第17話:借金取りの斥候エルフ
がたごとがらごろ、何も変わり映えのしない山道を揺れながら進む馬車。初夏の森林は既に蒸し暑く、あらゆる虫けらが金切声を演奏し、その雑音に混じる馬の足音はさながら聞くに堪えない太鼓のようだ。
「リーフリ、いい子だ。この先の小川で一休みしような」
オレクは時折声を掛けながら馬を御している。ラントシュタイヒャーは先ほどの死体を見たせいか、少し緊張している様子だった。弦を引き絞った状態のクロスボウを手に持ちながら、轍が伸び続ける様子を見つめていた。
その時だった。突然、足元の方から「おーい」という女の子の声が聞こえた。途端、オレクはすぐさま馬を止めるも、この事態が異様だという事に思い至ってかラントシュタイヒャーを見つめる。
ラントシュタイヒャーの頭の中ではこれが何らかの魔物の襲撃の場合と野伏の囮の場合、そして本当に哀れな娘が潜んでいる場合という三つの状況に思い至る。彼は恐れ知らずな、そして騎士道を知る武者の一人だ。
「出てこい」ラントシュタイヒャーはクロスボウを片手に馬車を飛び降り、辺りを見回す。土手下を流れるせせらぎの静けさ、風に揺れる草木の音。彼は五感を集中させる。人間がいると独特の兆候がある。ヒトであれば、焚火をした後の煙の臭いや、長期間入浴せず、香水も使わないことによる体臭、また、逆にやんごとない立場の者であれば香水臭い。潜んでいれば草木の間に鎧兜の一部や武器の一部、肌色が見える事もある。
ラントシュタイヒャーは声が聞こえてきた下の方、土手にクロスボウを向けながら見つめる。「おーい」とまた真下から声がして、ガサガサと草むらが揺れた。
「あんたどこかの騎士? いやー助かった。身なりは良いし盗賊じゃなさそう」
いぶかしそうに首をかしげながらも、クロスボウの射線を変えずに見続ける。
「姿を見せろ」
「分かった。ただ、足を挫いてここを登れないんだ。手を貸しておくれよ、旅の騎士さん!」
草むらから姿を現したのは泥だらけの幼い少女だった。しかし、ただの人間の娘ではなかった。三角形に尖った悪魔のような耳、泥が付いても尚真白な少しカールした少し短い髪。その服装がそいつが何者かを物語っていた。青と白のタバードを身に着け、弓と矢筒と鍔のない片刃の剣を携えている。
その所属と人種は一目でわかった。エルフ。借金取り団の隊員。彼女は湿った川の岸に座り込み、泥で汚れた革手袋を付けた両手を天高く掲げ、敵意が無い事を伝えていた。
◇
ニコラウスの承諾を得て、彼はこの娘を馬車に乗せた。娘は端正な顔立ちだが、それと等身の低さ故に彼女の年齢を不可解にさせる。泥まみれの身体、水を吸って皺が寄った革のブーツを履いており、荷台に座るや否や彼女は武器を全て放棄した。
「いやぁ、旦那方、助かりました。あたしはサエルシギル。しがない傭兵です。旦那方はどちらの一行で?」――サエルシギルと名乗ったエルフの目はこちらを中立とみているが、その目付きの中に警戒はうすらと影を見せる。借金取り団の任務は街道の治安維持。我々がどちらの者かを定めようとしている。
――西方諸国教会の聖職者、軽装だが武器を帯びた御者、そして甲冑を身に着け、ウォーハンマーとロングソード、クロスボウまで持つこの騎士然とした男。組み合わせが珍妙だ。聖職者ならもっと多くの護衛を連れている。仮に聖職者を騙る詐欺師一行だったらあたしはどうなるだろう。
サエルシギルは無意識に自分のブーツの裾を撫でる。その中には短いが近距離であれば人を殺すのに最適な物が仕込まれている。まずは大柄の騎士をしとめたらなんとでも立ち回れるだろう。……それは話を聞いてからだが。
「わしは教皇庁からの任務を受けている。ヘレナ修道会のニコラウスだ。こっちは御者のオレク、そして、この武者はスタニスワフ、冒険者だ」と神父は紹介をする。雑嚢から取り出した書状を見せてみるも彼女は首を傾げた。
ミミズがのたうったような黒いインクが羊皮紙を走っている。赤とか黒の蜜蝋やスタンプが押され、教会のような紋章も書かれている。
「ごめんね、あたし、文字読めないから」
サエルシギルはその後、ラントシュタイヒャー自ら武器を返還した事で一行を信用することにした。
「君は一体こんなところで何をしていたのかね?」
ニコラウスに質問される。一行は借金取りの素性と任務を把握しているが、墓荒らしについては伏せたまま、疑問を投げかけた。
「あたしは斥候をしててね――……」
◇
――三日ほど前。ノヴゴロド市の郊外の村落にはいくつもの純白のテントが立ち並び、昼夜を問わず良い香りの煙が立ち上っていた。
ここは借金取り団の駐屯地だ。なぜノヴゴロド市やチースタヴォダ砦に入らないのかは、この構成員たちの人種の問題であった。
村の中で青と白のタバードを身に着けた兵士がちらほら歩いている。柵で区切られた簡易のサークルでは木剣での模擬戦闘に励み、山のふもとにある射撃場で弓を引いている彼らは皆が真白や黄金の髪の毛を持ち、何よりも尖った三角形の耳を持っているからであった。
エルフはドワーフよりも人間と不仲であり、以前は教会が自らエルフの駆逐さえ行った歴史があり、そして、彼らは人間の神を否定するからこそ共存はできない筈であった。
――一際大きな天幕にはゴルトベルク子爵の紋章を簡易化した、金色のハンマーと剣が交叉した図柄が描かれており、一頭の馬が留められていた。馬には煌びやかな刺繍と染色が施された馬衣が着せられており、鞍も立派な物であった。
天幕の前には番兵のエルフと、恐らくはこの馬の持ち主のお付きの人間の兵士が立っており、互いに存在を認知していないかのように無視しあっていた。
中には一人の人間と一人のエルフがいた。人間の方は若い騎士と言った出で立ち。キュイラスに紋章が染め抜かれた青と白のタバード、立派なロングソードを下げている明らかに貴族か騎士という男。エルフの方は背の高い女だが、甲冑を着ている事を除いても肩幅や腰、腕の太さは都市部の商人や書記官なぞと比べるとまるで丸太のように太い。しかし、その面構えは淑やかで、人間の言葉を唱える度に動く唇はまるで蝶の羽ばたきのようだ。
「ガウリエル殿、次の巡回地点についてたが……」騎士は机の上に広げられている粗雑な地形図を指さす。図に描かれているのはノヴゴロドを中心にした街道の図であり、サレン市やヴェリーキーシュタットが図の端にある。また、街道や山道には所々にバツ印が付けられており、日付まである。……これは何者かに何者かが襲撃された報告について記されている。
騎士が指したのはサレンから伸びる山道であった。ここには多くのバツ印が近い日付で集中していた。
「明日、この地域に向かってもらいたい。閣下の盟友であるアイゼンドルフのラザル卿がここを通過した際、襲撃を受けたそうだ。卿はチースタヴォダに到着召されたが、途轍もない目に遭ったようで、未だに魘されておいでだ」
「それは何とも。クランダ地方、いや、この教皇聖下親征後にこれほど荒れるとは、人間の神というのは気まぐれですな、ザウワーラント卿」ガウリエルは皮肉な笑いを浮かべる。
「そう言うでない、ガウリエル殿。神の御業は謎めいているのだから。これら全てが神の思し召しであり、そして、君たちの存在がここにある事もその通りなのだ」
ザウワーラントは胸の前に一文字を描いた。
「分かりました。我々も閣下の軍門にある身、任務をこなしましょう。装備品や消耗品は配給していただけるのでしょう? そうだ、素晴らしいシュナップスも頂けるとありがたい」
「相分かった。手配しよう」
――あたしは夕刻、団長の天幕の前に呼び出された。15人の団員。皆青と白のタバードを着て、剣や弓、斧やハンマー、それぞれの得物を持って並んで指示を待っている。天幕から現れた団長は淡々と任務を読み上げた。
「南東の領境での狼藉者の処分を仰せつかった。明日、諸君らはそこへ向かい、すべきことをするように。小隊長はユリウス・ハイネマン、貴様に任せる。エルフ諸君はこの人間の同志の指示に従う事を厳命する」
ユリウスは若い人間の団員だ。金色の髪に青いひとみ、細身の耳足らずの男は「承知しました、団長」と言うとあたしたちを見回した。
人間は友達になれない生き物だと思っていたけど、ユリウスはいい人だ。あたしによく焼き菓子をくれる。ノヴゴロドに遊びに行って教会の人たちに追い掛け回されたときもかばってくれた。たとえ人間でも、彼の命令なら従っても安心できる。そういう確信があって、出征の前でも全く怖くなかった。
思うに、借金取り団はエルフばかりで成り立っているけど、あたしも団長も、自我はエルフではない。いわば、借金取りという国の人民、団という家族。ここが国で、ここが家なんだと思う。だから、殺すのも、死ぬのも怖いと思った事は一度もなかった。
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