『巫女様のSNSがかわいすぎます!』~伝統女子の恋する御守り日記~
ソコニ
第1話『運命の春風』
第1話「巫女の日常」
夜明け前の境内を、凛とした足音が切り裂む。朱色の袴がさらりと揺れ、箒を持つ手には迷いのない力が込められている。古くからの作法通り、奥から表へと掃き進める姿は、まるで舞を思わせた。
佐倉琴葉は十七年の人生のほとんどを、この佐倉神社で過ごしてきた。代々続く神社の一人娘として生まれ、幼い頃から巫女としての心得を叩き込まれた。几帳面な性格は、厳格な祖母の教えもあってか、より一層磨きがかかっている。
「琴葉、掃き方が雑になっているわよ」
背後から聞こえた声に、琴葉は動きを止めた。振り返ると、祖母の千代が腕を組んで立っていた。長年神社を守ってきた威厳が、その姿から自然と滲み出ている。
「申し訳ありません」
「心を込めなさい。神様に失礼よ」
「はい」
琴葉は一度深く息を吸い、あらためて箒を握り直した。春の陽気に誘われて、少し気が緩んでいたのかもしれない。境内の隅々まで丁寧に目を配りながら、また掃き始める。
石段の上から境内を見渡すと、桜の蕾が日に日に膨らんでいるのが分かった。来週に控えた桜祭りの準備で、神社は普段以上に忙しい。それでも琴葉は、日課である境内の掃除を疎かにするわけにはいかない。
「琴葉、掃除が終わったら、御守りの準備をお願いするわ」
「承知しました」
祖母の背中を見送りながら、琴葉は何となく空を見上げた。淡いピンク色に染まり始めた春の空に、小さな雲が流れている。風に乗って、どこからともなく梅の香りが漂ってきた。
境内の掃除を終えた琴葉は、社務所で御守りの仕分けに取り掛かった。桜祭りには、近郊から大勢の参拝客が訪れる。特に縁結びの御守りは、若い女性に人気がある。一つ一つ丁寧に並べながら、琴葉は祈りを込めた。この御守りを手に取る人の願いが、叶いますように。
「ことは!おはよー!」
元気の良い声と共に、幼なじみの陽花が飛び込んできた。地元の公立高校に通う陽花は、放課後になるとよく神社に顔を出す。
「陽花、お参りなの?」
「うん。テストが近いからさ、学業成就をお願いしに」
陽花は気さくに琴葉の隣に座り、御守りの整理を手伝い始めた。小学生の頃から変わらない、そんな自然な距離感が心地よい。
「琴葉って、ほんと几帳面よね。私なんて、絶対こんなにきれいに並べられない」
「そんなことないわ。ただ、慣れているだけよ」
二人で笑い合っていると、風鈴が小さく響いた。春の訪れを告げるような、澄んだ音色。琴葉は窓の外を見やった。桜の蕾は、もう少しで開きそうだった。
今年の桜祭りは、どんな一日になるのだろう。漠然とした期待と、どこか不思議な予感が、琴葉の胸をそっと揺らした。
社務所の縁側に差し込む陽光が、琴葉の横顔を優しく照らしている。風が通り抜けるたび、風鈴が再び小さな音を奏でた。穏やかな春の午後が、ゆっくりと過ぎていく。
第2話「突然の来訪者」
その日の午後、琴葉は社務所で御守りの準備をしていた。春風に乗って、時折桜の香りが漂ってくる。静かな境内に、風鈴の音だけが響いていた。
「あの、お参りに…」
突然聞こえた声に、琴葉は顔を上げた。声の主は、琴葉と同年代らしき少女だった。派手な色使いのファッションが、神社の佇まいと不思議なコントラストを作っている。肩にかかる長い髪は、春の日差しを受けて艶やかに輝いていた。
「いらっしゃいませ」
琴葉は慌てて立ち上がった。来訪者の様子が普段の参拝客とは少し違う。疲れ切った表情で、大きなキャリーケースを引いている。瞳の奥には、何か言いようのない深い影が宿っているように見えた。
「あの、実は相談があるんです」
少女は琴葉の目をまっすぐ見つめた。その眼差しに、琴葉は一瞬たじろぐ。
「私、水瀬椿っていいます。しばらくの間、この神社に居候させてもらえないでしょうか」
琴葉は言葉を失った。神社での居候など、前代未聞の出来事だ。困惑する琴葉をよそに、椿と名乗った少女は畳の上に正座した。
「お願いします。どうしても、ここに居させてほしいんです」
その声には、どこか切実なものが滲んでいた。琴葉は戸惑いながらも、椿の表情に引き込まれていく。
その瞬間、社務所の障子が開き、祖母が姿を現した。
「面白い申し出ですね」
祖母は椿をじっと見つめ、不思議そうに首を傾げた。しかし、その口元には微かな笑みが浮かんでいる。
「理由を聞かせてもらえますか?」
椿は一瞬躊躇したが、すぐに表情を引き締めた。
「私、この神社に導かれたんです。そう信じています」
祖母は微かに目を細めた。椿の言葉に、どこか懐かしいものを感じたのかもしれない。
「琴葉」
「は、はい」
「お茶を入れなさい」
祖母の言葉に、琴葉は慌てて立ち上がった。台所で急須に湯を注ぎながら、背中越しに祖母と椿の会話が聞こえてくる。
「東京から来たの?」
「はい。昨日まで、そこにいました」
「随分と遠くからね」
会話の端々から、椿の事情が少しずつ見えてくる。都会での生活、モデルの仕事、そして何かの挫折。琴葉は何度も振り返りたい衝動を抑えながら、丁寧にお茶を入れた。
「ここにいてもいいのよ」
祖母の声に、琴葉は思わずお茶をこぼしそうになった。
「ほんとですか!」
椿の声が弾んだ。その明るい声は、さっきまでの暗い影を払拭するかのようだった。
「ただし、条件があります」
祖母は厳かな表情で続けた。
「神社の仕事を手伝ってもらいます。そして、この神社のルールは守ってもらう。それでもよければ」
「はい!なんでもします!」
椿の返事に、祖母は満足げに頷いた。琴葉はお盆にお茶を載せ、二人の前に置く。湯気が立ち上る中、椿は琴葉に向き直った。
「よろしくお願いします、えーと…」
「琴葉。佐倉琴葉です」
「琴葉さん!いや、ことはん!」
突然の愛称に、琴葉は戸惑いを隠せない。しかし、椿の屈託のない笑顔に、何か温かいものが胸に広がるのを感じた。
社務所の窓から、夕暮れの光が差し込んでいた。風鈴が再び音を立て、まるで新しい風の訪れを告げるかのようだった。
第3話「困った同居人」
「おはよー、ことはん!今日も朝早いねー」
朝の境内清掃中、突然背後から声をかけられた琴葉は、思わず箒を取り落としそうになった。振り返ると、パジャマ姿の椿が大きな欠伸をしながら立っていた。
「椿さん、まだパジャマですよ」
「えー、だってまだ六時でしょ?」
「神社は早朝からお参りの方がいらっしゃいます。それに…」
琴葉が言いかけたその時、祖母の声が響いた。
「水瀬さん、その格好では神様に失礼ですよ」
椿は慌てて背筋を伸ばした。祖母の千代には、誰もが自然と畏敬の念を抱いてしまう。
「すみません!すぐに着替えてきます!」
椿が慌てて客間に駆け戻る後ろ姿を、琴葉は複雑な表情で見送った。昨日から始まった突然の同居生活。これからどうなっていくのか、想像もつかない。
「琴葉」
「はい」
「あの子の指導は、あなたに任せるわ」
「え?私がですか?」
「ええ。同じ年頃の方が、色々と教えやすいでしょう」
祖母の言葉に、琴葉は深いため息をつきそうになるのを必死で堪えた。確かに同い年かもしれないが、椿との共通点など見当たらない。むしろ、正反対と言っていい。
「ことはーん、着替えたよー」
今度は巫女服姿の椿が戻ってきた。しかし、帯は歪んでいるし、袴も正しく結べていない。
「椿さん、それじゃあ崩れてしまいます。直しましょう」
琴葉は箒を立てかけ、椿の元へ歩み寄った。
「手を上げてください」
「えっ、ああ、うん」
琴葉は手慣れた動作で帯を直し始める。近づくと、椿から甘い香りが漂ってきた。都会的な香水の香り。神社には似つかわしくないのに、不思議と嫌な感じはしない。
「椿さんは、お仕事は何を?」
「モデルの卵だったの。でも…」
椿の声が急に曇った。琴葉は追及を避け、さりげなく話題を変えた。
「今日は御守りの仕分けをお願いしようと思います」
「御守り?あ、あの可愛い袋のやつだよね!」
途端に椿の目が輝いた。
「これは神様からの御利益が宿るものです。丁寧に扱わないと…」
「分かってるって!私だって、ちゃんとできるもん!」
椿は両手を広げて、琴葉の前で回った。直したばかりの巫女服が、また崩れ始めている。
「もう…。椿さん、止まってください。帯が…」
「あ、ごめん!でも、ことはんの面白い顔が見たくて」
「面白い顔、ですか?」
「うん!いつも真面目で固いから、たまには崩してみたいなーって」
琴葉は困惑しながらも、微かに頬が熱くなるのを感じた。こんな風に率直に言葉をぶつけてくる人は、今まで周りにいなかった。
「あら、仲良くなってきたみたいね」
祖母の声に、二人は慌てて距離を取った。
「さあ、お仕事の時間よ」
「はーい!」
椿が元気よく返事をする。その様子は、まるで小学生のよう。けれど、その無邪気さの中に、琴葉は何か懐かしいものを感じた。
風鈴が静かに鳴る。朝もやの中、神社の一日が始まっていく。琴葉は密かに思った。この騒がしい同居人との生活は、きっと今までとは違う日々になるのだろう。その予感は、不思議と嫌なものではなかった。
第4話「桜祭りの準備」
「ことはん、この提灯はどこに飾るの?」
椿は背伸びをしながら、赤い提灯を掲げていた。桜祭りまであと三日。境内では準備が着々と進められている。
「そこの枝に結んでください。ただし、結び目はしっかりと…」
「大丈夫、大丈夫!こう、こうでしょ?」
椿は器用な手さばきで提灯を枝に結びつけた。その仕草には、どこか慣れた様子が見える。
「意外と上手なんですね」
「えへへ、撮影現場で小物の扱いには慣れてるから」
何気ない会話の中で、時折覗く椿の過去。琴葉は静かにそれを記憶の片隅に置いていく。
「次は、お守りの準備をお願いします」
「了解!あ、でもその前に…」
椿はスマートフォンを取り出した。
「ちょっと写真撮らせて!提灯の雰囲気、すっごくいい感じ」
「写真は…」
「大丈夫、神社の宣伝になるよ。私、フォロワーけっこういるから」
戸惑う琴葉の背後から、祖母の声が聞こえた。
「いいアイデアじゃないかしら」
「おばあちゃま!」
「時代に合わせていくのも、神社の務めです」
祖母は穏やかな笑みを浮かべながら、椿に頷きかけた。
「ありがとうございます!ことはん、ちょっとそこに立って!」
「え?私も撮るんですか?」
「当たり前じゃん。ことはんみたいに凛とした巫女さん、なかなかいないよ」
照れくさそうに立つ琴葉を、椿は熱心にカメラに収めていく。その眼差しは真剣で、まるでプロのカメラマンのよう。
「完璧!ことはんの横顔、まるで絵みたい」
「そんな大げさな…」
「いや、本当に!ほら、見て」
スマートフォンの画面には、夕陽に照らされた琴葉の姿が映っていた。提灯の赤が淡く反射し、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。
「こんな風に見えるんですね…」
「うん。ことはんの知らないことはん、私が見つけちゃった」
椿はにっこりと笑った。その笑顔に、琴葉は思わず目を奪われる。
「さあ、お仕事お仕事!」
気づかれないように軽く頭を振り、琴葉は気持ちを切り替えた。社務所に戻り、御守りの準備に取り掛かる。椿も隣で手伝い始めた。
「でも不思議」
「何がですか?」
「椿さん、昨日までグダグダだったのに、今日は要領いいです」
「それはね」
椿は御守りを丁寧に袋に入れながら、少し照れたように答えた。
「ことはんの手元、ずっと見てたの。真似っこ上手なんだよ、私」
その言葉に、琴葉は思わず手を止めた。気づかないうちに、椿は琴葉のことをよく観察していたのだ。
「あの、ことはん」
「はい?」
「桜祭り、楽しみにしてるね」
椿の瞳が優しく揺らめいた。琴葉は静かに頷く。確かに今年の桜祭りは、いつもとは少し違う。隣にいるこの不思議な同居人のおかげで。
境内に風が吹き抜け、提灯が静かに揺れる。その音が、まるで二人の心音のように響いていた。
第5話「SNSの衝撃」
「わぁ、すごい!」
早朝の社務所から、椿の声が響いた。琴葉は御守りの整理の手を止め、不思議そうに椿を見る。
「どうかしましたか?」
「ことはんの写真、バズっちゃった!」
「ばず…って、何のことですか?」
椿はスマートフォンの画面を琴葉に向けた。昨日撮影した写真に、驚くほどの数の「いいね」がついている。コメント欄には「素敵な巫女さん」「神社に行ってみたい」という言葉が並んでいた。
「これ、私の写真なんですか?」
「うん!ことはんの凛とした佇まいに、みんな魅了されちゃったんだよ」
琴葉は困惑気味に画面を見つめる。確かにそこには自分が写っているのだが、どこか別人のように感じられた。夕陽に染まった境内、揺れる提灯、そして巫女装束の少女。まるで絵葉書のような一枚だった。
「こんなに見られるなんて…」
「大丈夫、みんな好意的だよ。それに、これのおかげで神社にも注目が集まる」
椿の言葉通り、神社の場所を尋ねるコメントも多く見られた。現代の若者たちが、こんなにも神社に興味を持ってくれるなんて。
「琴葉、水瀬さん」
祖母が静かに声をかけた。二人が振り返ると、珍しく祖母がスマートフォンを手にしていた。
「おばあちゃま、それは?」
「ええ。私も時代に合わせないとね」
祖母は穏やかな微笑みを浮かべる。
「神社は人々の心の拠り所。その在り方は、時代と共に変わっていくもの」
その言葉に、琴葉は複雑な思いを抱いた。確かに神社を訪れる人が増えることは喜ばしい。けれど、SNSで「映える」ことを目的に来る人たちに、神様の御心は届くのだろうか。
「あ、また新しいコメント!」
椿の声に、琴葉は我に返った。
「今度は『神社の伝統的な雰囲気が素敵』って。ほら、ちゃんと神社の良さが伝わってるでしょ?」
その瞬間、琴葉は椿の真剣な横顔に目を奪われた。彼女は決して軽薄にSNSを使っているわけではない。神社の魅力を、現代に生きる人々に伝えようとしているのだ。
「椿さん、ありがとうございます」
「え?何が?」
「神社のことを、こんなに考えてくれて」
椿は少し頬を赤らめた。
「当たり前じゃん。私もここの一員なんだから」
その言葉に、琴葉の胸が温かくなる。最初は戸惑っていた突然の同居人が、今では確かな存在感を放っていた。
「でも、これからもっと参拝客が増えるかも。琴葉、準備はいい?」
祖母の問いかけに、琴葉は迷いなく答えた。
「はい。椿さんと一緒なら、なんとかなると思います」
「ことはん…!」
椿が嬉しそうに飛びついてきたのを、今回は琴葉は制止しなかった。
風鈴が静かに鳴る。まるで、新しい風を歓迎するかのように。社務所の縁側では、二人の巫女服姿が重なって、小さな影を作っていた。
第6話「桜の下で」
桜祭り当日、佐倉神社は早朝から人で溢れていた。境内の桜は満開を迎え、風が吹くたびに花びらが舞い散る。
「すごい人…」
琴葉は社務所の前に立ち、参拝客の列を見つめていた。SNSでの評判のおかげか、例年以上の賑わいだ。
「ことはん、準備できた?」
椿が巫女装束姿で駆け寄ってくる。この一週間で見違えるほど着付けが上手くなっていた。
「はい。でも、これだけの人数は想定外で…」
「大丈夫!私がサポートするから」
椿の言葉に、琴葉は少し肩の力が抜けるのを感じた。不思議なことに、この突然の同居人の存在が、今では心強く感じられる。
「皆様、お待たせいたしました」
琴葉の凛とした声が境内に響く。列をなす参拝客たちの視線が、一斉に二人の巫女に注がれた。
「御守りの授与を始めさせていただきます」
緊張する琴葉の横で、椿が自然な笑顔で参拝客に応対を始めた。
「はい、縁結びの御守りですね。素敵な方とのご縁がありますように」
椿の明るい声に、若い参拝客たちの表情が和らぐ。琴葉は横目でその様子を見ながら、自分も丁寧に御守りを渡していく。
「あの、写真、撮っていいですか?」
ある女子高生が恥ずかしそうに尋ねた。
「いいよ!でも、まずはお参りをしてからね」
椿が気さくに答える。琴葉は最初、写真撮影に抵抗があったが、椿の対応を見ているうちに、これも現代の参拝の形なのかもしれないと思うようになっていた。
昼過ぎ、一時的に参拝客が減った時、椿が琴葉の袖を引いた。
「ちょっと休憩しよう。お弁当作ってきたの」
「え?椿さんが?」
「うん。見た目は微妙かもだけど、味は保証するよ」
二人は境内の隅、桜の木の下に腰を下ろした。椿が差し出した弁当箱を開けると、確かに少し形は崩れているものの、心のこもった手作り感が伝わってくる。
「いただきます」
一口食べた瞬間、琴葉は目を見開いた。
「美味しい…」
「ほんと?良かった!実は昨日、おばあちゃまに教わりながら作ったの」
祖母が料理を教えていた事実に、琴葉は驚きを隠せない。気づかないところで、椿は着実に神社の生活に溶け込んでいるのだ。
「ねぇ、ことはん」
「はい?」
「私ね、この神社に来て良かったと思う」
椿は空を見上げながら続けた。
「東京にいた時は、自分の居場所がよく分からなくて。でも、ここにはことはんがいて、おばあちゃまがいて…」
風が吹き、桜の花びらが二人の周りを舞った。琴葉は言葉を探しながら、ゆっくりと口を開く。
「私も、椿さんが来てくれて良かったです」
「ほんと?」
「はい。神社の新しい可能性を、教えてくれましたから」
椿の目が潤んだように見えた。だが、その時、境内から賑やかな声が聞こえてきた。
「あ、また参拝客が増えてきたみたい」
二人は立ち上がる。着物の裾を軽く払いながら、椿が琴葉に向き直った。
「行こう、ことはん。私たちの神社を、もっと素敵な場所にしよう」
「私たちの、神社…」
琴葉はその言葉を噛みしめながら、椿の後に続いた。桜の木漏れ日が二人の姿を優しく照らす。この桜祭りは、確かに特別な一日になりそうだった。
第7話「祖母の思い」
夕暮れ時の社務所。琴葉は祖母と向かい合って座っていた。桜祭りの後片付けを終えた境内は静けさを取り戻し、時折風鈴の音だけが響く。
「琴葉、お茶をどうぞ」
祖母は静かに湯呑を差し出した。その仕草には、何か重要な話をする時特有の厳かさがある。
「はい。椿さんは?」
「御守りの在庫確認を頼んであるわ。少し、あなたと話がしたくて」
琴葉は背筋を正した。祖母の千代は、穏やかな表情で話し始めた。
「この神社が建てられたのは、もう五百年も前のこと。その時から、代々巫女が神様に仕えてきたの」
古い箪笥から、一枚の写真が取り出された。色褪せた白黒写真には、若かりし日の祖母が写っている。今の琴葉とよく似た姿で、凛とした表情を浮かべていた。
「私も、あなたと同じ年頃でここに立っていた。そして、あなたの母も」
琴葉は息を呑む。母の話は滅多に出ない。幼い頃に他界したため、琴葉の記憶にはほとんど残っていない。
「母も、巫女だったんですね」
「ええ。とても優れた巫女だった。神様の声を聴く力を持っていてね」
祖母の声に、懐かしさと誇りが混ざっている。
「でも、時代は変わっていく。神社も、その流れに逆らうことはできない」
「椿さんのことですか?」
「ええ。あの子の存在は、神様からの試練かもしれないし、導きかもしれない」
祖母は窓の外を見やった。夕陽に染まる境内では、椿が黙々と御守りの箱を運んでいる。
「最初は戸惑ったでしょう?SNSのことも、写真撮影のことも」
「はい。でも今は…」
「今はどう思う?」
琴葉は言葉を選びながら答えた。
「神社は、時代に合わせて変わっていくべきなのかもしれません。でも、大切なものは守らなければ」
祖母は満足げに頷いた。
「その通り。伝統を守ることと、新しいものを受け入れることは、必ずしも相反しないのよ」
その時、障子の向こうから椿の声が聞こえてきた。
「ことはん、在庫確認終わったよー」
「椿、こちらにいらっしゃい」
祖母の声に、椿が恐る恐る障子を開けた。
「失礼します」
「ここに座りなさい」
椿が琴葉の隣に座ると、祖母は二人を見つめた。
「あなたのおかげで、神社に新しい風が吹き始めた。これも神様の思し召しね」
「私なんかが、そんな大それた…」
「いいえ。あなたの存在は、確かにこの神社に必要なもの」
祖母の言葉に、椿の目が潤んだ。
「琴葉と共に、この神社の未来を作っていってほしい」
「おばあちゃま…」
琴葉は複雑な思いで祖母を見つめた。伝統を守ることと、新しい風を受け入れること。その両立の難しさを、祖母は誰よりも理解しているのだ。
「さあ、もうこんな時間。今日は早めに休みなさい」
立ち上がる祖母の後ろ姿に、琴葉は何か深い決意を感じた。椿もまた、いつになく物思いに沈んでいる。
社務所の窓から、満開の桜が見える。夕暮れの光に照らされた花びらが、まるで神様の祝福のように、静かに舞い落ちていた。
第8話「お守り作り」
「もう!また糸が絡まっちゃった…」
社務所から椿の嘆息が漏れる。桜祭り以降、御守りの需要が急増し、新たな在庫作りが急務となっていた。
「椿さん、そんなに焦らなくても」
琴葉は自分の作業の手を止め、椿の元へ歩み寄った。
「でも、これじゃあことはんに迷惑かけちゃう」
「迷惑なんてとんでもありません。ほら、こうやって…」
琴葉は椿の手を優しく包み込むように、絡まった糸を解いていく。椿の指は細くて長い。モデルをしていただけあって、手入れの行き届いた綺麗な手だ。
「ことはんって器用だよね」
「祖母から厳しく仕込まれましたから」
琴葉の手の動きは正確で無駄がない。けれど、その仕草には温かみがあった。
「よし、解けました。今度はゆっくり結んでいきましょう」
「うん。ことはんの真似っこする」
二人で向かい合って座り、御守り作りを再開する。新緑の風が障子を通り抜け、作業場に心地よい空気が流れる。
「あの、ことはん」
「はい?」
「私ね、こうやって丁寧に物を作るの、初めてかも」
椿は手元を見つめながら続けた。
「モデルの仕事って、どちらかというと消費されていく感じで。でも、御守りは違う」
「違う、というと?」
「誰かの願いを込められて、大切にされるもの。そう思うと、心が温かくなるの」
琴葉は思わず手を止めた。椿の言葉に、意外な深さを感じたからだ。
「椿さんは、よく物事の本質を見抜きますね」
「え?そう?私、いつもことはんに突っ込まれてばっかりな気がするけど」
「違います。椿さんは…その…」
琴葉は言葉を探した。
「私には見えていない大切なものを、たくさん教えてくれます」
今度は椿が手を止めた。琴葉の真摯な言葉に、どう返していいか分からないように見える。
「そんな…私なんて…」
「本当です。SNSのことも、参拝客との接し方も。椿さんがいなかったら、神社は変わることができなかった」
沈黙が流れる。二人とも、なぜか視線を合わせられない。
「あ、糸が…」
椿が慌てて言った時、二人の指先が重なった。わずかな接触に、琴葉は心臓が跳ねるのを感じる。
「ごめん…」
「い、いえ…」
気まずい空気を破るように、風鈴が鳴った。
「あ、そうだ!」
椿が突然立ち上がり、御守り袋を手に取る。
「せっかくだから、ことはんと私で、お互いの御守り作ろう?」
「え?」
「私がことはんの、ことはんが私の。そうしたら、きっと特別な御守りになるよ」
椿の目が輝いていた。その無邪気な提案に、琴葉は思わず笑みがこぼれる。
「では、私は椿さんに…学業成就をお作りしましょうか」
「えー、それって高校生みたい。私には、ことはんからの恋愛成就が欲しいな」
「え!?」
琴葉の驚いた表情に、椿はくすくすと笑う。
「冗談だよ。でも、ことはんの作った御守りなら、どんなのでも私、大切にする」
その言葉に、琴葉は胸が熱くなるのを感じた。
社務所に二人の笑い声が響く。御守り作りの手は止まっているのに、誰も気にしていない。この時間が、二人にとって何より大切だった。
第9話「雨宿り」
突然の雷鳴が境内を震わせた。晴れていた空が、見る間に暗雲に覆われていく。
「急に降ってきたね…」
社務所の縁側で、椿が空を見上げていた。御札を納める作業の途中で、予期せぬ夕立に見舞われたのだ。
「椿さん、早く中に」
琴葉が障子を開け放って呼びかける。季節外れの激しい雨が、地面を叩き始めていた。
「わぁ、セーフ!」
椿が駆け込んだ直後、本降りとなる。社務所の中は、二人きりだった。祖母は檀家回りに出かけており、戻るまでにはまだ時間がかかりそうだ。
「着替えを持ってきましょうか?」
「ううん、大丈夫。少しぐらい濡れただけだから」
琴葉は迷った末、座布団を差し出した。
「じゃあ、せめてここに」
「ありがと。でも…ことはんも一緒に座らない?」
「え?」
「だって、雨が止むまで暇でしょ?」
迷う琴葉の手を、椿がそっと引いた。気がつけば、二人は肩を寄せ合うように座っている。障子越しの雨音が、妙に心地良く響く。
「ねぇ、ことはん」
「なんですか?」
「私ね、雨の音、好きなんだ」
椿は目を閉じて、耳を澄ませている。
「東京にいた頃は、雨の日が嫌いだった。撮影が中止になるし、交通機関も乱れるし。でも、ここの雨は違う」
「違う、というと?」
「神様が世界を洗い流してくれてる感じ。そう思うと、心が落ち着くの」
琴葉は驚いて椿を見た。都会的な雰囲気しか感じられなかった彼女が、こんなにも繊細な感性を持っていたなんて。
「椿さんって、本当に不思議です」
「どういう意味?」
「最初は、全然違う世界の人だと思っていました。でも、こうして話していると…」
言葉が途切れる。近すぎる距離に、急に意識が集中してしまった。
「ことはんこそ、意外だよ」
「私が、ですか?」
「うん。いつも凛としてて、完璧な巫女さんだと思ってた。でも、時々見せる困った表情とか、優しい仕草とか…」
椿の声が少し震えている。それは雨の冷気のせいだけではないような気がした。
「あの…」
二人が同時に口を開き、また同時に黙り込む。社務所の空気が、不思議な熱を帯びていく。
その時、遠くで雷が鳴った。
「きゃっ!」
思わず椿が琴葉に縋りつく。温かい体温と、微かな香りが伝わってきた。
「大丈夫ですか?」
「う、うん。ごめん、驚いちゃって…」
でも、椿は離れようとしない。琴葉も、それを止めようとしない。
「ことはん、聞こえる?」
「何がですか?」
「私の、心臓の音」
確かに聞こえた。早鐘を打つような、椿の鼓動。そして、自分の心臓も同じように高鳴っていることに気づく。
「雨、まだ降ってるね」
椿の囁くような声に、琴葉はただ頷いた。二人とも、この雨が少しでも長く続いてほしいと願っているような気がした。
風鈴が静かに鳴る。雨の音に混ざって、かすかな余韻を残していく。社務所の中で、時間だけが緩やかに流れていった。
第10話「幼なじみの警告」
「琴葉、ちょっといい?」
放課後の境内で、陽花が琴葉を呼び止めた。いつもの明るい調子とは違う、少し緊張した声音。
「どうしたの、陽花?」
「その、新しい巫女さんのことなんだけど…」
陽花の表情が曇る。琴葉は心の中で小さなため息をついた。この数日、何人かから似たような心配の声を聞いていた。
「椿さんのこと?」
「うん。急に住み着いて、SNSで神社の写真載せたりして…大丈夫なの?」
心配そうな幼なじみの瞳に、琴葉は真摯に向き合った。
「椿さんは、神社のために一生懸命なの」
「でも、都会から来た人でしょ?何か裏があるんじゃ…」
「陽花」
琴葉の声が、珍しく強い調子を帯びた。
「椿さんは、確かに私とは違う世界の人。でも、だからこそ気づける大切なことがあるの」
「琴葉…」
陽花は戸惑ったように琴葉を見つめた。幼い頃から知る親友の、見たことのない表情にどう反応していいか分からない。
「あ!いらっしゃーい!」
境内の向こうから、椿の明るい声が響いた。制服姿の女子高生たちが参拝に来たようだ。
「写真、撮ってもいいですか?」
「もちろん!でも、まずはお参りをしましょうね」
椿は自然な笑顔で対応しながら、参拝の作法を丁寧に説明している。
「ほら、見て」
琴葉が静かに言った。
「椿さんは、参拝客一人一人と真剣に向き合ってる。決して軽々しい態度じゃない」
陽花は黙って見守った。確かに、椿の接し方には誠実さがある。SNSでの発信も、神社の良さを伝えたいという純粋な思いから来ているのかもしれない。
「琴葉、変わったね」
「え?」
「昔は頑なだったのに。今は、柔軟になった」
陽花の言葉に、琴葉は少し照れたように俯いた。
「それは、きっと…」
「椿さんのおかげ?」
琴葉が小さく頷く。その仕草に、陽花は何かを悟ったような表情を浮かべた。
「あのさ、琴葉」
「なに?」
「もしかして、椿さんのこと…」
その時、境内で椿の声が響いた。
「ことはーん!ちょっと手伝って!」
「はい、今行きます!」
琴葉が立ち上がろうとするのを、陽花が袖を引いて止めた。
「気をつけて」
「え?」
「あなたの心が、揺れ始めてるの、私に分かるから」
琴葉は言葉を失った。陽花は優しく微笑んで続けた。
「でも、それは悪いことじゃないと思う。ただ…心の準備はしておいた方がいいかも」
「陽花…」
「ことはーん!」
「あ、はい!すみません、行かないと」
立ち去る琴葉を見送りながら、陽花は複雑な思いを抱いていた。幼い頃から知る親友の、確かな変化。それは成長なのか、それとも…。
風鈴が揺れて、かすかな音を立てる。陽花は空を見上げた。夕暮れの境内に、新しい風が吹き始めているようだった。
第11話「夜長の告白」
満月の夜、社務所の縁側で椿が一人座っていた。境内を照らす月明かりは、彼女の表情を優しく浮かび上がらせている。
「椿さん、まだ起きていたんですか」
琴葉が差し入れのお茶を持ってきた。夜風が心地よく、二人は自然と肩を並べる。
「ことはん、私のこと、不思議に思わない?」
突然の問いかけに、琴葉は戸惑いを隠せない。
「どういう意味でしょうか」
「急に神社に転がり込んできて、何も説明せずに…」
椿の声には、珍しく影が潜んでいた。琴葉は黙って椿の横顔を見つめる。
「私ね、東京でモデルの卵として活動してたの。それなりに仕事もあって、フォロワーも増えてきて…」
月明かりに照らされた椿の瞳が、遠い記憶を追いかけるように揺れる。
「でも、ある時から全てが空しく感じ始めた。SNSでの『いいね』も、撮影現場での褒め言葉も、何もかもが作り物みたいで」
琴葉は静かに聞いている。椿の言葉の一つ一つが、重みを持って響いてくる。
「それで、事務所を飛び出して。行き先も決めずに電車に乗って…気がついたら、この神社の石段の前に立ってた」
「偶然、だったんですか?」
「うん。でもね」
椿が琴葉の方を向いた。その目には、不思議な輝きが宿っている。
「石段を上った時、何か懐かしい気持ちになったの。まるで、ずっと探していた場所を見つけたみたいに」
風が吹き、風鈴が小さく響く。
「そして、ことはんに出会った」
「私に?」
「うん。凛として、でも優しい巫女さん。私の中の何かが、カチッと音を立てて納まった気がした」
琴葉は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。椿の言葉には、真実の重みがある。
「今までの私は、誰かの期待する姿を演じてきた。モデルとして、SNSのインフルエンサーとして。でも、ここでは違う」
「椿さん…」
「ことはんの前では、ありのままの私でいられる。それが、とても嬉しいの」
月の光が二人を包み込む。琴葉は言葉を探した。
「私も、椿さんと出会えて良かった」
「ほんと?」
「はい。椿さんは、私に新しい世界を見せてくれる。それに…」
琴葉は一瞬躊躇したが、続けた。
「椿さんの前では、私も素直になれます」
椿の目が潤んだ。月明かりに、涙の粒が銀色に光る。
「ことはん、ありがとう。私を受け入れてくれて」
「いいえ、私こそ」
二人の間に静かな空気が流れる。月が雲に隠れ、また姿を現す。その光の中で、二人は何か大切なものを見つけたような気がしていた。
「もうこんな時間」
琴葉が立ち上がろうとした時、椿が袖を引いた。
「もう少しだけ、このままでいい?」
琴葉は無言で頷き、再び腰を下ろした。風鈴の音が、二人の心音のように静かに響いていく。
第12話「春の終わり」
春の終わりを告げる風が、境内を吹き抜けていく。桜の花びらは散り際を迎え、石畳の上に淡いピンクの絨毯を作っていた。
「ことはん、見て見て!」
椿が境内の隅から手を振る。カメラを手に、散り行く桜を撮影していたようだ。
「どうでしょうか?」
「うん、綺麗に撮れてる。でもね…」
椿はカメラを下ろし、琴葉をまっすぐ見つめた。
「実物の方が、もっと素敵」
その言葉に、琴葉は思わず目を逸らした。最近、椿の視線を受けると、どこか胸が熱くなる。
「春が終わるのは、少し寂しいです」
「そうだね。でも…」
椿は空を見上げた。
「次は初夏の新緑。また違う神社の表情が見られるんでしょ?」
琴葉は小さく頷く。確かに、神社は季節ごとに違う顔を見せる。冬の厳かな静けさ、春の華やかさ、夏の涼やかな緑、秋の紅葉。そして今、春から夏への移ろいの時期を迎えていた。
「椿さんは、もう慣れましたか?神社での生活」
「うん。最初は不安だったけど…」
椿は言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「今は、ここが私の居場所だって感じる。それに…」
「それに?」
「ことはんがいてくれるから」
風が吹き、桜の花びらが舞い上がる。その中で、二人は言葉を失っていた。
「琴葉、椿」
祖母の声に、二人は慌てて振り返る。
「桜も散り始めましたね」
「はい」
「でも、これは終わりじゃない。新しい季節の始まり」
祖母の言葉には、深い意味が込められているように聞こえた。
「神社も、少しずつ変わっていく。それは自然なことです」
祖母は二人を見つめ、珍しく柔らかな笑みを浮かべた。
「あなたたち二人が、その変化を導いてくれている」
「おばあちゃま…」
「私たちが?」
祖母は頷いた。
「伝統を守りながら、新しい風を取り入れる。それは簡単なことではないけれど、あなたたち二人なら…」
言葉の続きは、風に消えた。けれど、その意味は二人の心に確かに届いていた。
「ことはん」
「はい?」
「私ね、決めたの」
椿の声には、強い決意が込められていた。
「この神社で、ことはんと一緒に、もっと素敵な場所を作っていきたい」
その言葉に、琴葉は胸が震えるのを感じた。
「私も…そう思います」
二人の視線が重なる。散りゆく桜の下で、何かが始まろうとしていた。
風鈴が静かに鳴り、その音は新しい季節の訪れを告げているようだった。境内には、まだ名付けようのない、けれど確かな感情が漂っている。
春は終わろうとしていた。でも、それは終わりではない。琴葉と椿の物語は、まだ始まったばかり。二人の前には、まだ見ぬ季節が、静かに扉を開こうとしていた。
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