風に混じっていた。

 我に返ったのは辺りが騒がしくなったからだ。牢の見張りをしている修道士たちの慌てた声が聞こえてくる。

 侵入者が現れたようだ。


 その男は修道士の制止に耳を貸さない。数人がかりで行く手を阻まれても力ずくで通る彼が圧倒的に有利だった。当然だ。異端審問官は抵抗する異端者を制圧するためにある程度の身のこなしを求められるが、相手が悪い。

 修道士を蹴散らしながら、ジルがいる牢へ近づいてくる男の正体は匂いで分かる。なぜここにいるのか。修道士相手になんてことをしているのか。意味が分からない。


 誰も行く手を阻めず、侵入者は牢の前まで辿りついて足を止める。すかさず銃声が耳をつんざいた。蝶番を撃ってためらいなく壊し、扉を蹴り破って現れたのは漆黒の軍服を着た眼帯の男――エドガーだ。

「よう、ジル。すごい格好してるな」

 おそらく見張りの修道士から拝借したランタンで彼は牢を照らし、拘束衣と鎖で椅子に縛りつけられたジルをからかう。

「……滅茶苦茶だ」

 唖然として上手く言葉が出てこない。それでもようやく声を絞り出したジルに、エドガーは悪い笑みを浮かべて見せた。


「軍刀は抜いていないぞ。怪我はさせ……たかもしれんが、鞘つきのまま殴った程度だ。あまり目くじら立てるなよ」

 品行方正とは口が裂けても言えない人だ。しかし爵位を持つ者としての責任や常識はわきまえている。武装して教会へ殴りこむなど、誰が想像できただろう。

「ここまで呆れると、何も頭に浮かばなくなるものだね……」

「呆れるんじゃなくて諦めろ。お前はもうかまうなと言ったが、俺はしつこいからな」

 ランタンを床に置いて銃をしまうと、エドガーはジルの拘束衣の分厚い革ベルトを解きはじめる。


「こんな形で教会に盾ついて、さすがに親戚筋から相当な非難を受けるだろうが。ちょうど養子を迎える手続きが終わったところだ。娘がベタ惚れして婚約者にした遠縁の男で……って、お前も面識があったな。二人の墓も任せられるし、真面目な性格だからこじれた教会との関係もなんとかなる。俺は家督を譲って首都へでも出て、第二の人生を謳歌しようじゃないか」

 長い付き合いなので分かる。本気で首都へ行くのも面白そうだと思っている顔だ。

「前々から貿易に興味があったんだ」

 晴れやかに言うのでジルは何も言えず、獣用の口輪をはめられた口からは溜め息が漏れた。溜め息をつくと、今度は笑いがこみ上げてくる。


「エドガーには敵わない」

 こういう人だから、巻きこみたくないと思っていた。こういう人だから、ジルはずっと救われてきたのだ。

「封廟の場所は分かったのか? 分からなくても開かずの扉を片っ端から開ければいい。援護してやる」

「それなんだけど。封廟の場所が分かったから、実を言うと捕まったふりをしていたんだ」

 エドガーが拘束を解く手を止め、ジルの顔をしげしげと見る。


「自力で逃げ出すつもりだったのか? お前こそ滅茶苦茶じゃないか」

「エドガーに感化されたんだよ。クインシーも動いてくれている」

 捕まって教会の内部に入る案に反対していたクインシーは、折れる代わりにいくつか手を打っておきたいと言った。その中で人を傷つけすぎない行為のみ許可したのだ。

「夕餉に睡眠薬を混ぜたり」

「さらっとそういう提案が出てくるアイツ、危ないな……」

 否定はしづらい。以前、クインシーは慈善病院で長く奉仕活動をしていた。幸か不幸か、そのせいで薬の知識が少なからずあるのだ。


 エドガーと言葉を交わしながら、近づいてくる足音が聞こえていた。牢の入り口に視線を向けると、壊れた鉄扉をくぐって現れた修道士はジルと体格がそう変わらない。

「グレゴル伯爵、どうかすみやかにお引き取りを」

 エドガーが軍刀に手を伸ばしたのと同時に、大男はいきなり背後から襲われた。

 彼の鼻と口に布を強く押し当てた人物は、修道士のローブを身にまとっている。正体不明の襲撃者の手を振り払おうとしたが、彼は虚ろな目をして全身から力を失った。


「ちょっとした麻酔薬だ。そのうち目を覚ます。吐き気と頭痛が残るかもしれないが」

 崩れるように床に膝をついて倒れた大男を、襲撃者――クインシーが涼しい顔で一瞥する。彼のこういう面をはじめて目の当たりにしたエドガーは、驚くというより引いていた。

「ジル、問題が起きた。ひとつはグレゴル伯爵の侵入の件だが。我々の計画を邪魔しにきた伯爵の口車に乗せられ、今、封廟へ向かうのはよくない」

「おいジル。このペテン師、正体を現してから感じ悪いぞ。今の見たか? ためらいなく気絶させたやつ」

 聞こえていないかのようにクインシーはエドガーを無視し、もはやその青灰色の瞳にはジルしか映っていない。


「というのも、封廟へ続く扉がある地下礼拝堂に多くの修道士が集まっている」

「地下礼拝堂って、使われてないんじゃなかった?」

「使われていないそこに錯乱して手がつけられない者がいるのだ。なだめようと手をこまねく修道士たちが集まっている。同時間にふたつの騒ぎが起き、伯爵の侵入の方はまだ知れ渡っていない。このまま伯爵にはすみやかに退散してもらい、ジルはここに留まるより、牢を出て別の場所で騒ぎがおさまるまで身を隠すといいだろう」


 ダメだ。

 さっき視た光景を思い出す。開かないはずの封廟へ続く扉が開いていた。ジル以外の誰かが封廟に近づいたのだ。隠れている場合ではない。

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