9 赤いアトリエ:【陸斗】
付き合い始めて何週間か経った。僕らはアトリエで会って話すことが多く、ヒカルが僕の絵を描いたり美術の話をしている横で、誰かが作業している。布アーティストの大学生の咲子さんが、僕のために服のような衣装のようなものをデザインしてくれたり、他のアーティストとの交流も持たせてもらえてる。
ヒカルはみんなに僕と「付き合ってる」と紹介してくれた。それを一番喜んでいたのが金工アーティストの敬親さんだ。僕はすぐに、敬親さんがヒカルにとって大事な人だったことがわかった。敬親さんにはアンリというベルギー人のパートナーがいるから、ヒカルの恋は叶わなかったんだろう。ヒカルの目を見ればわかる。熱っぽいが、それは恋というよりも、尊敬のような神聖さだった。そりゃ、恋人が前に好きだった人だから、ヤキモチを妬かないわけはない。でも敬親さんがヒカルを心底弟のように大切にしてることもわかるから、僕も敬親さんを大切にしなきゃいけないんだと思って、そんな気持ちは無くした。敬親さんとは仲良しになった。
「待ってヒカル! 何これ」
僕はヒカルのスケッチブックを見ていた。
「高澤先生。似てない?」
「似てる! こういうふざけた絵も描くんだね。めちゃ上手い」
「お前ね、上手いって当たり前だろ? 描いてるの俺だよ?」
ヒカルがスケッチブックに学校の先生の似顔絵を描いて見せてくれた。そっくりでめちゃくちゃ面白かった。二人で笑い合ってヒカルが絵の説明をしてくれた。
「はいはい、お二人さん。高校生はそろそろ帰らないとだよ」
敬親さんに促されて僕らはアトリエを後にする。本当は僕らは受験生だし、放課後にこんな遊んでちゃいけないんだということもわかってる。
「ヒカル、手を繋ぎたい」
帰り道、隣に並ぶヒカルを見上げて言った
「えー? やだよ。パーソナルスペースを侵略してくるなよ」
「パーソナルスペースって! 明日は学校来てよ。起きれないのは、寝るのが遅いから?」
「朝に寝る、こともあるけど、単純に朝に弱いんだと思う」
「はぁ? 朝寝るって、起きる気ないじゃん。何してるの?」
「絵を描いてたり、あと……新しい色作ったり……」
「新しい、色?」
「濃淡とかもそうだけど、いろんな絵の具を混ぜてどんな色になるのかなって……混ぜた割合をメモしたり……水彩で。油だとアトリエじゃないとできないから、ほら絵の具がクサいとか。すげえどうでもいいことやってると時が過ぎてる。あとは音楽聴いたりしてたら朝になってる」
「音楽って。ヒカルが好きなのはうるさいバンドじゃん。夜中にあんまり大きな音で聴いたらいけないよ」
「そうなんだ」
浮世離れというか……その生活には驚いた。時間の感覚というか時間の流れ方が普通の人と違う。
「僕ら一応高三だし、進路希望も去年出したじゃん。ヒカルは美大行くの?」
「そのつもり。海外でメンバーと活動したいねとも話してる。でも美大を受験するよ。陸斗は芸術学部か何か?」
「そう。アートマネジメントの学科を目指してる。そっか、海外か。凄いな。ヒカルとかアトリエのみんなとそういう話ができるのもよかったと思ってる」
海外志向があることには少し驚いた。そしたら離れることに……? まだ先のことかな。
「でもヒカル! 学校でも勉強になるよ。だから学校来ようよ。僕にも会えるだろ」
「最低限は行くよ。お前が家にいたら起こしてくれるのになー。一家に一台、陸斗って感じ!」
「一緒に住もうか」
「……」
少し無言になった。あれ? 冗談半分、本気混じり、みたいな感じで言ってみたんだけどな。
「……お前何言ってんの!」
沈黙の後、焦った感じでヒカルが答えて、そのまま足早に帰る方向に進んだ。
「え、じゃあなんでそんなこと言ったの。僕が家にいたらって」
「ちが……。そんなつもりで言ったわけじゃ……笑って流せよ」
「ヒカルが本当にそう思ってるなら、僕も本気。ヒカルが冗談なら僕も冗談。そうするよ」
ヒカルが立ち止まった。
「お前が家にいたら……俺がダメなんだよ。こっちが本音」
僕を見ながらゆっくり話すその顔には、愛しさが現れていた。それに気づいた僕は、じんわりと胸に熱さが広がった。僕、この人に愛されてる。
「ヒカル、僕のこと好きでしょ。顔に書いてある。そういう顔してるよ、今」
「うるさいなぁ。そんなの、自分でも今どんな顔してるかわかってるよ。だから……ダメなんだよ。一緒にいると、幸せで楽しくて。……キス、したくなる」
「え〜、それはしてよー。映画見に行った日から時経ちすぎてるけど、あれから一度もキスしてくれないじゃん。てことは、僕らまだキス一回しかしてないってことだよ? もう付き合ってだいぶ経つよ」
「キスしたら、それ以上のことをしたくなるから、キスできない」
ヒカルは顔を伏せるようにそっぽを向いてしまった。それ以上のこと。それは、ああいうことだと想像がつく。僕はそんなことは構わないと思った。付き合っているなら段階を踏むのは当たり前だ。
できないと言われると、余計なモヤモヤが沸き始める。ヒカルは経験があるのだろうか。それはいつ誰となのか。想像したくない。
「帰る」
ヒカルはそう言って背を向けたが、なんとなく僕は帰してはいけない気がした。ちゃんと話さないとならないと思った。付き合っているなら、恋人ならなおさらお互いを理解していたいと思う。ヒカルの考えを知りたい。僕はこの先もずっとこの人を離したくないからだ。焦ってヒカルの腕を掴んでしまった。
「待って」
僕の声にヒカルは体ごと、こちらに向いてくれた。僕の必死な目を見てる。
「そういうことって大事なことでしょ、ちゃんと話そうよ。……このあとヒカルが大丈夫なら、お茶して話さない?」
黙って見つめ合った。何も話さない。これはどういう表情なのか。
「……うちに来る?」
しばらくの沈黙を破る言葉にドキッとしたけれど、ヒカルは何かを含んだ言い方じゃなかった。素直に話す場所を提供してくれただけだった。
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