第5話★縁談は死の香り①



「よく来てくれた。ベアトリーチェ」



 転生後の目標を定め、決意を新たにした騒々しい朝の後。


 

「早速だが、お前に縁談だ」



 ベアトリーチェは、スカーレット家現当主であり、スペクトラム帝国の宰相、父のダリ・スカーレットの執務室へ呼び出されていた。



 


 ちなみに、呼び出される数刻前。

 侍女が盛大に水を溢し、びしょ濡れだったベアトリーチェの部屋の入口についてだが、部屋に置かれていた《魔法の呼び鈴》を鳴らしただけで5~6人の侍女が飛んできた。


 皆、一様に顔を真っ青にしながら、凄まじい速度で掃除とベアトリーチェの着替え、朝の支度を整えると、朝食も部屋まで運んできた。



 なるほど。朝の呼び出しの時点で、主人の不機嫌を察したのだろう。言われる前に、全て終わらせようという気迫が伺える。


 そして、ベアトリーチェに仕える侍女らの顔には生気が一切感じられず、全員、死神の鎌を首に突きつけられているのではないかと疑いたくなるほどの張り詰めた空気感で、彼らの呼吸音すら満足に聞こえなかった。

 その為、支度を終えた後にありがとうと、感謝の意を述べようとしていたのだが、振り返っただけで怯えられてしまったので、ベアトリーチェはそれらの恩恵をただただ無言で受け入れるほかなかった。




 生前、大聖女として神殿にいた頃は、すべての身支度は自分で行っていた。


 早朝に起きて、朝の祈り。

 神官たちへの挨拶と現状の把握。瘴気の発生の有無。浄化が必要なポイントの確認。

 遅すぎる簡素な朝食ののちに、昼の祈り。聖水や回復薬の精製。

 夕方には各地に見回りに行ってきた聖騎士達からの報告を聞き、夕方の祈り。そして、孤児院の子供達との夕食を終えて、禊をし、寝る。


 ちなみに、これに王家の祭典などが加わると、食事抜き同然で休憩なしで動き回る羽目になる。

 神殿の運営費は、あくまで王家や貴族の寄付金で賄われていたので食事も質素だった。

 

 そのため、朝からテーブルを埋め尽くすほどの豪勢な朝食を見て、ベアトリーチェは衝撃のあまりしばらく停止してしまった。

 その間がいけなかったのだろう。その様子を「ベアトリーチェ様のお気に召さない」と受け取ったらしい侍女らは、すぐに食事を下げ、また新たに豪勢な料理を運んできた。



「……こんなにいらないわ、お前たちで食べなさい」



 さすがに食べきれる気がしなかったため、ベアトリーチェの記憶を頼りに、できるだけベアトリーチェらしく聞こえるように侍女らへ命令した。すると、命令された侍女らは、「なんたるお恵み」「私どものような下民に」「ありがとうございます」とベアトリーチェの機嫌を少しでも上げようと、青ざめた顔で笑いながら手づかみで食事を食べだしたのだ。


 嘘でしょう?

 この侍女らは、今までこんなパフォーマンスをベアトリーチェに強要されてきたのか――回顧すると、確かに記憶の中では、ベアトリーチェが「犬の様ねぇ!! 愉快だわ!!」と高笑いしていた気がするが、とてもじゃないが自分にはできない。

 白いエプロンをわざと汚しながら食べる彼女らに、ハンカチを渡そうとした時、「公爵様がお呼びです」と父付きの執事に声を掛けられ、今に至る。




「お前も18だ。見ておきなさい」



 いいつつ、スカーレット公爵が何枚かの釣書つりしょーーお見合いの履歴書りれきしょのようなものを執務机越しにベアトリーチェへと差し出した。


 

 スカーレット公爵は、引き締まった顔立ちに鋭い目。

 後ろに撫でつけた紅髪に、両端がくるんと跳ね上がったカイゼル髭が特徴的な、第一印象はまさに《悪役宰相》そのもの。


 しかし、見た目とは裏腹に彼が真面目で礼儀正しく、信頼の厚い仕事熱心な男だというのは有名な話だ。

 スカーレット家は代々優れた知能を持ち《帝国の頭脳》と象徴されるが、実際に宰相の地位まで手に入れるのは本当に実力がある者だけ。

 つまり、このスカーレット卿は自他ともに認める実力者で、まさに帝国の頭脳そのものなのだ。


 そして、その帝国の頭脳が、唯一愛する一人娘がこの《ベアトリーチェ・スカーレット》。


 踊り子だった母親とよく似た美貌の顔立ちに、公爵と同じ、いやそれ以上に鮮やかな紅髪。

 彼女が幼少期の頃は、それこそ宰相になって一番忙しかった時期であり、スカーレット公爵は仕事にかまけてベアトリーチェを放置していた負い目から、娘に対して、かなり財布のひもがゆるい上に色々と《激甘》だ。


 むしろ、ベアトリーチェの存在がスカーレット家を滅ぼすのではないかと噂されるほど、父は娘の前になると全てにおいて甘くなるので、ダリ・スカーレットに対する《麻薬》もしくは《魅了の技を使う悪魔》と密やかに噂された結果。いつの頃か、業務に支障をきたすという理由で父の職場でもある《皇宮》にも《出入り禁止》になってしまっていた。



 そんな現状を、身体に宿る記憶から把握したベアトリーチェは、「想像以上に悪女として確立された地位を築いていらっしゃいますわね」といっそ感心しながら、父ダリの差し出す釣書を受け取った。

 釣書を受け取る際、公爵の右手親指につけられた《当主の指輪》――不死鳥の刻印がされた指輪が怪しげに光っていた。

 



「――承知いたしました、さっそく拝見しても?」

「あぁ、そうしてくれると助かる」




 ベアトリーチェは、釣書の表紙を眺めたのちに、ちらりと目線だけで父を見た。



 ――通常、公爵家の結婚ならば、親同士で婚約者を定めるのが通例。

 

 いくら愛情に飢えていたとはいえ、数えきれないほどの面倒ごとをかけた娘。帝国の頭脳たる宰相が、その娘を政治戦略の駒として使うわけでもなく、娘の意思を尊重し、相手を選ばそうとしてくれるのは、自分が《恋愛結婚》だったから、なのだろうか。


 スカーレット公爵は愛妻家で、踊り子の妻を心から愛していた。

 妻の死後、後妻を娶ることもなく、ずっと独り身でいた公爵を気の毒におもった皇帝が、何人もの縁談を勧めてきたが、父が皇帝の意思に従うことはなかった。



 そんな父が誇りでもあり――ベアトリーチェは、自分も父のような恋をしたいと、様々な男を追いかけまわしていたのだ。



 でも、ごめんなさい。お父様。 

 今のわたくしは《釣書》よりも《神殿への入場許可》が欲しい。

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