第5話 二匹の猿・オブ・偏差値『測定不可』


「なんだ惚気かよ」


「たろくん、ちょっと私の気持ち返して欲しい」


「えっ?えっ?どうしたんだ二人とも!!」


「まったく心配して損したぜ。そうだ太郎、放課後メシ行くぞ。お前の奢りな。いらねぇ心配の礼だ」


「えっ?」


「私も奢って。たろくん、マジで今回はちょっとピキッときたかも」


「えっ?」


 俺は現在、訳のわからない状況に置かれていた。


 しかし、よくよく考えてみればそれも宜なるかなといったところ。


 俵馬クヌギと札幌貘。この二人は俺が妹をどのように思っているのかなど知らない。俺が妹を類人猿に近しい存在とみなしていることなど知らないのだ。


 故に、この由々しき事態にも共感が得られていない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!誤解が、誤解があるんだ!!」


「ねぇわー。幾ら自慢したいからって心配させてまですんじゃねぇよ。まぁ兄貴ならその気持ちも分かるが」


「妹くらいなら良いけどね、もし女友達とか……か、彼女とかの自慢してきたらマジでぶん殴ってたところだわ。まぁいない事知ってっけど」


「あーね」


 俺の伸ばした手も虚しく空を切り、放課後彼らにラーメンを奢ることが確定してしまった。


 何故だ、何故今日はこんなにも上手くいかないのだ。これまでの人生で一番上手くいっていない気がする。形の悪い歯車が一つ、俺の人生に追加されたような感覚を覚える。


「違うんだ……俺は、俺は」


 俺は、どうしたらいい————



「————たろくんっ!!」


 その時、唐突に教室の扉が開いた。


 つかつかつか、と俺の席まで勢いよく誰かが歩いてきた。息を弾ませているのか、その肩はやや上下している。


「おい、アレ」


「ああ、三組の美杉うつくしすぎさんだ。なんで一組に……」


「太郎だろ。アイツ、知り合いらしいし」


 周囲が俄かにザワザワし始めたので顔を上げると、そこには見知らぬ猿がいた。


 いや、猿と言っては失礼だな。俺はどうも知能の足りない他人類をそのように一括りにしてしまうきらいがある。反省しなければ。


 猿は首を傾げて、心配そうな仕草をする。本物の猿であったら褒章ものの演技である。


「大丈夫?なんか、体調悪いって聞いて飛んできたんだけど……」


「————チッ」


 心配そうな声を上げる猿の傍で、もう一匹の猿が舌打ちを見舞った。


 いや、確かその猿は俵馬クヌギだった筈である。多少、毛並みに違いあるので分かるのだ。


 クヌギザルは隣の猿に向かって眉を顰め、機嫌悪そうに言葉を吐く。


「アンタ、別のクラスまで来て何の用?てか、たろくん困ってんじゃん。勝手に話しかけに来ないでくれる?」


「————そっちこそ、他人が口を出さないでくれない?私は今、友達としてたろくんと話をしに来てるんだけど」


「なら放課後とかにしろよ。勝手に他クラスまで来て、必死アピールですか〜?

———余裕ねえんだな、お前」


 二匹の猿は傍目から見て、ばちばち火花を散らしているように見える。


 俺はその近くで、争いから目を逸らしている貘に顔を向ける。


「おい、貘。誰だアイツは。知らない奴が来たぞ」


 俺が声をかけると、小声で答えてくれる。


「はっ?いや、アレお前の知り合いだろ?三組の美杉照永うつくしすぎてなが。知り合いじゃないが、そんな俺でも知ってるレベルで有名だぜ?」


「なんでそんなに有名なんだ?」


「……はぁ、お前ほんと他人に興味ねぇよな。ほら、アイツの顔見てみろ」


「……それが?」


 貘は呆れたように首を振った。


「本当に鈍感だなお前は。いいか?あんだけ美人なら有名にならない方が嘘ってもんだろ」


「美人……」


 俺はゆっくりと、二匹の猿が争う界隈へと視線を向ける。


 そこに居るのは、やはり二匹の猿。猿に美しいもクソもあるのだろうか。強いて言うなら毛並みが綺麗だが、それくらいだろうか。


 クヌギザルにテナガザル。どっちも猿だ。人間の価値観とは合わない。


 そんな俺を憐れむように、貘は声をかけてきた。


「お前、美人を知らないなんて可哀想な奴だな」


「いや、美人がどういうものなのかは知っているぞ?」


「でも、見たことはねぇだろ?」


「見たことは————」


 そう言われてから、俺はそれまで忘れていた妹の存在を思い出してしまうのだった。


 脳が、中枢神経が、俺の全身の細胞が、が美人なのだとひっきりなしに主張してくる。


『本当に大丈夫なんすかね〜?』


「—————アァァァァァッ!!!ァァァァァ!!!!ア"ァ"ァァァ"ッ!!!!」


 俺は思わず教室を飛び出してしまった。


「太郎?!!」「「たろくん?!」」


 そのまま廊下を駆け抜けて屋上へ。


 そしてふと正気を取り戻した時には、俺は遠く離れたグラウンドに向けて、屋上の梁から一歩を踏み出そうとしていたのだった。

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