第3話 競馬しようぜ

「……ちっとな」


 視線をこちらから逸らしながら、けれど胸に溜まったつかえを吐くようにそう口にした田島は、膝の上にモツ煮を置くと、自分の割り箸を割ってモツを口に運んだ。


「……ほんと、酒が欲しい味だよな、モツ。うまいのにもったいない」


 噛み締めるように何度も顎を動かして食べたモツを飲み込んでから、ほうっとぼやきを白い息とともに吐いた田島は、観念したようにぽろぽろと言葉を漏らし出した。


「酒、ダメになっちまってな。白状すると、末期ガンなんだ、俺」


 俺はうっすらと想像していた悪い予想の的中に動揺しながら、それを押し隠し努めて冷静な口調を取り繕って田島に訊く。


「……おまえ、死ぬんか?」

「最近ホスピスに移った。抗ガン剤やら放射線やらいろいろ闘病したけど、なんかもうキツイだけで治らんみたいだから諦めた」


 ホスピス――緩和ケアともいう、死期の近い病人を対象に延命処置を行わず、身体的苦痛を和らげながら精神的援助をして生を全うできるように行われる終末期医療のことだ。田島は闘病の証拠のように頭のニット帽をずらし、髪のまばらに抜け落ちた頭を見せ、羞恥に耐えられないようにすぐに元に戻した。


「だから呼び出したのか」


 今日、競馬に誘われた理由に腑が落ちた。うなずく田島は申し訳なさそうな顔をしながら続きを話そうとしたが、うまく言葉が見つからないのか口を開いたまましばらく固まってしまい、仕切り直すように頭をガリガリと掻いた。


「なんだが……いかんわ。ああ、話しにくいな。こっちから切り出さにゃいかん話題なのに、うまくないわ、ほんと。ああ、友達にカッコ悪いとこ見せたくないわ。だからこうなっちまったってなかなか言えんくて、こう、ずるずる今日になっちまったっていうか――あれだ、その、すまんな」

「言ってる時点でカッコ悪いと違うか?」


 そう謝る田島に敢えて笑って言ってやると、田島は一瞬目を丸くした後に「それなぁ」と顔を綻ばせながら言ったので、俺も「そうだよ」と笑った。そして「モツ煮食おうぜ」と声を掛け、二人で少し冷め始めたモツ煮をつつき合い、「うめぇな」「うまい」と言い合いながら、「やっぱ酒がなぁ」「ほんと酒がありゃなぁ」とそれぞれにお茶を飲みつつ、モツ煮を完食したのだった。

 食べ終わると沈黙が訪れた。オーロラビジョンから出走のファンファーレが鳴り、馬蹄とともに京都第10レースの実況が流れ出す。


「……泣きたくねぇなぁ」


 それをぼんやりと眺めているぽっかりとした空間に、田島のそんな言葉がポッと浮かんだ。横を見ると田島が赤い目をしてレースを見ている。だから俺は田島に許した。


「泣けよ」

「やだよ」

「泣け」

「やだ」

「泣かすぞ?」

「いじめ?」


 そこまで言って笑いながら田島はようやく涙を流し始めた。俺はその背中をさすりながら、しばらく田島の気が済むまで泣かせてやった。

 冬晴れの空の下にレース結果の放送と田島の嗚咽が流れ、それが終わる頃に田島は顔を上げた。


「……すまんな、いろいろ」

「うんにゃ、嬉しいよ。電話くれて」

「嫁や子供の前でも泣かなかったのになぁ、なんかダメだわ、やっさんの横だとダメだわ。ロクに連絡もしないで不義理だったのに、ほんとすまんわ、すまん――」

「いいって」

「すまん……」


 目尻を拭きながら繰り返し謝る田島に、前を見るようオーロラビジョンを指差す。


「まあさ、今日は競馬しに来たんだ」


 画面に映るのはファンファーレが終わるとともにスタートゲートに入っていく馬の映像。中山第10レースが始まる。


「競馬しようぜ」


 ゲートインと同時に馬たちが走り出す。

 田島はうなずいた。

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