第11話 僕の全てが逆転する

「ふふふ、ご主人様も私と同じでよかった。ご主人様が酷い命令したら従わなきゃいけないんだもん」



「あの、因幡さん。僕の呼び名が戻ってるんだけど……」



 さっきから気になってたことを注意する。



「あ、ごめん威乃座君! 気持ちいいからご主人様って呼んじゃってた!」



「クセになっちゃうと困るから気をつけてくれないと……」



「クセになっていいけどなぁ」



「僕が気にするのッ!」



「お、距離感近づいたツッコミだね」



 因幡さんは顔を赤くして抗議する僕を見て笑う。眷属にからかわれる主の図だ。



「璃英、因幡。俺の部下になれ」



 突然、全く脈絡なく騨漣兄さんは僕と因幡さんに命令した。あまりに堂々としているので、一瞬負けたのは僕達だと錯覚しそうになる。


 信じられないが騨漣兄さんはこの状況下でも全く臆していない。本気で僕と因幡さんを勧誘していた。



「力ある者は澱みを正す義務がある。お前達は俺と組んで無垢を倒さなければならない」



「さっき言っただろ。そんなふざけたことは聞けない」



「私だって聞けないです」



 僕と因幡さんははっきりと首を振る。



「キゼンは屍術師界で上位の強さを持つ眷属だ。そのキゼンが因幡に倒されたなら、誰だろうとこうする。考えを切り替え、お前達を騨漣組に引き込むのは当然だ」



 堂々とした姿は崩れない。自分の立場を理解してるとは思えない言い分が続く。


 なんて人だろう。今の騨漣兄さんはいつ僕に殺されてもおかしくない状況なのに、こんなことが言えるなんて。しかも、僕も因幡さんも一度首を振っている。ある意味感心せざるを得なかった。


 ――もしかして、僕を追い詰めてもなかなかトドメを刺さなかったのは、仲間に引き込むのを諦めていなかったからだろうか。



「さっきまでの心配はどこにいったんだよ? 僕は無垢姉さんに腑抜けにされてるんじゃなかったのか?」



「腑抜けでもいつかは無垢の正体に気づく。ここで言うだけ言っておくのは無駄じゃない」



「随分と投げやりな勧誘だな……」



「無垢に絶望して逃げ出した時、その辺を彷徨うよりマシだ。味方がいるとわかっているなら、お前は俺の元へやってくるかもしれん」



 騨漣兄さんはキゼンを抱きかかえる。



「だが璃英。お前があの女の正体を知っても俺につかないというのなら、ここで俺とキゼンを始末しなかったことを後悔するだろう」



「……わからないな。兄さんは姉さんの何をそんなに危険視してるんだよ?」



 僕は正式な跡継ぎじゃない無垢姉さんが、騨漣兄さんの立場を脅かしているから嫌っているのだと思っていた。無垢姉さんの力量は指折りで、単純に屍術師としても騨漣兄さんの上を行くから気に入らないのだと思っていた。


 でも、それにしては何だか嫌悪の範疇を超えていないか? 騨漣兄さんは無垢姉さんの始末を使命にしているように思える。



「あの女は気にくわない屍術師家を滅ぼそうとしている。だから俺は騨漣組を率いて抵抗しているんだ。無垢とその傘下筆頭である無垢組の千葉は――」



「――滅ぼそうとしているのは騨漣ちゃんでしょう?」



 この場を冷たく包み込むような声が聞こえた。影から現れたかのように、いつの間にか騨漣兄さんの背後に無垢姉さんが立っていた。



「無垢!? くっ!」



 騨漣兄さんはすぐに飛びのき、無垢姉さんから大きく距離を取る。



「少し待っててね璃英ちゃん。咲華ちゃんには意味のわからない話だから、適当に聞き流してくれればいいからね」



 無垢姉さんは僕と因幡さんにニコリと笑いかける。


 ――全く気付けなかった。今の様子から騨漣兄さんも同じだ。キゼンに気づけた因幡さんまで驚いている。


 信じられないが、無垢姉さんは眷属術を使えるキゼンより気配を消すのがうまいらしい。



「好き勝手にやりすぎたわね騨漣ちゃん。私が来た意味、わかっているわよね?」



 無垢姉さんの視線は「観念しろ」と騨漣兄さんに告げていた。



「榎柄家の人間を眷族にしただけでもマズいけど、荒芭島連合を手助けしたのはもっとマズかったわね。父様は騨漣ちゃんを始末せざるを得ないと言ってる。全部バレてるわよ」



 にわかには信じられないことが無垢姉さんの口から語られた。


 荒芭島連合のカチコミを騨漣兄さんが――手助け?



「ちょ、ちょっと待ってよ。姉さんはあのカチコミに兄さんが関わってるって言ってるの?」



「ええ、その通りよ璃英ちゃん」



 無垢姉さんはコクリと頷く。



「騨漣ちゃんが荒芭島連合関係者と会ってることや、その建物(アジト)に出入りしていることだってわかってる。首謀者という証拠はないけど、関与としては十分だわ。騨漣ちゃんが荒芭島連合に手を貸したからアレは起こったの」



 無垢姉さんは腕を組み、困ったようにため息をついた。


 真実ならとんでもない大罪だ。屍術師界が秘匿するのを是とするのもあって、始末の判断が下されるのは不思議じゃなかった。



「痕跡は消したはずだが、よく俺が仕掛けたとわかったな」



「威乃座家はバカじゃないもの。本気になれば調べられないことなんかないわ。動機は私よね?」



「…………」



 騨漣兄さんは口を噤む。



「あんなことをしてまで私を始末したいなんてとても光栄よ。でも、偶然お爺様が帰ってきてツイてなかったわね。本当は戦力のほとんどを私に当てて疲弊させて、そこを騨漣ちゃんが狙うって感じだったんだろうけど……まあ今更よね」



 淡々と無垢姉さんは語る。あの時、荒芭島連合は少なく見積もっても五百はいた。仮に四百を無垢姉さんに当てるとすれば、さすがに無垢姉さんといえど疲労は隠せない。万全とは程遠い状態でキゼンと戦うことになる。全てはたらればだが、計画がうまくいけばそうなっていたのだろう。


 だが計画は阻止された。騨漣兄さんはその敗北を死という形で払わされようとしていた。



「逃げなさい騨漣ちゃん」



「えっ?」



 騨漣兄さんでなく僕が間の抜けた反応をしてしまう。話の流れからして、まさか無垢姉さんがそんな提案をするとは思わなかった。



「私は弟を始末したいなんて思わない。父様にはどうにか誤魔化しておくから、何処かで生き延びて。そしていつかまた会いましょう。これが最後になるのは悲しすぎるもの」



 無垢姉さんは自分を始末する計画を実行した騨漣兄さんを見逃そうとしていた。威乃座家の長女として間違った判断をしているのは承知の上だろう。


 僕の時と同じだ。死なせてたまるかと、純粋に弟を心配していた。



「騨漣ちゃんなら隠れ家なりの用意はあるでしょう? 姿を消すなら速い方がいいわ。このまま遠くに行って――」



「――俺を舐めるなよ無垢」



 騨漣兄さんは仇でも見るように無垢姉さんを睨みつけた。



「俺は威乃座家や屍術師界のためなら手を汚せる。恥知らずにもなれる。いくらでも開き直れる。蔑まれるとわかっていても胸を張れる。その先に己の信じる道が見えるならどんなに血塗れでも突き進める。だから、そこの因幡咲華を殺した。禁忌以前に、一般人を眷属にする最低な行為(クソ)を躊躇わなかった。榎柄家に殴り込んだことも、手の平返して愚弟を仲間にしようとしたことも全部な」



「なかなか酷いことを言ってるけど、自覚はあるの?」



「当然だ。俺は威乃座家次期当主威乃座騨漣。善悪全てを飲み込めない凡百と一緒にしないでもらおうか」



 騨漣兄さんの言葉は光輝く決意に溢れていた。自分の行動が正しいか間違いかわからずとも、それを実行できる覚悟がある。侮蔑や非難をされても、それを受け止められる精神の強さを無垢姉さんに示していた。



「敵に情けをかけられ逃亡するというのは想像以上にみっともないモノだ。ここから逃げれば、俺はあらゆる言い分(プロパガンダ)に利用され信頼を失うだろうな。その後死んでしまえば尚更だ。そうなれば威乃座家の当主は何の問題もなくお前になる。家に戻れば必ず始末されるとわかっていても、それだけは絶対にさせん」



「死んだらそこで終わりよ。私が言うことじゃないけど、逃げればまた当主になれるチャンスが巡ってくるかもしれないわ」



「お前、まだ俺を舐めてるのか?」



 騨漣兄さんがチラリと周囲を囲む建物の屋上へ目を向ける。



「見抜けないワケないだろうが。周囲に俺を始末するための眷属が十体はいるな」



「……え?」



 一瞬、騨漣兄さんが何を言っているかわからなかった。


 いや、それがどういう意味なのか理解が追いつかなかった。



「……先輩の言ってることは本当だよ威乃座君。たしかに眷属が何人もいる」



「ふん、いるとわからなければ気づけんか。よくそれでキゼンに勝てたものだ」



 因幡さんが敵を察知し、僕を庇うように前へ出る。その様子から本当に無垢姉さんが――騨漣兄さんを騙し討ちしようとしていたことがわかった。



「姉さん……兄さんを始末するつもりだったの?」



「…………」



 無垢姉さんは何も答えない。



「ここは無垢組である榎柄家の縄張りだ。逃げた俺を始末したいなら、威乃座と何の関係もない場所がいい。その方が一人惨めに逃げたと演出できるからな。だが、アテが外れたろ? 相手を弱いと決めつけているから計算が狂うんだ」



「…………」



 一瞬、ピクリと無垢姉さんの表情が反応する。騨漣兄さんの言ったことにイラついたようだが――イラつく? 何故?


 僕が知る限り、そんな無垢姉さんは見たことない。



「璃英。全く気は進まんが、お前にキゼンを預ける。もう俺のそばに置くワケにはいかない」



 騨漣兄さんは抱いていたキゼンを押しつけるように僕へ渡した。



「うわっ! え、えっ?」



「ワザとらしいんだよ。キゼンは軽いだろうが」



 前に倒れそうになるが、すぐにバランスを取って踏みとどまった。たしかに騨漣兄さんの言う通りキゼンは軽い。因幡さんに劣らないスタイルの良さなのに、力のない僕でもどうにか抱きかかえられて――同時に不思議な感覚を覚えた。


 頭の中の回路がうまく繋がっていくような心地良さ。そんな感覚が走ったのだ。



「兄さん……」



 僕はそばに立つ騨漣兄さんに向き直る。



「もう一度言ってやる。俺は因幡咲華を始末して、お前も始末しようとしたクソ野郎だ。ざまぁみろと笑ってろ。俺に同情なんかしてんじゃねぇぞ」



 目も合わさずそれだけ言うと、騨漣兄さんは無垢姉さんの所へ歩いて行った。



「早くしろ。逃げようとしない俺をここで始末するほどバカではないだろう?」



 騨漣兄さんは「さっさと処刑場に連れて行け」と言っている。これから殺される人とは思えない態度だった。



「……全然理解できないわ。騨漣ちゃんも璃英ちゃんも、どうしてそんなに強くいられるの?」



 無垢姉さんは俯き呪詛のように呟き顔を上げると――騨漣兄さんは始末された。



「がッ!?」



「私には無理だったわ」



 ズッ、騨漣兄さんの心臓を抉るように――因幡さんの腕が貫通していた。


 因幡さんが騨漣兄さんを始末した。


 因幡さんが、殺した。



「……え?」



 その光景を僕は現実感なく眺めていた。


 食パンに指でも突っ込んだようだった。あっさりと騨漣兄さんの背中に風穴が空き、全身が僅かに痙攣した後、力なく地面に倒れる。


 蛇口を捻ったみたいに騨漣兄さん(死体)から血が溢れ出し、水たまりができていく。


 即死だった。



「因幡……さん?」



 僕は朧気に憧れの女子の名を呟く。



「…………」



 因幡さんは光の消えた目をしており、その顔からは表情が消えていた。真っ赤になった腕、返り血を浴びた顔と身体を僕に向けるだけで、何も答えてくれない。


 これは――


 これって――


 でもどうして――



「たしかにここで騨漣ちゃんを始末するのはよくないわね。私が真に当主と認められるには騨漣ちゃんを慕う騨漣組が威乃座騨漣に失望してくれないと。でも、そうね」



 無垢姉さんは「ここで事件が起こったの」と、語り出す。



「騨漣ちゃんに殺されかけた女子高生がいた。その女子高生は再び殺されるのを恐れて、騨漣ちゃんを人気のない所に呼び出して殺そうとした。ただの女子高生だと思っていた騨漣ちゃんは油断して、キゼンはもちろん護衛の眷属を連れてこなかった。結果、騨漣ちゃんは殺された。キゼンが戻ってきた時には主が死んでて、せめて仇を取ろうと、その身が蒸発する前に女子高生を殺した。その後に私がやってきて、女子高生を眷属にした」



 意味不明で支離滅裂でくだらないストーリーを語り終えると、無垢姉さんは因幡さんの隣に立つ。



「ああ、雑すぎるとか、無理があるとか、不自然すぎるとか、そんなのどうでもいいの。何もかも嘘ってワケじゃないし、どうとでも事実にできるから」



「な、何を言ってるんだよ姉さん?」



 抱えているキゼンを落とさなかったのは奇跡に近かった。そして、目の前に立つ人物の纏う雰囲気が劇的に変化し、全くの別人になったのに、まだ自分の姉と認識できているのも奇跡だった。



「うっ!?」



 僕の心臓がドクンと高鳴った。不可解な“実感”が沸き、すぐにこれが何であるのか理解する。


 因幡さんを眷属にした時と同じだ。ただし、あの時は僕が眷属剥奪をしたという結果が流れ込んできたが今回は違う。逆だ。


 僕は眷属を剥奪された。


 無垢姉さんに因幡さんを奪われてしまったのだ。



「イナバ。あなたの主は誰かしら?」



「私の主は無垢様です。これからずっと、あなたのそばでお仕えします」



 無表情の因幡さんは無垢姉さんの前で、姫に忠誠を誓う騎士のように片膝をつく。



「私、眷属剥奪を使えるの。璃英ちゃんだけの専売特許じゃないのよ」



 無垢姉さんは猫を可愛がるように、因幡さんの頭や顎を愛おしく撫でる。



「でも私って設定が苦手でね。璃英ちゃんや騨漣ちゃんと違って、眷属がロボットみたいになっちゃうのよ。眷属は屍術師によってそれぞれとはいえ、何の面白みもない眷属が出来上がっちゃうって悲しいわ」



 無垢姉さんが「イナバ」と言うと、因幡さんの姿が消える。


 その時、全身にドライアイスを流し込まれたような悪寒が走った。



「璃英様ッ!」



 抱えていたキゼンが目を覚まし、瞬時に僕を抱いてこの場から飛び退いた。


 直後、轟音と共に地面へ穴が空く。さっきまで僕とキゼンのいた場所を因幡さんが殴りつけた跡だった。


 ――キゼンがいなければ僕は因幡さんに始末されていた。


「ぐうっ……」



 たまらずキゼンが膝をつく。この短時間で因幡さんと戦闘した負傷や体力が癒えるワケがない。僕を助けるために相当無理をしていた。



「キゼン!」



「心配……無用です。璃英様は私が守ります」



 己を奮い立たせるようにキゼンは立ち上がるが、身体が震えている。表情も苦しそうで、強がることすらできていなかった。



「因幡さん! こんなことやめて! 君は誰かを傷つけるような人じゃないだろ!」



「黙れ。無垢様の敵が」 



 懸命に叫ぶが、因幡さんの光の消えた目は変わらない。


 因幡さんを取り返したいが、僕は自在に眷属剥奪を使えない。それに、使えたとしても間違い無く力量が劣っている。


 無垢姉さんの眷族になってしまった因幡さんを眺めることしかできなかった。



「……なるほど。騨漣ちゃんは眷属を璃英ちゃんに引き継いだのか。だから主が死んだのにキゼンは死なないし、強さも設定も以前と変わらない。騨漣ちゃんたら“眷属譲渡”なんて似合わない屍術を使えたのね」



 僕を守るキゼンを見て、無垢姉さんは納得するように頷く。


 たしかにその通りだろう。僕には心当たりがある。キゼンを抱きかかえた時にあった不思議な感覚、あれは眷属(キゼン)が譲渡された感覚だったのだ。



「本当に無垢姉さん……なの?」



 これは夢だと信じたい自分が、目の前にいる何者かに力無く問いかける。


 僕の知ってる無垢姉さんなら僕から因幡さんを奪って自分の眷属にしない。


 僕の知ってる無垢姉さんなら因幡さんに騨漣兄さんを始末させない。


 僕の知ってる無垢姉さんなら因幡さんを使って僕を始末しようとしない。


 僕の知ってる――



「はい、そうです。璃英ちゃんが大好きでたまらない無垢お姉ちゃんですよ」



 僕の大切な人とそっくりな外見の女性が笑顔で現実を叩き付ける。


 目の前にいるのは僕の知らない無垢姉さんだった。



「で、どうするのキゼン? あなたはイナバに負けたでしょう? しかもその身体。とても戦えるとは思えないけど?」



 無垢姉さんの言う通りキゼンはボロボロだ。とても因幡さんと戦える状態ではない。しかも周囲には他にも眷属がいる。例えキゼンが万全であったとしても、全員をどうにかするのは困難だ。



「……私は璃英様を守る。それだけです」



「答えになってないけど、まあいいわ。さすが騨漣ちゃんの眷属ね」



 無垢姉さんは妖艶な笑みを浮かべて因幡さんの喉を撫でる。



「私、イナバと初めてあった時から眷属にしたいと思ってたの。ただの一般人だったあなたなら、騨漣ちゃんの死を他屍術師達に事故と言い訳できるカードになる。だから眷属にするの今になっちゃった。遅くなってごめんなさいね」



「とんでもありません。いつだろうと無垢様の眷属にしていただけるのは光栄です」



「前の主である璃英ちゃんを始末するのは心苦しい?」



「全く」



「ふふふ、イナバは冷たいのね」



「申し訳ありません」



「いいのよ。ずっと私の下僕でいてねイナバ」



「もちろんです」



 ザッ、と因幡さんがゆっくりとこっちへ近づいてくる。慌てる必要はないということだろう。ボロボロのキゼンと眷属のいない僕では何の抵抗もできない。



「咲華ちゃんに殺されそうになっても……璃英ちゃんは綺麗な目のままなのね」



「えっ?」



「璃英様ッ!」



 僕の間の抜けた声を遮るようにキゼンが叫ぶと、暗闇の中に放り込まれたような感覚が走った。キゼンの眷属術だ。


 直後、キゼンは僕を抱えて跳躍し、建物の屋上から屋上へと一足飛びに移動する。


 無垢姉さんと因幡さんのいる場所から瞬く間に離れていく。



「因幡咲華……追ってきませんね」



「そう……みたいだね」



 因幡さんはキゼンの気配を捉えられる。追ってこれるはずだがその様子がない。


 理由は不明だが、どうやら僕らは見逃されたようだった。



「姉さんが兄さんを始末するなんて……父さんの命令だとしてもなんてことを……」



「……璃英様、その認識は間違いです」



「間違い?」



「威乃座重道様は……無垢様の眷属にされています」



「……え?」



 一瞬、何を言われたのかわからなかった。



「重道様だけではありません。威乃座家に属する者達は全て無垢様の眷属か無垢組の者達です。だから、騨漣様は無垢様に抵抗すべく戦力を集め――ぐッ!」



 限界がきたのだろう。屋上から屋上に飛び移れず、キゼンは僕を守るようにして地面に墜落した。


 飛行機が不時着するようにアスファルトを削って静止した後、すぐに僕はキゼンの肩を持って立ち上がる。



「申し訳……ありません」



「キゼンは僕を助けてくれたんだ。謝る必要なんかないよ」



 知ってる公園が見える。ここは僕の家のすぐ近くのようだ。


 付近には車も人もいない。事故はおろか、目撃者もいなかった。


 この辺りは元々人通りが少ないが、さすがにこれは偶然過ぎる。おそらく、キゼンが落下前に当たりをつけたのだろう。なるべく面倒事が起きないように僕を気づかってくれたのだ。



「キゼンの主は兄さんなのに……尽くす相手を間違ってるよ」



「……今の主は璃英様です」



 僕はキゼンを背負って自分の家に向かった。無垢姉さんが知っている場所だが、追撃がなかったのだ。帰って問題ないだろう。



「璃英様……今の威乃座家で起こっているのは……」



 僕は家に帰りながらキゼンの話を聞いた。そして、全てを話し終えたキゼンは気を失ったように眠った。


 次の日、僕はいつも通り学校に行った。


 今の威乃座家がどんな状況か知った僕にできることは――いつも通りに過ごすことだけだった。

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