第2話 足りない罪悪感

***


 麻衣子から電話があった。私はそれを取る勇気がなかった。先生とのこと、どうなったか訊かれるはずだ。でも、電話を無視したということ自体が答えになってしまうのかもしれない。

 私はスマホを手して、部屋をぐるぐると歩いた。

 やっぱり無視はよくない。電話をするしかない。

「麻衣子?」

「馨。どうしてるかなと思って。忙しいの?」

「うん、まあ」

「先生と会うのにじゃないよね?」

「……それは……」

「馨は嘘つくのが下手だよね。会ってるんだね、先生と」

「うん……」

 大きなため息が電話越しに聞こえてきた。

「その歯切れの悪さ、もう一線超えたの? 聞くべきじゃないかもしれないけど」

「麻衣子。先生は悪くないの。私が自分からキスして想いを伝えてしまったから」

 私は咄嗟に先生を庇った。

「でも、応じたんでしょう? 保科先生。

馨。あんたもあんただけど、先生も先生だね。なんかがっかり。小中学生に勉強を教えてる立場でありながら不倫って、最低」

 軽蔑のこもった声に、私は何も言えなくなった。でも、麻衣子に先生のことを悪く言われるのは悲しかった。

「馨。馨は長年想っていた人とそういう仲になれて、今ははっぴーで何も考えられないかもしれない」

「うん……。まあ、複雑な関係ではあるけど幸せは感じてる」

「馨は悪いことしてる自覚は、あるんだよね?」

「そりゃ、少しは……」

「でもね、ちゃんと考えて欲しい。先生には家庭があるんだよ? 馨、自分の父親が若い子と不倫してるってなったらどう思う?」

 麻衣子の言葉に私は想像してみる。

「うーん。もう私も子供じゃないから、凄く悲しいまではいかないけど、でも、なんかお父さんも男なんだと思うとちょっと嫌かも」

「先生の子供はうちらより小さいんじゃない? そしたらかなりショックだと思うよ」

「……」

 それはそうだろう。

「奥さんからは恨まれるだろうね」

「……そうだね」

 私は気まずくなった。自分のしてることは周りを不幸にする。望んでではないけれどそうなのだ。それでも、先生と会うのをやめたいとは思えなかった。

「それに、不倫は人にバレたら最悪だよ、きっと。先生は皇学館、やめさせられるだろうね」

「そ、そんなことになる、かな?」

「塾は評判気にするでしょう。馨は馨で、家族のいる男と寝てるって、周りからひかれるよ」

「ま、麻衣子もそう思ってるの?」

 スマホがなんだか汗で滑る。私は何度も持ち変えた。

「私は……馨とは親しいから、ひきはしない。でも、友達としてどうかとはやっぱり思う」

 さすがに麻衣子にもそう思われているんだと思うと胸が痛んだ。

「だから、ハッピッピな気持ちを少し抑えて、考えてみて。自分がしてること」

「……それでも私が先生と会い続けたら?」

 麻衣子はちょっと黙った。そして、一息吐いた。

「私は言うこと言ったし、もうあとは知らないよ。でも、秘密の関係を続けるって難しいよ? そのうち痛い目見ると思う」

「……長くは続けられないのはどこかで分かってるの。でも、私、やっぱり保科先生が好きで好きでたまらないの。この気持ちをどう昇華したらいいかわからない。だから、先生に受けとめて欲しいと思ってしまう」

「馨の気持ち、なんでそこまでなっちゃったのか私には理解できない。でも、身を滅ぼす恋だよ?」

「そう、だよね……」

「まあ、馨がどうなろうが、先生がどうなろうが、私には構わないけど、馨は私の親友だから見捨てはしないから。で、も! マジでやめた方がいいと思うよ! 友達だから言うんだよ?」

 語尾を強めて麻衣子が言った。

「麻衣子……。ありがとう。考えてみるよ」

 私はそう言って電話を切った。

 麻衣子の言うことは今回も正しい。頭では分かる。でも気持ちはそう簡単に区切りをつけることなど出来ない。

 ただ、先生が職を追われることになるのは嫌だ。誰にも気付かれないようにしないと。 

 私は先生と自分のことしか考えていなくて、先生の奥さんや子供については、多少の申し訳なさはあれど、深く考えられなかった。それほど今の関係に固執していた。



 この関係はいつまで続けていられるだろう。

 普通の恋愛のゴールは結婚だと思うけど、この恋のゴールは結婚にはならない。先生は家庭は捨てないと言ったし、私もそこまで望んでいない。

 なら。この恋は成就されることは永遠にない。

 先生の代わりに他の男性と付き合っていた時より遥かに今の方が幸せだ。でも、結局、いつかは終わりが来る関係。私は崖の上から下を覗き込んでいるような不安に襲われた。

 生徒と先生のままの方がよかったのだろうか。

 でも、今更引き返すことなんてできないんだ。

 後悔はしないと自分に誓った。でも、不安は残った。

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