第3話―なろうとする男

 ―――――――――――――――――――――


 暗い天井。

「…………」

 起き上がる。自分の部屋。……そうだ、あの化物を倒したあと気を失ったんだ。

「あー……」

 いつの間に部屋に戻ってきたんだ、俺は? 記憶が無い。未神に運ばれたのか?

 良く分からないが、戦闘の証のように全身に疲労感が残っていた。あの戦いが嘘でも幻でもないことを俺に伝えている。

「ん」

 手元に銃が落ちている。未神に渡されたもの。ついさっきまで、俺は闘っていたのだ。なんだかそれは現実味の無い話に思える。誰かと本気で戦ったことなんて当然無い。それくらい平和な環境で生きてきた。

 幾ら攻撃したって死人は出ない。それは知っている。けれどあの時、俺は確かに殺意を抱いていた。

 別に、あのおっさんを殺したいほど憎んでいたわけじゃない。あのおっさんのせいで死んだ人間だって居ないのだから。けれど自らが力を手に入れた時、奴を殴った時、反撃された時。自然と俺は奴を殺したくなっていた。

 初めて知った。暴力は気持ちがいい。今までそう思わなかったのは、別に俺が優しいからじゃない。他人を殴るだけの力が無かっただけなのだ。

「…………はは」

 つまりそれは、力を持って暴走したあのおっさんと同じだ。

「おーい?」

 暗い部屋の中。姉が入ってくる。

「ノックくらいしろよ」

「そんな文化もあるねぇ」

 非文明人らしい姉は勝手に電気とテレビを点けた。

「何の用?」

「んー、何かばたばた聞こえたから。どうかした?」

「……そんなうるさかったか?」

「そうでもないけど……ていうか、いつの間に帰ってきてたの?」

「へ?」

「何か帰りが遅いなぁって思ってたらいつの間にか部屋にいたし」

 その辺り俺も記憶が無い。未神が魔法か何かで部屋に送ったのだろうか。

「まぁ、特になんでもない。思春期ゆえの突発的暴走だ。心配させて悪かった」

「そっかー、あきら、思春期なのか〜」

「ああ。そういうわけだ。安心して自分の部屋に帰ってくれ」

 考えたいことはいっぱいあった。何も考えずに寝ていたい気もした。どちらにせよ姉は邪魔である。さっさと部屋を出ていくよう手で合図すると、何を勘違いしたかこちらに寄ってきた。ぼふっと音を立ててベッドに座る。

「……何?」

「べつにー」

「用が無いなら出ていって欲しいんですけど……」

「んー、まあいいじゃん」

「?」

「ゲームしよ。バーチャロフね」

 姉が近くにあったハードの電源を入れた。

「どうしたんだよ、本当に」

「思春期はね、一人でいるのも大切だけど。ずっと一人じゃいけないんだ」

「…………」

「ほら、わたし思春期だから」

「お前かよ」

 一瞬でも何か考えた俺に謝れ。

 結局姉は2時間くらい部屋に居座っていた。何だか、日常に帰ってこれたような、そんな感覚がする。

 バーチャロフは負けた。


 ―――――――――――――――――――――


「ん、どうぞ」

 南棟3階、空き教室。今日も未神蒼は西陽の中にいる。今はない羽が一瞬見えたような気がした。

「やっほー依途くん、よく来たね」

「聞きたいことがある」

「なに? スリーサイズ?」

「決まってんだろ。昨日のことだ」

「そりゃそっか」

 おどける未神。白髪はくはつが揺れる。彼女がこの前と同じペーパーバックを机の上に置く。こいつ、冗談なんか言うのか。

「ぼくの魔法……きみたちがロストブラッドと呼ぶそれは、単純に不死現象というだけじゃないのさ」

 近くの椅子を引いた。真向かいに未神の顔がある。僅かに視線を逸らした。

「さて、長い話になりそうだ」

「まずは一番訳の分からないのから聞くぞ。何で人が変身する」

 あのおっさんは炎に焼かれ、俺は自らの頭を撃ち抜き、共に醜い化け物と化した。ヒーローと呼ぶにはあまりにグロテスクで、怪物と呼ぶには人の形を取り留めすぎている。

「ぼくが才能ちからの種を撒いたんだよ」

「種?」

「そう。死なないのはいいことだ。でも、それだけじゃつまらないだろ? だから人類が更なる能力を手に入れられるようにしたんだ」

 ……こいつ、ロスブラだけじゃ飽き足らずそんなことまでしてたのか。

「それがあの化物に変異することだと?」

「ううん。本来、ぼくが撒いたのは種。芽が出るのはもっと先になるはずだったんだけど……ごく一部の人間がそれを強制的に萌芽させてしまったんだ」

「望んだ結果でないと?」

「うん。……萌芽を促しているのはデストルドー。死にたい、殺したいってことさ」

「そんな馬鹿みてぇな条件なのか」

「うん。……これ」

 未神がライターを取りだした。……昨日あの男が持っていたやつだ。回収していたのか。

「きみの銃やこのライター……トリガーによってデストルドーの形象化、つまり自殺や自傷を行うことによってきみたちは変身する」

「随分陰気なヒーローだな、おい。人気でないぜ?」

「人気が欲しいならそもそもきみを選ばないよ」

 もっと言い方があるだろ。

「昨日のあの人だけど、警察を呼んでおいた。もう暴れることはない。偉いでしょ?」

「ああ。偉い偉い」

「ふふん。……それで問題がある」

「?」

「ああいう事件は今後も起こるだろう、ってこと」

「!」

「このライターがわたしが作ったものじゃない以上、別の原因や誰かの手によってトリガーが生み出されるってことだ。つまり、また異形化する者が現れる」

 あれで終わりじゃない、ってことか。また誰かが、異形の力を使って暴れるかもしれない。

「警戒の必要がある。……そうだ、依途くん。喉乾かない?」

 彼女はカバンから水筒を取り出すと、近くにあった紙コップに中身を注いだ。

「自家製だから嫌じゃなければ、だけど」

 赤く透明な液体がそこにあった。飲んでみる。

「アセロラジュースか」

「うん。幾つかベリーを混ぜたやつ。美味しい?」

「ああ、美味い」

 市販でよくあるそれより酸味がはっきりしていて爽やかだった。ベリーの香りもたっている。

「そりゃよかった。自信作だからね」

 彼女も水筒の蓋をカップにしてジュースを注いでいる。ごくりと一口飲んで、笑顔を浮かべた。陽射しがカップの赤い水面を照らす。

「さて、盃も交わしたところでぼくの番だ。話をさせてもらうね」

 どうやら盃だったらしい紙コップを見つめていると、彼女が紙っぺらを俺の前へ差し出した。

「……入部届?」

「思春期同好会へようこそ、依途くん!」

 あくまでにこやかに、未神はそう言った。入部届には俺の名前以外全て記入がなされている。部活名は思春期同好会、部長は未神蒼、顧問は空欄。

「はぁ?」

「さぁ、サインを」

「待て。俺はこんな恥ずかしい名前の組織に属したくはない」

 未神はいつもの笑顔のまま……いや、普段の3割増ほどの笑顔で入部届を押し付けてくる。不覚にも一瞬可愛らしく見え、恐ろしくなって頭を振る。

「まあまあ、サインを」

「人の話を聞け」

「そうだね、サインを」

 未神が俺の手にペンを握らせてくる。いや、触るなよ。痴漢だぞ。

「何なんだよ……だいたい、何をするところなんだここは」

「ん」

 彼女が黒板を指差す。大きな文字で『世界変革!』と書かれていた。

「……同級生に政治の話をされるのはもう少し先だと思ってたが」

 何をするのか知らないが、少なくとも平和を脅かしそうな四字熟語だ。知り合いが言い出したら遠ざけること間違いなしである。

「違うよ、依途くん。政治なんて優しいものじゃない」

「は?」

「言ったでしょ? 死ななくなるだけじゃつまらない。ぼくはこの世界に、人類社会に、介入する。……政治じゃない。暴力だ」

 尻尾を見せた。馬脚を露わした。正体を晒した。多分そう言う語彙に当てはまるようなことを彼女は宣った。一部の狂いなくテロリストの犯行予告である。

 こいつには関わらないほうがいい。俺の理性も直感も危険信号を出していた。けれどそれに不似合いなほど、穏やかな笑顔を浮かべている。……美しいとすら、感じた。

「は、はは……」

 俺も笑っていた。怖いはずなのに。

「これから世界が更に動く。加速し始める。乱雑に、無造作に。当然だね、人が死ななくなれば常識から何もかもが変わる。……そうなると、誰かが舵を取らなくちゃいけないね?」

「なぁ」

「なに?」

「俺、逃げた方がいいのかな」

「逃がさないよ」

 いっそう彼女の笑みが深くなる。怖いはずなのに、抜け出せないような魔力がそこにあった。

「……きみにはね、ぼくの暴力装置になって欲しいんだ」

「鉄砲玉になれって?」

「有り体に言えばそう。でも、死んでこいなんてぼくは言わないよ。誰も死なない世界のために戦ってほしいんだ」

「誰と」

「ぼくが戦えと言った敵と」

 私兵になれとこいつは言っていた。

「狂ってるよ、お前……」

「そうかな?」

「人が死ぬのが嫌だと言っていた。少なくとも人道主義者だと思ってたが……」

「確かにぼくは人が死ぬのが嫌いだよ。でもそれと同じくらい、この世界が嫌いなんだ」

「…………」

「きみもそうだろう? 依途空良」

 名を呼ばれる。

 ……そうだ。俺もこの世界が嫌いだ。俺に何も寄越さない世界が。だから死のうとした。でもこいつは、世界自体を変えようとしている。それも暴力を以て。

「きみはぼくのために戦う。ぼくはきみを主人公にしてあげる。良い互恵関係だと思わない?」

 こんなのは簡単だ。NOと言うべきだ。こいつがどんな思想信条の人間だか知らないが、他人の思想のために私兵になっちゃいけない。大体そのリターンも大したことがない。曖昧で、具体性が無い。そういう理念を掲げる上司や組織はだいたい地雷だ。


「……誰もが思うんだ。思春期のときにね。特別になりたいって。

 でも99%の人は凡人だからそのうち諦める。何にもなれずに生きて、死ぬんだ」

 いつの間にか未神が俺の後ろにいた。柔らかなてのひらが、俺の頬を撫でる。蠱惑的なその声と感触が俺を惹き付けて止まない。脳を融かして、犯していく。

「そのくせ後になって、そうやってもがいてる奴らを笑うんだ。馬鹿なガキだ、なんてね。

 そうすれば自分は大人になれた気がするから」

「………………」

「いま頷くだけで、きみは特別になれる。何にもなれなかった大人にならずに済む」

 光に満ちた部屋の中で。翼を生やした天使がそう囁く。顔を上げると、目があった。双眸は艷やかに俺の瞳の奥を覗いている。

「……………………」

「もう挫折は要らないでしょ?」

「……………………っ」

 反らせない。俺は取り込まれている。

「ああ……」


 気が付くと、俺はペンを握っていた。

「おめでとう。これからはいっしょだね」

 その声が部屋の中へ残響した。

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