4 ヴィーナスの身繕い:【陸斗/ヒカル】

「おはよう。電話に出てくれないかと思った。起きた?」

 十二時十五分。僕は府玻くんに電話をかけた。

「……ん……ありがと……起きた……」

 府玻くんの寝起きの声は少しガサガサしていた。それに合わせて布団の衣擦れの音が聞こえた。本当に今起きたのが分かると、少しドキドキした。

「府玻くん、今どこ?」

「布団」

「そうじゃなくって……自分の家? ひとり?」

「……は? そうだよ。何……? え……誰もいないから起こしてもらうつもりだったんだけど?」

 その言葉とともにガサッという音がした。また倒れたに違いない。

「起きて! 今絶対にまた寝たでしょ!」

「……うん」

「うん、じゃないよ。起きて顔を洗って。僕との待ち合わせ、分かってる? 結局始まる十五分前にしたんだからね。」

「はい……起きました……トイレに向かって歩いてるよ」

「よかった。じゃあ、後でね」

 ちゃんと一人で自分の家で寝てたのか。少し安心した。

 今のって僕しか知らない府玻くんだよな。そう思ったらすごく良い気分だ。僕だけが知る府玻くん。早く会いたいな。なんでかわからないけれど、僕は府玻くんを可愛いと思ったし、早く会って顔が見たくなった。

 僕は部屋から出て、リビングでテレビを見ている姉に寄った。

「姉さん、これから憧れている人と映画見に行くんだ」

「え~? 憧れって何?」

「同じクラスの府玻くん」

「男? かっこよかったら紹介して」

「かっこいいから紹介しないよ」

「なんだそれ!」

「僕のだから」

「は? 好きなの?」

「好き?」

「じゃあ陸斗が付き合えたら紹介して」

 好き……って何だろう。府玻くんを? そうだとは思ってみなかった展開だったけど、あのなんかよくわからない色気とかは、確かに変な気を引くかもしれない。

「陸斗も顔良いんだから頑張れ」

 よくわからないけど、こういうのも何の変哲もなく適当に応援してくれる姉のおおらかな性格は好きだ。姉も兄と同じく本妻の娘だけど、僕がこの家に来た時からとても可愛がってくれて、何でも姉に相談した。姉に府玻くんを見せたら恐らく飛びつきそうだ。

 この姉……一応良家のお嬢様なのに。起きてから昼まで、ほつれたTシャツと擦り切れた中学のジャージで大股開いてソファでごろ寝……。美人さんなのになぁ。

 

  ――――――――――――――――――


 俺は電話が終わって身支度を始めた。時計を見ると、出かけるまでまだ時間があった。

 ステレオの電源を入れてレコードで音楽をかける。昨日聴いてたままの盤がそのままになっていた。

 窓を開けると、四月の風が気持ちよく入ってきたが、その優しい風とは打って変わってBGMでは、「Johnny Thunders and the Heartbreakers」のアルバムが流れる。ガキガキしたギターの音と爽やかで綺麗な青空の相反するコラボをぼんやり眺めていた。ジョニー・サンダースっていつ聴いてもカッコいい。真似して襟足伸ばしたりとか、子供っぽい真似事をしてみたり。

 レコードは父親の趣味だったけど、いつの間にか俺の趣味になってる。俺は七十年代のパンクロックが好きで、アトリエのメンバーであるサクタさんやコバちゃんともそこは合致してる。メンバーが俺も一緒にフェスに連れて行ってくれるのが楽しかった。

 描きかけのクロッキーがそのままだった。何日か前に描いた花の絵だが、雑な下描きだった。ソファーには飼い猫が寝ていて、隣に座ると膝の上に乗ってきた。

「コロ太~。おなかすいた?」

 黒猫のコロ太は推定十歳の男の子で、おれが小学生の時に両親が拾った黒猫だ。うちに来て以来、俺とコロ太は親友だった。俺はコロ太のごはんを用意するため、コロ太を膝から下ろしてキッチンに向かった。

「コロ太、今日は留守番だからね。お前、一日暇だぞ」

 比留間は良いやつだと思った。昨日初めて同じクラスになった時の印象も、帰りにばったり会った時も今の電話も変わらない、愛しいヤツだ。なんだか知らないけど、俺に向かってくる意欲がすごい。あんな奴初めて会った。アンリと初めて会って俺の絵を見た時の熱量が近い。

 あれ……比留間って……下の名前なんだっけ。

 映画を見たら、アトリエに行こうかな。昨日は夕方にユニットのメンバーが集合して、アトリエの大掃除をした。すごく綺麗になったから、ほんとに暮らせると思う。「ここ住めば、敬親さんと近いな」とか言ったら全員にすごく嫌がられた。そのあと、帰り道で比留間に突撃されたんだっけ。

 アイツほんとマジで何なんだ。クオータだからなのかはわからないけど、目がぱっちり大きくて、可愛い顔をしている。二日連続で同じ映画見たいってすごい。ただ、あの映画知ってる若者ってあんまりいないから、比留間は本当に詳しいんだろう。

 比留間って、アートマネジメントやりたいんだっけ。いい作品を大事にして行く仕事をしてほしいな。

 でもあの見た目だったら、自分が表に出る側にはならないのだろうか。俺もアンリに頼まれて時々モデルの手伝いをするけど……まぁそれは敬親さんのためでもある。

 昨日、前の席にいるあの顔を見て一瞬で思ったのは、聖画の景色を比留間に見たからだ。天使のようで、聖人のようで。そんな絵を描きたくなった。俺の好きな「あの絵」のよう。似てるわけではないけど、無垢な美しさがある。

 置いたままのクロッキーと鉛筆を手にして、比留間の顔を思い出して描いてみた。なんか必死な顔ばっかりが思い出される。ガッツポーズしてたよな。何なんだろ。

 髪はやや長めだ。……なんかギャルっぽいんだよな。鼻筋は……目は二重だ。顎はシャープだった。少しそばかすがあって……と、途中まで適当に描いたが、なかなか良い感じで、我ながら可愛く描けていた。別に比留間にあげるわけじゃないけど、今日会うのが少し嬉しくなってきたし、比留間の事ばかり考えていた。

 ――て! おいおい、マジかよ。

 俺は手で顔を覆った。とてつもなく恥ずかしく思えたからだ。自分がヤバい展開になっていることに気付いた。鼓動が早くなった気がした。あの圧力に押され、負けた自分がいた。それはただ単に負けただけでない。花が茎から折れたというだけではない。何か新しいものが生まれていることに、気付いてしまった。それは、いとも簡単に起こったことに、俺は自分自身に引いていた。顔が熱い。何してんだ俺は。

 ――すぐ、会いたかった。

「俺、すげえ簡単じゃん……恥ず!」

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