第8話:仇とか正義とか名誉の話
「……フォン・ヴァイスシルト卿か」
ヤナはバイザーのないバシネットを被り、キュイラスを身に着け、その下には腕と上半身から腰の下あたりまで覆う鎖帷子を身に着けている。装甲があるのは太ももまで。フルプレートではない軽装騎士といった装い。睨め付けるその目がギラギラと輝いている。白と黒の討伐隊のタバードは着ておらず、松明の明かりによってキュイラスは銀色に輝いている。
「俺を殺したいか」
「貴族として、父兄の無念を晴らさねばなりませんわ」
ヤナはロングソードを抜きはらった。身の丈に合っていない剣、重量につられて体は不安定に揺れる。
「ラントシュタイヒャー! 貴殿に決闘を申し込みます。あたくしは貴殿を討ち取ります」
彼女の決闘には名誉が懸かっていた。殺された家族の汚名を晴らす、正当な戦い。これを受けない事は彼女を侮辱することになり、そしてラントシュタイヒャーは自分が誤っていたという事を証明することになる。彼女もまたラントシュタイヒャーを不意打ちしたり、決闘を受け入れない状態で切りかかったりすれば不名誉となる。
ラントシュタイヒャーは頷くと剣を抜いた。「ヴァイスシルト卿の挑戦を受け入れよう」
二人は間合いを取りながらお互いの出方をうかがっていっる。この戦いは体格差でも装備に於いてはラントシュタイヒャーが有利であった。身長も筋力もラントシュタイヒャーの方が格上であり、また、全身を甲冑で覆っているという事は軽い打撃や斬撃、刺突はほとんど効果がない事。
対するヤナも同じように両手でロングソードを握っている。短剣を片手に持たないのは重量を扱いきれないからだろう。
一撃目はヤナが仕掛けた。下段から首元を狙った突きを繰り出すがラントシュタイヒャーはまたもガントレットで弾くとヤナの体は大きくのけぞった。筋力がこの剣の重みを支配できていないのだ。ラントシュタイヒャーはそのまま彼女の側頭部をガントレットを付けた拳で殴り飛ばし、倒れたヤナに対し、切っ先を向けた。
(殺すべきか、生かすべきか……)
戦士として未熟な復讐者。盗賊の子供を殺したのは、彼を生かす必要が無かったからだ。盗賊と言う物は害虫だ。害虫の子供は駆除せねばならない。だが彼女はどうだ、自分を殺したいだけの貴族……。
その一瞬の思考の瞬間、地面に転がっていたヤナは突然腕を振り上げる。ばしゃっと砂が舞い、ラントシュタイヒャーは反射的に目を閉じ、左手で顔を庇った。
「隙あり!」
ヤナは叫んで飛び上がり、空いている左手でラントシュタイヒャーの右手に触れた。その瞬間、じゅうっと言う焼ける音がしたかと思うと、ラントシュタイヒャーの鋼の小手が火に包まれて燃え上がる。ヤナが引き下がるとすぐに火は消えたが、小手は燻り、肉の焼ける臭いがその場には漂っていた。
ラントシュタイヒャーは剣を地面に突き立てると右手のガントレットを外した。その下に履いている革製の手袋が焼けこげ、手も火傷を負っていた。ガントレットは素手では触れられない程に熱くなっていた。
「手を蒸し焼きにされてもうめき声一つとあげないなんて……」
彼女にとって目の前の騎士は驚異的な怪物に写っていた。無から生み出された炎という非現実的な技を食らって利き手に火傷を負っても呻きや恐怖心を見せないという事から、彼が父兄らを嬲殺した事実以上に怪物に思わせた。
「なるほどそういう闘い方があるのか。剣の心得や甲冑武者との戦闘のオーソドックスなやり方を知っていて、その上目潰しのような緊急回避、短剣の代わりに焼く魔法を使うというのか」――目潰しも魔法も卑怯な技かもしれないが、ラントシュタイヒャーの考えでは、外面だけの騎士道ではなく、より実戦的な騎士道に於いてそれらをなんだって使って相手を下すべきであり、ヤナの行動は賞賛に値した。
「お見事だ。貴殿を見くびっていた。どうやら貴殿は立派に戦士であったようだ」
「お、お褒めの言葉、幸栄ですわ、ラントシュタイヒャー」
弱みを見せるまいと、自分はまだ戦うという姿勢を見せつけなければならないという感情からヤナは力強く声をあげると再び剣を構えて突進した。次は両手で剣を持ち、大上段に構え、叩き落す。金属音と共に兜の流線形によって刃が滑り、ラントシュタイヒャーの肩の装甲をわずかにへこませ、自身の腕にもビリビリと衝撃が走った。
ラントシュタイヒャーはすぐには反撃しなかった。ヤナの実力を今一度図っていた。ヤナは次々に技を繰り出す。体をねじる遠心力で、側頭部をぶん殴る。そのまま刃を握って首元を突いたが、キュイラスを滑り、その瞬間ラントシュタイヒャーは刃を脇に挟んで受け止めた。
鎖帷子を甲冑の下に着ている為、押しても引いても刃がラントシュタイヒャーを切り裂くことはない。もし仮に動かすことができても、という話だが。ラントシュタイヒャーは脇をしめ、そのせいで数ミリだって動きやしなかった。
「覚悟なら、できていますわ……お兄さま、あたくしに、力を……」
ヤナの両手が力んだのを感じた次の瞬間、剣が燃え上がった。柄から始まった炎は導火線のように進み刀身を焼き始める。あまりの熱さに驚き、ラントシュタイヒャーは剣を抑えるのをすぐに止めて距離を取った。
ヤナは剣を何度か振って灯した炎を消した。柄の滑り止めの革が一部焼けてはらはらと地面に落ちた。
ラントシュタイヒャーは冷静に相手の技を分析していた。あの野営で彼女が火口に火をともした時の事、右手を焼かれた時の事、さっき剣に火をつけた時の事……総括するに、彼女が火を付けられるのは手元だけだという事は間違いない。そうでないなら最初から刃を燃やしておけば俺が脇で捕まえることはできなかったはずだ。
剣を無事に取り戻したからか少し得意げに見える。普通に剣を握れていることから彼女の手自体は焼けていないのか? いや、じゃあさっきの言葉、覚悟とはなんだ?
「ドラニアではケーニヒスシュタット法で禁じられたが神明裁判についてご存知だろうか」
——ケーニヒスシュタットはその名の通り王の街。ドラニアが王都。この地方からはかなり遠い西方にある。それは王の制定し、王国全土に公布された法。主に治安維持のための法律であり、神が正しき者を守るとい思想の下の神明裁判による非合理的な、煮えたぎる油に手を入れさせたり、熱した金属を持たせたり、あるいは一対一で決闘をさせたりする裁定を禁止させた。
「何が言いたいんですの?」
……ただし、公的な裁判の場面での決闘が禁じられただけで、貴族の私闘としての決闘や馬上試合を禁じた法律ではない。
「神明裁判の決闘では公平を期す為に介添え人や代闘士を用意することができた。それは、決闘者が女や子供、老人、聖職者、もしくは双方の実力が異なる場合の時に」
ラントシュタイヒャーはおもむろに自分の剣を地面に突き立て、ベルトに挟んでいた刃渡り30センチ程の短剣を引き抜く。鋼で打たれた鋭い刃だが、何の変哲もない短剣。
「私は貴殿より強い、装備も経験も。公平を期す為に」
順手に短剣を握った。
ヤナは侮辱されたように感じた。公平を期す為に剣を捨てるですって? 今しがた右手を焼いてやったのに、まだ自分が対等ではないと?
「後悔しますわよ?」
「もとよりそんな人生だ」
決闘は再開する。ヤナの攻撃を避け、時に装甲で受け止める。彼はヤナの剣をその短剣で受け止めることはない。剣やガントレットでそれができるのは重量があるからこそであり、短剣にそれはない。そして、剣は切れなくてもその重量が武器になるが、短剣は鋭さが武器だ。受ければ受けるほど強みはすり減る。
この場でラントシュタイヒャーが勝利する方法は剣を奪うか組み伏せること。しかし組み伏せるとなると彼女の手が厄介。剣を奪うにも炎に触れれば自分がダメージを受ける。
導き出される結論はなんとも正々堂々とは外れていた。
振り上げた剣を躱す。次の瞬間、ヤナの脛を鉄靴で思いっきり蹴り飛ばした。彼女はクリーブを付けていない。綿入りズボンを履いていたが、完全に衝撃を吸収するには足りなかった。
転倒するヤナ。ラントシュタイヒャーは隙を見逃さず、彼女の剣を手に取り、首に突き付けたがすぐに切っ先をヤナの首元から外した。
「な、なにを……どうして殺さないんですの……⁉」
ヤナは兜を脱いで投げ捨て声を張り上げた。その細い目が潤み、唇を強く噛み締めている。生き恥だ。決闘で負けたのに、慈悲を掛けられている。恨んでいるから殺そうとした相手に慈悲を掛けられている。その事実がたまらなく腹立たしい。もし自分が教皇ならばこの場で怒りのあまり死ぬかもしれないくらいに。
「俺は貴殿よりも強い。それは今この時まで練磨を続けていたからだ。若い騎士である貴殿は未だ経験は浅い。だが筋は良い実戦的な兵士だ。これから鍛錬を積めば俺よりも強くなれる、ここで殺す事は惜しく、この剣で貴殿を殺すことなどすれば、御父君や兄君も余程無念であろう」
ラントシュタイヒャーはディトリヒを埋めた場所に置きっぱなしになっていたタバードを小脇に挟んで、手を差し伸べた。
「名前も上げられよ。名が上がればより良い仕事に巡り合う事もできる」
ヤナは差し伸べられた手をにらみつけたが、自分が貴族であり騎士であるからこそそれを取り、剣とタバードを受け取った。
決闘とは名誉を懸けたもの。少し前までは神明裁判に決闘は利用されていた。勝者が正しく、敗者が間違っている。そういう風習は未だ古くはない。
立ち上がったヤナは剣を拾って鞘に納めるとすぐに走り出そうとしたがラントシュタイヒャーはそれを呼び止める。
「フォン・ヴァイスシルト卿、サレン市の城門は夜間には閉ざされているだろう」
彼女は無言で踵を返し、まるで「どうすればいいのか」というような視線を送る。
――二人は野営をする事にした。ディトリヒの隊が残した松明で焚火を起こし、そこに座った。気まずい沈黙。ラントシュタイヒャーの座るすぐそばは掘り返された地面の痕があり、彼が殺した相手が眠っている。ヤナには正直疑問で仕方がなかった。人を、それも旧友を殺したというのに彼は平然とポケットから出した干し肉をあぶって食べている。視線に気が付いたラントシュタイヒャーは干し肉の切れを投げ渡した。
「……何の肉ですの?」
「鹿だ。もしかしたら、ヒトかもしれない」
「馬鹿言わないでくださいまし」
ヤナも同じように木の枝に突き刺して肉をあぶる。香ばしい匂いが漂う。
「ラントシュタイヒャー、貴方、どこかで既に気づいていましたわね?」
決闘を申し込んだとき、彼はすんなりと受け入れた。彼女が損なわれた名誉を奪い返すための戦い、奪ったかもしれない者としてそれを受けないといけない。騎士の端くれであるなら猶の事受け入れなければ、自分の過去の行いが誤っていたと何もせず証明するに等しい。
……ラントシュタイヒャーは旧友を殺しても尚、自分が確実に悪であったとは思えなかった。王の家臣は王の思う事を、修道士は神の思う事を、領主に仕える騎士は領主の思う事をそれぞれ行う。あの会議の場に自分を含めて悪人はいなかった。各々の正義がぶつかり、それがたまたま強大すぎて自分たちは悪の烙印を押された。
実際問題、王の力が完全に及ばない封建領主の領域に対して軍隊を派遣した教会の行動は非常に受け入れがたかった。どこの領主も異端審問などの口実で教会関係者が武装して立ち入る事を嫌っている。それが大部隊となれば猶の事だ。
ラントシュタイヒャーはやや遅れて「ああ」とだけ短く言ったあと黙り込む。実際、ヴェリーキーシュタットのギルドの時点でもしやと言う事を思っていた。自分の叩き殺した相手が宗教騎士団の修道士だったこと、そしてこの少女の名乗り。まさに神の御業は謎めいている。
「ねえ、ラントシュタイヒャー。良ければ、家族を手に掛けた時の事を話してくださらない?」
ヤナは目を伏せながらそう尋ねた。彼女の言葉にはラントシュタイヒャーへの敵意や殺意は少なく、どうして敬虔な修道士たる父兄が死なねばならなかったのかという疑問があった。
ラントシュタイヒャーは「福音書は何語で書かれているか知っていますか?」とだけ聞いた。
「
「何年も前だが、私の主人の領地でミハウとかいう商人によってドラニア語に訳された福音書が出回った事がすべての起こりだった」
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