ぴりぴり

 その後。志希先輩はしばらく私を抱きしめたと思ったら「元気になったから戻るね」とさっさと部活へ帰ってしまった。それはもうご機嫌で体育館にやって来たらしく、全てを察した晴琉から夜に電話がかかってきたのだった。


『おめでと』

「何が?」

『いやいや、志希先輩の浮かれっぷり見てたらわかるよ。付き合ってんでしょ?』

「あー、うん……ごめん。私から言わないとだよね」

『全然大丈夫』

「……葵も気付いてた?」

『葵どころかみんな分かってるよ。鈍いとか言われる私ですらすぐ分かったんだから』

「そっか……」

『本当に見せてあげたかったな。あの浮かれっぷり』

「そこまで言われるとちょっと恥ずかしい」


 それからしばらく晴琉と無駄話した後に通話を切った。


(葵も知ってるんだ……)


 志希先輩には申し訳ないけれど、葵から直接「おめでとう」なんて言われて平気なほど、まだ気持ちは切り替えられていなかった。ただ葵に何も言わないのも気持ち悪くて。


〈志希先輩と付き合うことになった〉


 悩みに悩んで日付が変わる瞬間にシンプルなメッセージを送ったのだった。しかし朝になっても、葵から返事が来ることはなかった。



「やっぱり付き合ってたんだ」「ほらね」「えぇーいいなぁ」――


 翌日登校するとすぐに、わざとなのか無意識なのか分からないけれど、私に対する陰口や羨望の眼差しやら色々な混ざった他人の感情がのしかかる現実がやってきていた。仕方がない。志希先輩はそれほどに目立つ存在なのだから……それより葵の事が気になっていた。メッセージは遅かったとはいえ葵が寝る前に送れたと思ったのに。朝練もあるだろうから返事を忘れているとか?……スマホをしきりに気にしていたら、ちょうど通知が来た。たった一言。


〈お昼に中庭で〉



「どしたの、葵」

「どしたのじゃないでしょ。上手くいったんでしょ?おめでと」

「え、あー、うん」

「何その反応。せっかく直接言いたくて呼んだのに」


 直接言われたくなくてメッセージを送ったのに。中庭のベンチで葵と並んでお昼ご飯を食べる本来ならば楽しい時間なのに、私は機嫌が悪くなりそうなのを隠しながらお弁当のおかずを口に運んでいた。


「……ねぇ、もしかして志希先輩、嫉妬深いとかあるかなぁ」

「うん?何で?」

「後輩の葵が円歌と一緒にお昼とか食べてたら嫌かなって思って」

「んー?そんな心狭いことないと思うけど」

「それならまぁ……後さ、遊園地行ったとき買ったキーホルダー、大丈夫かな。なんだったら後で返してくれていいよ」

「ん?だって晴琉もお揃いでしょ?三人でなら良くない?」

「違うよ?」

「え?」


 私のポカンとした間抜けな反応を見て、葵は何かを察したようだった。


「あぁ、晴琉に渡したヤツのこと?あれは晴琉が髪が伸びてきて部活中に邪魔だって言うから、ヘアゴムあげたの。美容院行くの面倒だから伸ばそうかなぁって言ってたし。まぁたぶん結局邪魔だって騒いで切ると思うけど」

「……そうだったんだ」


 そういえば。あれから晴琉があのキーホルダーを何かに付けているのを見たわけではなかった。思い込みって恐ろしい。


「それで大丈夫かな?実は今日、カバンにつけて来ちゃったんだよね」

「……普通は嫌なのかな。志希先輩ってそういう次元にいる人じゃない感じするけど」

「んー……まぁ、良いことではないよね」

「そっか……じゃあカバンにつけるのは止めておこうかな。ごめん葵」

「うん、大丈夫」

「でも返すのはヤダ。せっかく葵が買ってくれたものだもん。部屋に飾るよ。志希先輩もそれくらいは許してくれるんじゃないかな。一応言っておくし」

「わかった……なんか、その、円歌の家に泊まるとかも、もうダメだよね……」

「お泊りかぁ、どうだろ?志希先輩ってそういうの気にするのかなぁ?想像つかない……まぁ別に葵が私と話したいことがあればいつでも聞くし、一緒に出掛けるとかも事前に先輩に伝えればよくない?」

「……そうだね。なんかごめん、変なこと気にして」

「大丈夫だけど……」


 葵に言われてようやく私も気が付いたというかジワジワと実感が湧いてきたというか……そっか、志希先輩と付き合うということは、葵や晴琉との関わり方も変わるということなんだ。今更ながら気付いた当たり前の事実。でもそろそろ変わるべき頃なのかもしれない。この長く続いた、ただの幼馴染の関係も――


「葵がそんなに寂しがるとはねぇ」

「ごめん……」


 葵をからかうように言ったから、てっきり「そんなことないし」とか「調子乗るな」って突っ込みが返ってくるかと思ったのに。意外な反応に驚く。今日の葵は随分素直なようだ。


「ねぇ謝らないでよ。別に葵と親友じゃなくなるわけじゃないでしょ?」

「……そうだね。うん。そうだよね……志希先輩と何かあったらすぐ相談してね」

「うん。わかった……葵もさ、恋人出来たら教えてよね」


 私なりに意を決して、幼馴染としてもっとお互い理解のある関係になろうと思って告げたのに。


「……葵には――」

「え?」


 返ってきた葵の言葉は、びっくりするくらい小さくて私にはよく聞こえなかった。聞き返そうとしたら葵は立ち上がってしまい、機会を逃してしまう。


「なんでもないよ。そろそろ戻ろう?」


 先に立ち上がった葵は私の方を振り返り手を差し伸べようとしたけれど、すぐに気まずそうな顔をして手を引いてしまった。


「葵?」

「……なんでもない。ほら、戻るよ」


 そっか。もう葵と手を繋いで歩くことも、これからは出来ないんだ。葵は手を繋ぐことはなく、私を置いていくように先に歩き出してしまった。



 それから一週間ほど経ち、夏の暑さが本番を迎えた七月の初めのことだった。下校するために昇降口へ向かっていると、血相を変えた晴琉が走って私の腕を引っ張ってきたのだった。


「円歌!早くこっち来て!!」

「急に何!?」

「葵と先輩が!何か揉めてて!」

「え?」


 どちらかというと温厚で人見知りな葵が?学校でケンカ?晴琉が私を頼るということは、先輩とはおそらく志希先輩のことだろう。先輩だって上級生として部活で叱ることはあるらしいけれど、人と揉めるような雰囲気もないし、気の荒い性格とは思えなかったのに――


「ほら、あれ!」


 昇降口に着くとそこには人だかりができていた。晴琉が連れてきてくれた中心には葵と、予想通り志希先輩が立っていた。葵は珍しく眉間にしわを寄せて訝し気な表情を浮かべ、先輩のことを睨みつけている。かといって先輩の方はというと、いつも通り余裕そうな表情を浮かべていた。状況が全く分からない。一体何があったのだろう。


「あっ!円歌ちゃ~ん!」


 志希先輩は私に気付くと顔をほころばせて手を振ってきた。葵も私に気付いて、そしてとてもバツの悪そうな顔をしている。


「ねぇねぇ聞いて!葵ちゃんがさ〜。私から奪ってやるって宣戦布告してきたの!」

「はい?何をですか?」

「ちょっと先輩っ!」

「うん?レギュラーを。ねぇ?」

「……そうですね」


 志希先輩は葵を弄ぶように会話を続けているように見えた。先輩が話す度に葵は語気を強めたり、急にふてくされたような態度を取ったり。私はこんなに感情を揺さぶられている葵を見るのが初めてで困惑しつつも、なんとか言い合っている原因を探ろうとする。


「えっと、なんで今それで揉めるんですか?」

「揉めてなんかないよ?だって円歌ちゃんが葵ちゃんと晴琉ちゃんがレギュラーにならないと部活見に来てくれないっていうからさ〜。葵ちゃんに発破かけてたっていうか?」

「なんで葵にだけ?」

「ん?晴琉ちゃん今度の試合スタメンだよ?」

「「えっ⁉」」


 葵と晴琉は志希先輩の言葉に同時に驚いていた。いや晴琉も知らなかったの?


「だから葵ちゃんも頑張ってね〜って話ししてただけだよ。ねぇ?」

「……そうですね」


 絶対それだけじゃないでしょ。ちゃんと話を聞きたかったけれど、いつの間にか葵はいつもの涼しい顔に戻っていて、志希先輩は相変わらずへらへらしていた。そうなるとこれ以上追及する空気ではなくなってしまう。


「じゃあ部活に行きましょ~……と、その前に」

「先輩?どうし――」


 志希先輩は私との距離を詰めると、そのまま頬にキスをしようとした……けれど。


「させるかぁ!!」


 私と先輩の間に晴琉が体ごと割り込んできて未遂に終わる。


「なぁあんで晴琉ちゃんが邪魔するのぉ?」

「なんか浮かれててムカつくんで!」

「なぁにそれ~?」


 これが晴琉の言う「姉にケーキの苺を取られる」ということなのだろうか。確かに目の前で言い合う二人はケーキを取り合う子供の姉妹のように見えるけれども。


「葵、私って美味しそう?」

「何言ってんの」

「円歌ちゃんは美味しそうだよぉ?」

「何言ってんだ!もう行きますよ先輩!」


 葵はすっかり普段の様子に戻り、私に呆れたように突っ込みを入れてくれた。晴琉は志希先輩に突っ込んだ後に首根っこを掴むと、そのまま体育館へと引きずるように連れて行ってしまった。


「行っちゃった」

「葵も行かなきゃ」

「私はもう帰るね」

「うん……あと、絶対手に入れるから」

「ん?レギュラーのこと?」

「……そうだね」

「そっか。応援してるからね」

「ありがと」


 葵は私に手を振ると足早に体育館へと向かって去っていった。何だかヒヤヒヤしたけれど、葵の目にいつも以上にやる気が見えて嬉しくなっていた。普段ロクに部活を見に行くこともないくせに、二人が出る試合を応援できる日が早く来て欲しいと初めて思えた。


「頑張れ、葵」


 体育館へと向かう葵の背中にエールを送り下校する。帰り道をのんびりと歩きながら、ふとついさっきの出来事を思い出していた。


(……あれ?)


 志希先輩が「葵ちゃんが私から奪ってやるって宣戦布告した」って言ってたけど……葵がレギュラーになったからって、志希先輩がレギュラーじゃなくなることあるのかな。ポジションの種類とかよく分からないけれど、性格が真逆の二人が同じポジションとは想像がつかなかった。まぁ性格がポジションに関係するかどうかとか、全く分からないけれど。

 っていうか、もし二人の間でレギュラーの交代が起きるのなら……私、応援に行くの気まずくない?

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