第2話 モツ煮

「このあたりでいいんじゃないか?」

「よっしゃ」


 暖かい屋内の一般席はだいぶ埋まっていたため、屋外の席を確保することにした。ときおり吹く風は冬の冷たさを感じさせたが、幸いにも南向きに並ぶ屋外席は日当たりがよく、冬晴れの陽だまりはコートとマフラーでがっつり防寒していると少し汗ばむほどの暖かさだった。


「拠点設営」

「ただ荷物置いただけだろ」


 そう座席にカバンを置いた田島にツッコむと、「人と金が漂流する競馬場には、帰れる家が必要なんだよ」とわかるようなわからないような反論が返ってきた。こういう謎理論を田島は昔からよく口走り、俺はそれを特に否定せずに「なら俺は家を守ってお留守番でもしてるか?」といった風に乗っかって進むのが俺たちのいつもながらの会話だった。


「おう、留守の家は任せたわ。じゃあ、ちょっとマークシート取って来るぜ」


 田島はサムズアップした手で俺の肩をぐっと押すと、投票所の方に勝ち馬予想を記入する馬券購入用のマークシートを取りに行った。

 一人になった俺は、とりあえず席に座って田島の置いていった競馬新聞を開く。正面のオーロラビジョンには京都第9レースのレース結果が流れている。有馬記念は中山第11レース。出走は15時40分。あと1時間半ほどである。今から出走馬を確認して予想を立てるのだからあまり時間はなかった。競馬新聞の出走馬のデータに目を走らす。


「しっかしこれは、本当に予想難しいな……」


 1番人気アーバンシックのオッズ2.8倍は先ほどチラッと見たが、2番人気のダノンデサイル4.0倍、3番人気ベラジオオペラ7.1倍となると、オッズ10倍台の馬が三着までに入るチャンスはいくらでもあると考えていいだろう。本命不在のレースの難しさである。

 そうレース予想に頭を回しながら、しかしこの思考の合間に途切れ途切れに浮かぶのは、さっき田島が俺にくらわせた肩パンの弱々しさだった。


「腕、細かったな……」


 田島は太ってこそいなかったが、いわゆる中肉中背の平均的な体格で、あんな痩せぎすのような腕ではなかった。もしかしたら――、


「ほい、ただいま」


 その思考に割り込むように頬に熱いものが押し付けられた。


「あつっ! なに?」

「茶。ほれ」


 振り返ると左手に二本のペットボトルのお茶、右手に湯気を上げる発泡スチロールの丼ぶりを持った田島がいて、お茶を一本俺に渡しながら隣の席に座る。


「いくら?」

「こんくらい黙ってもらっとけ。あと、ここのモツ煮うまいぞ」


 熱々のお茶をお手玉しながら訊くと、田島は右手に持った丼ぶりを俺の前に突き出す。トロトロの汁の中に柔らかそうなシロモツとこんにゃく、その上にたっぷりの刻みネギが七味とともに掛けられたモツ煮のうまそうな姿が見え、味噌とネギと七味の香りが湯気とともに刺激的に鼻に通う。そこに差し渡される割り箸。


「あつうまっ」


 大きめに切られたモツを口の中に入れると、一口目の熱さの向こう側からモツの脂と濃い目の味噌のよく絡んだ煮汁の味がショウガや七味の刺激とともに舌に広がる。そして歯に伝わるモツのホロホロとネギのシャキシャキとした食感がうま味を口の中に攪拌していく。

 これを十分に味わいながら咀嚼して、お茶で喉の奥へと流し込む。うまかった。けれど物足りない。その要因は明らかで、だからこそ湧き上がる違和感を田島に向けて口にする。


「酒を買って来てないのが意外」


 昔は「酒飲み観戦こそ競馬の醍醐味」といったノリで、頼んでもいないのに二人分のビールに、牛串やフライドポテト、唐揚げにおでんなんかのつまみをセットで買ってきては「勝ったら奢るぜ。なんなら寿司もつけてやるよ」と勝敗結果で無料になったりならなかったりする酒を飲まされていたことを思い出す。だから田島はモツ煮なんて買ってくればビールも当然のように買ってくる男のはずだった。


「うん? ああ、それもそうだな。買ってくればよかったな――」


 しかし田島の反応は歯切れが悪く、なにか誤魔化すか話そうか迷うように視線を泳がせて苦笑する様子に、俺は先ほど浮かんだ疑問をぶつけた。


「……病気でもしたか?」

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