第五章「夜叉に花束を」――心の中に狂気が巣食っている――

 ◆

 「起きろ。そんでオレの部屋に来い」

 ヒトデに揺り起こされ、俺は目を覚ます。車の中で寝ていたからか、疲れは半分も取れておらず、眠り足りない。

 車内を見渡すと、既にトンボとウサギはいなくなっていた。

 重たい目をこすり、のろのろと体を起こす。

 ヒトデに急かされるままに車から降りてアジトに入り、階段を上がった。

 前を行くヒトデは上機嫌で、オリジナルの鼻歌を歌っている。

 「心臓を持たない海星(ひとで)、オレも同じで心臓がない人でなし。複眼で二万個もの目を持つ蜻蛉(とんぼ)、視界共有で無限に世界を見れるトンボ。声帯を持たない兎、その兎と名づけられたのにあらゆる音を出せるウサギ。そうさオレらは半人間。みんな狂ってみんな良い。オレが欲しいのはオレの心臓。ああ心臓がオレを呼んでいる」

 そのままヒトデは自分の部屋のドアを開け、俺を部屋に通したあと、自分も部屋に入ってドアを閉めた。

 その動きの流れのまま、部屋のカーテンを開ける。真っ暗な部屋を白銀の月光が照らした。

 示されるままに、一つしかないソファに座る。

 ヒトデは窓の前に立った。逆光で顔が見えず、どのような表情をしているのかがわからない。

 「さあ、花染柚真と倉木蓮の討伐の作戦会議だぜ、翔太朗」

 ヒトデが両手を広げた。

 「今回はどのような方法で殺そうか。幻影使いと死体操作者(ネクロマンサー)、相手にとって不足無しだぜ。なんせキサラギの切り札だからな。夢幻を殺したときのキサラギの顔を想像するだけで笑えてくる」

 ヒトデは両手で顔を覆った。

 「ふっ、ふはははっ。はははっ。キサラギの最高傑作はこのオレがぶち壊すッ!」

 殺風景な部屋に、ヒトデの笑い声がこだまする。

 ひとしきり一人で笑ったあと、ヒトデは俺の顔を見た。真っ黒な目がぎらぎらと輝く。

 「なあ、お前もそう思うだろ、翔太朗」

 俺は口を開いた。

 「どうしてヒトデは、それほどまでにキサラギを恨んでいるんだ?」

 ヒトデが口の端をくっと上げた。嫌な笑い方だ。

 「オレのもう一つの名は如月(きさらぎ)朔(さく)。そして、キサラギの本名は如月理仁(りひと)。オレと兄貴の如月夜は、キサラギの息子だ」

 吐き捨てるようにそう言ったあと、ヒトデはクローゼットに目をやった。

 「アイツに奪われた心臓を探し続けてるが、一向に見つからねぇ。愛しいオレの心臓は一体どこだ? どうすればオレは満たされる? そう考えたときに、オレは思ったんだよ。キサラギの造ったものを片っ端から否定すりゃ良いってな。アイツの造った吸血鬼を殺し、アイツを否定することでオレは満たされる」

 俺は何も言えず黙り込んだ。

 「お前にだけ話させたのもフェアじゃねぇし、オレも過去を話そう」

 そう言って、ヒトデはゆっくりと話し始めた。

 「オレの親父である如月理仁は、最初から頭のおかしいヤツだったわけじゃねぇらしい。らしいっつーのは、オレの記憶にある理仁は常にイカレてるからだ。ただ、オレの母さんがオレを産んで死んじまってからヤツは精神を病んだ。オレは母さんの顔を覚えちゃいねぇが、何でも兄貴は母さんにそっくりらしいぜ。オレはあいにく理仁と顔が似たから、理仁にはえげつねぇぐらい恨まれてっけど」

 ヒトデは一呼吸おいた。そして自分の心臓を掴む。

 「理仁の目的はただ一つ。オレと兄貴の母さんを蘇らせることだ。だから、永遠の命を持つ吸血鬼に興味を示した。そんで、何が悪いかって、理仁は希代の天才だったっつーことだ。あいつは、見事完全な吸血鬼を創り出すことに成功した。そのためなら、実の息子を実験に使うことも躊躇わなかった。今のところ最初で最後の始祖、それがオレの兄貴だ。理仁としてはそれはそれは嬉しかっただろうよ。永遠の命を人工的に創ることに成功したうえ、それが母さんと似た顔をしている兄貴だったんだからな。ただ、前言った通り、兄貴は自分の人ならざる力を恐れて姿を消した。だから、理仁はオレら兄弟を血眼になって探してるんだぜ。その割には尻尾は出さねぇが。成功したうえに母さん似の兄貴は自らの手元に置くために。失敗したうえに理仁似のオレは殺すためにな」

 ぼさぼさの髪をかきあげ、ヒトデは月を仰ぐ。

 「こうやって月を見るたびに、オレは安心するぜ。オレは半人間ではあるが、吸血鬼ではない。アイツに造り出された存在ではない。アイツに対し牙をむく存在だっつーことにな」

 ヒトデは自嘲気味に笑った。

 「どうせウサギあたりから聞いてるんだろうが、オレの体はもう限界だ。心臓の動きについていけねぇ。近々崩壊するだろうよ。見て見ぬ振りをしちゃいるが、直それすらもできなくなる」

 まるで、俺の存在を忘れているようだ。ヒトデの声の調子が変わり、独り言のようになった。

 「たまに思うぜ、いっそのこと死ねば楽になれるんじゃねぇかってな。ただ、この心臓はオレのじゃねぇ。オレの意思とは関係なく動く。死にたくても死ぬことができない。いつまでオレはこの苦しみに耐えれば良い? どうすればオレはこの痛みから逃れられる?」

 ヒトデは「はっ」と浅く笑った。思い出したかのように俺を見る。

 「だから、オレはトンボやウサギみたく守るために戦うわけじゃねぇ。ただただ自分を満たすために戦う。崇高な精神なんざ持っちゃいねぇから、吸血鬼を殺すことに躊躇いも感じねぇ」

 ヒトデの座った目が俺を見据える。

 「生半可な気持ちじゃ夢幻の二人組とは戦えねぇ。オレらが死ぬ可能性も十分にある。今回は前みたいにお客様扱いはしねぇ、ガチで戦ってもらう。これは最終確認だ。お前にあいつらを殺す覚悟がねぇのなら、ここで降りろ、翔太朗」

 静かな声でそう言われ、自らの部屋に俺を招き入れたヒトデの真意を俺は理解した。

 最初にヒトデは作戦会議だと言ったが、それなら俺だけを呼ぶはずがない。トンボやウサギ、Kと話して作戦を決めたあと、それを部外者である俺に伝えるのが妥当だろう。

 端から、ヒトデは俺の覚悟を確認するために俺をこの部屋に呼んだのだ。

 ヒトデやウサギに助けられていた前回や前々回と違い、本気で死ぬ可能性がある状況に俺が飛び込むことができるのかと。

 いくら敵とは言え、一日余りを共に過ごした相手を躊躇なく殺すことができるのかと。

 目の前でヒトデたちが死んでも、戦い続けることができるのかと。

 確かに俺は根本的なところでは部外者だが、共闘をする限りは仲間だ。命懸けの戦闘で足を引っ張るようであれば、弟のことは諦めて身を引けという意味なのだろう。

 沈黙が場を支配する。

 ヒトデが口を開く。

 「即答できねぇのなら、」「待ってくれ」

 俺の制止の声に、ヒトデが口を閉じた。

 「吸血鬼を殺すことで満たされるというヒトデの気持ちはわからない。だが、俺も命を捨ててでも守らなければならない存在がある。一回だけでは足りないのなら何度でも言う。俺は、何としてでも弟を守る」

 俺とヒトデはしばし睨み合った。遠くで烏が鳴く。

 数分ほどそうした後、ヒトデがふっと目を逸らした。

 「合格だ。ついてこい」

 カーテンを閉め、ヒトデが部屋から出る。そのまま階段を下り、一階のリビングに戻った。


 ◆

 ヒトデと共にリビングに入った俺を見て、トンボが口笛を吹く。ウサギはにこりと笑って拍手し、Kは手元のパソコンから顔を上げて俺を見た。

 「おれたちの死地へようこそ、翔太朗くん」

 「ぼくたちと一緒に戦おうっちゃ」

 「もうあんたは客じゃないから、自分の身は自分で守るのよ」

 四脚しか無かった椅子は、一脚追加されて五脚になっている。

 ヒトデが先に座り、俺も空いている席に腰を下ろした。

 机の上で両腕を組み、ヒトデが話し始める。

 「じゃあ、今回のターゲットについての説明だ。敵は夢幻の二人組、花染柚真と倉木蓮。キサラギ秘蔵の駒だから、作戦をしっかり練ったうえで総力戦で挑まねぇと勝てねぇ。まずは二人についての詳細をトンボ、頼む」

 「任せて」

 トンボが立ち上がった。

 「まずは花染柚真から。能力は幻影を展開させるというもの。自分の姿を見た者に思い通りに幻影を見せることができる。効果は二十四時間が経つと解除される。任意のタイミングで解除させることもできるみたいだけどね。おれの能力が遮られていたのは、彼の力によるものだね。痛みや匂いなど、視覚以外の感覚に訴える幻影を見せることはできないけど、そんなものはいくらでも誤魔化す手段があるし、相手を戸惑わせた時点で、自慢のスピードで一撃を叩きこむことができる。厄介なのが、監視カメラでも映りさえすれば騙せること。直接じゃなくても、自分の姿を見させれば良いから、鏡や眼鏡を使うって手は通用しないよ。彼の姿を見ている限り、彼の幻影から逃れることはできない。戦う以上は化かされると考えて挑まないと」

 Kがパソコンの画面をこちらへ向けた。画面中「ERROR」の文字で埋め尽くされている。

 「監視カメラやトンボが視界共有で手に入れた画面から、何とかして幻影を取り除けないかと試行錯誤してみたけど、どう足掻いても無理みたいね」

 パソコンの画面を閉じたKが、隣にいるウサギの頭を撫でる。

 「ヒトデたちの身だったら別に何があっても良いけど、ウサギきゅんだけでも私が守りたかったわ」

 ウサギは「ありがとうっちゃ。ぼくも気を付けるっちゃよ」とKに向かって小さくガッツポーズした。Kが「ウサギきゅん天使……」と言って天井を仰ぐ。

 「はぁい話を戻すよ。次、倉木蓮。能力は死体操作。太陽の沈み具合により操る精度が上がる。完全に太陽が沈んだ夜だと、死体の記憶や感覚を共有したり、能力を持つ吸血鬼の死体の場合ならその吸血鬼の生前の能力を使うこともできるね。夢幻の二人に挑んで散っていった吸血鬼は多いから、その吸血鬼たちの能力も使われると考えたら本当に厄介だよ。レン一人で複数の能力を使うことができるから、キサラギもレンのこと気に入ってて好きなようにさせてるって感じみたいだね。ただ、その能力が非常に強力な代わりに、必要な血の量は膨大だし、身体能力は他の吸血鬼と比べると低いとまで言えるよ。それに、操る死体の量が増えるほど、細かい操作はしにくくなるみたい。怪力だけは吸血鬼並だけど、スピードや五感が良くない」

 トンボが親指で自分の首を切る仕草をした。

 「ただ、いくら身体能力が高くないと言っても、あくまでも他の吸血鬼と比べた場合ってだけで、おれたちから見ると化け物レベルであることに変わりはないから、侮ってると殺されるよ」

 トンボは人差し指で眉間をこすった。

 「わかっちゃいたけど、この二人の能力は本当に相性補完性が良いね。一人相手するだけでも厳しいのに、二人相手するとなると、大げさじゃなく、おれたちが全滅することも普通にあり得るよ。たった一つだろうと、判断を誤った瞬間に首が飛ぶ」

 そう言って、トンボが座る。ヒトデが手を叩いた。

 「良いじゃねぇか。相手にとって不足無し。オレらも伊達に吸血鬼と戦ってきたわけじゃねぇよ。それに、今回でキサラギを倒せればオレたちの望みに確実に近づく。見せてやろうじゃねぇか、失敗作なりのプライドってものを」

 「ヒトデはほんとに口が上手いわよね。絶望的な状況でも、できるかもって思わせるし」

 Kが口を開いた。

 「たっぷり仮眠は取ってるし、作ってほしいアプリとかあったら言ってね。夜なべして作るから」

 トンボが片手を挙げる。

 「じゃあ、お得意のハッキングで最近死んだ人や吸血鬼の名前と顔のリスト作ってほしいな。上手く視界共有できて生者と死者の判別までできたら、誤って一般人に危害を及ぼしてしまうことを防げるしね。死んだ吸血鬼の能力までわかるのがベストだけど、それはできたらで良いよ」

 「トンボ以外に何かない?」

 Kが俺を含む全員の顔を見渡す。誰も手を挙げないのを確認すると、パソコンを持って席を立った。

 「無いみたいだし、私は早速リストアップしてくるから部屋に戻るわね。トンボの頼みを聞くのは不服だけど、ウサギきゅんのためにもなるだろうし。何か用事があれば連絡して」

 そして、そのまま部屋から出ていく。やはり破天荒な人だ。

 「Kは確かに変わった人っちゃけど、ハッキング技術は一流だし、メカに強いしで本当にすごい人なんだっちゃよ」

 「戦ってばかりいるおれたちが暮らせているのは、Kが投資でものすごい稼いでいるからだしね。認めたくないけど」

 トンボが口を尖らせる。トンボとKはどのような関係なのだろうか。

 「本格的な作戦会議に移るぞ」

 いつの間にかヒトデがホワイトボードを持ってきていた。黒いマジックペンのキャップを取り、意外にも綺麗な文字を書いていく。

 「いつも通り、ここに書いた5W1Hで決めていくぜ。まずはWHEN。いつ作戦決行か。これは車内で言った通り明後日だ。異論は無いな?」

 トンボ、ウサギ、俺が頷く。ヒトデは、ホワイトボードのWHENの横に「明後日」と書き込んだ。

 「次、WHO。言った通り今回は総力戦だぜ。トンボは万一の時のために車を近くに停めて待機しておいてくれ。ウサギは陽動担当な。戦い方はいつも通りで頼む。アタッカーはいつも通りオレだ。翔太朗はオレとアタッカーだな。お前を陽動にすると、恐らく秒速で死ぬ」

 俺が今まで見てきたヒトデとは比べ物にならないほど、てきぱきと作戦を決めていく。それに対し、トンボとウサギが驚いた様子を見せないということは、普段からこのような感じなのだろう。

 トンボが手を挙げた。

 「おれはアジトにいるつもりだよ。下手に花染柚真の幻影にかかりたくないし、ここにいた方がKとの連携もスムーズにできるしね。あとは、何かあって逃げる時は、いちいち俺の車で走るよりはヒトデが走った方が小回りがきくでしょ」

 「じゃ、トンボはいつも通りアジトからナビゲートするっつーことで頼む。ウサギと翔太朗はこれで良いか?」

 「異論無いっちゃ」

 「俺も」

 「ならこのまま進めるぜ」

 ヒトデがホワイトボードに書き込む。ちょっと右斜め上がりの文字が綺麗に並んだ。

 「WHYとWHATは省略して、WHERE」

 ヒトデが手に持っているマジックペンをくるりと回すのと同時に、ヒトデのポケットの中のスマートフォンが鳴った。

 画面に表記された名前を見て、「Kからだとよ」とだけ言い、ヒトデはスマートフォンを机の上に置いた。そして、スピーカーにする。

 「キサラギの今の拠点がわかったわよ。京太郎だったったけ? から聞いた話と、夢幻の二人組の拠点を手がかりにして範囲を絞り込んで、過去の建築データやその他政府のデータ含むエトセトラのハッキング。ソース的に信ぴょう性は確か。どうするの?」

 ……俺の名前は翔太朗だ。京太郎じゃなくて、「翔」だ。あの人は、本当に俺に興味が無いんだな。

 そんなことを頭の片隅で考えながら、俺はヒトデたちの顔を見る。

 ヒトデの顔は完全な興奮状態だ。息も荒く、体中に力が入っているのがわかる。

 トンボは頬杖をつき、余裕な態度を装っているが、目線が合わない。必死に頭を回転させて勝率などを考えているのだろう。

 ウサギは完全に固まっていた。片手で首からかけているヘッドホンを握り、もう片方の手で兎のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめている。

 トンボとウサギの反応は、当然と言えば当然なのだろう。自分の体をいじって半人間にしたヤツのところに攻め込むということに恐怖を感じないわけが無いし、相当な勇気が必要なはずだ。

 ヒトデはヒトデで、自分の心臓に少しでも近づけるのなら突っ込むという選択肢以外は存在しないだろう。

 そして、俺はというと奇妙なことに心が凪いでいた。

 訪れた沈黙を破ったのは、意外にもウサギだった。

 「行きましょう。もうこれ以上吸血鬼やぼくたち半人間が生み出されることがないようにするには、ぼくたちが止めるしかありません」

 少し震える声で、懸命に言葉を繋げる。

 トンボがはっとしたような顔をした。

 「確かに、おれたちはずっとキサラギの行方を追ってきたんだし、チャンスじゃーん」

 おどけるようにそう言った後、自分自身に言い聞かせるように、「陽彩が笑顔で生きることができる世界にするんだろ」と小さな声で呟く。

 ヒトデはにやりと笑った。

 「そうだな。オレらの目的はキサラギ及び吸血鬼の排除だ、引くわけがねぇ。K、そのデータをオレらのスマートフォンに送ってくれ」

 通話を切ったヒトデが、ホワイトボードの真ん中に線を引く。

 「話は変わったが、やることは変わんねぇ。夢幻さえ倒せば、キサラギ本体は人間だしほぼ丸腰状態だ。吸血鬼数人に護衛させてはいるだろうが、夢幻に比べりゃ目じゃねぇよ。だから心配すんな」

 トンボが自分の両頬をパチンと叩いた。

 「よし、そうと決まれば切り替えよう。ビビったところで、戦況が変わるわけでもないしね。まずはさっきのように夢幻の二人をどうするか、だね」

 ブブッと音がし、ヒトデのスマートフォンに画像が送信された。それを四人で覗き込む。

 赤いピンが刺されているのは、駅の裏側にある大通りから少し外れたところだった。

 「ははっ、オレらの最終決戦にぴったりな場所じゃねぇか。辺りにはマンションみてーな高い建物もあるし、足場になりそうな障害物も少ねぇから、オレの能力が活きる」

 ヒトデがマジックペンの端を噛む。

 「キサラギのラボに近づけば、夢幻と戦えることは確定だ。理想のプランは、ラボに近づく振りをして夢幻をおびき出し、個別に撃破。そっからラボに攻め込むってことになるな」

 俺は手を挙げた。

 「ユズマとレンの様子を見る限り、個別で撃破という点は厳しいと思うぞ。あの二人は本当に仲が良いから、そもそも別れて行動するということはないはずだ」

 俺が見ていた分には、あの二人はべったりだった。どちらも心底相手に惚れ込んでいるようだし、別行動をとるということはしないだろう。互いに互いのことを心配しそうだ。

 「分かったぜ。だが、最低限どっちを先に殺すかだけは決めておきてぇ」

 「おれは倉木蓮の方を先に殺すべきだと思うな。身体能力的にも先に撃破できそうだし、何より死んだ吸血鬼を操って能力も仕えるとか厄介すぎでしょ」

 「ぼくもそう思うっちゃ。過去に倒した吸血鬼は強力な個体が多かったっちゃし、死体も回収されていると考えた方が良いと思うっちゃ」

 「俺も異論ない」

 頭の片隅にふとレンの姿がよぎり、俺は頭を振った。いくら一日を共に過ごしたと言っても、彼女らは敵だ。

 線で半分に分けられたホワイトボードの右側に、ヒトデが「倉木蓮を優先的に撃破」と書き込んだ。

 「オレもお前らと同意見だぜ。死んでいったやつらと再会なんざしたくねぇな」

 トンボが頬杖をつく。

 「問題はどうやって殺すか、だね」

 「そうだな。死体は殺せねぇ。死体を行動不能のするのが確実だろうが、どうやってそうするのが一番効率が良いか」

 「そもそも、行動不能になる条件が不明っちゃ」

 「確かにな。吸血鬼みたく心臓を一刺すれば良いのか、首を胴体から離せば良いのか、はたまたどれだけばらばらにしても動き続けるのか。場合分けして考えっか?」

 ヒトデがキュッキュと音を鳴らしてホワイトボードに書き込む。

 「うーん、どの場合にせよ、一か所に集めて何か罠にはめるのが良いんじゃないかな? 数が少なければ一つずつ始末していくのが確実かもしれないけど、多い場合はそれするのしんどいでしょ」

 「そうっちゃね」

 三人が考え込む。俺は住み慣れた街の立体的な地図を頭の中で想像した。確か、近くにあるビルで、耐久性が低くて工事が予定されているものがあったはずだ。

 「近くに老朽化したビルがあるから、そこにおびきよせて床を抜けさせる巨大な落とし穴を作るのはどうだ?」

 ヒトデたちが一斉に俺の顔を見た。

 「お前、そんなことよく知ってんな」

 俺は視線を逸らした。

 「ここは俺の街だからだ」

 俺の街。俺が知り尽くした街。俺の庭同然の街。

 俺と弟が生まれ育った街。

 「その手良いじゃん。小細工はこの後みんなが休んでる間におれとヒトデでやってくるから任せてよ。そうと決まれば、そのビルはおれたちが買い取っちゃうよ」

 俺は目を見開いた。

 「ビルを買い取る?」

 トンボがバチンとウィンクする。

 「実はおれ、御曹司なんだよね。それに、Kが投資で莫大な資産を築いてるから、ビル一つ買い取るぐらい何ともないよ」

 ヒトデがぎろりとトンボを睨んだ。

 「あ? オレは休めねぇのかよ」

 トンボが肩をすくめる。

 「おれ一人じゃできないんだから仕方ないじゃん。それに、ヒトデが既に仮眠取り終わってるの知ってるからね」

 ヒトデがチッと舌打ちし、トンボがにししっと笑った。この二人は本当に仲が良いのだろう。

 「じゃ、死体に関してはそれでいくぞ。仕掛けたトラップについては後で伝える。死体を行動不能にさえできれば、ネクロマンサーは意味を成さない。そうなりゃ倉木蓮は攻略完了だ。次は花染柚真だな。トンボ、お前の能力はどれぐらい対抗できる?」

 トンボは髪をかき上げた。ヘーゼルの瞳の中で幾千もの星がまたたいている。

 「結論から言うと、完全にクリアな視界を送るというのは無理だね。花染柚真を視認しようとした場合、どうしても彼を視界に入れた人や物を使うしかない。その時点で化かされる。だから、彼を視界に入れてはいるけど意識して見ておらず、また彼に気づかれていない人を探すしかないけど、夜の人が少ない中で、あんなに目立つ格好をしている彼に注意を向けない人なんていないでしょ。おれの能力じゃ、彼の能力には太刀打ちできないよ。良くて、ぼんやりとした視界を送ることができるかどうか」

 ユズマがやたらと派手な格好をしていたり、街の人に愛想を振りまいていたのはそういうことか。あのように目立っていては、注意を向けざるを得なくなる。そうやって、自分の能力の効果範囲を広げると同時に、トンボのような能力に干渉されることを防いでいたのだ。

 意味の無いように見えたあのデートには、幻影をかけるという立派な意味があったのだ。

 それにしても、何かが引っかかる。俺はユズマとレンの言動を思い返した。そう言えば、レンは黙って能力を使っていた。ヒトデたちのように何か言葉を言わなくても良かったのだろうか。

 俺は手を挙げる。 

 「ヒトデの『引力操作、心ノ臓』などの言葉は、能力を使う前には言わなければいけないのか?」

 ヒトデが頷いた。

 「ああ。お前も知っている通り、言葉は力だ。口に出してこそ、能力が発揮される」

 「レンは何も言っていなかった」

 俺の言葉に、トンボが首を傾げた。

 「うーん、それは確かに変だけど、常にいくつかの死体を動かしているって考えると良いんじゃないかな」

 そう言われ、俺は複雑な気持ちになった。半分は納得できるが、もう半分は納得できない。俺の本能が、この違和感を無視するなと訴えている。

 ユズマとレンに関して、見逃していることがあるような気がする。何か、大切なことを。

 ……駄目だ。わからない。何かがずっと引っかかっているが、それが何かわからない。

 何かにはまり込んでいる気がする。

 「つまり、現状では幻影の対策は不可能っつーことか」

 ヒトデが渋い顔をする。

 「多分ね。ただ、幻影はあくまでも幻影であり、現実の物をねじまげることとかはできないから、マップをしっかり頭に入れたり、目の前にある物は幻影の可能性があるって頭に入れているだけでも対策になるとは思うよ。例えば、いきなり目の前に巨大な蛇や蜂の大軍が現れて攻撃してきたとしても、幻影だから何のダメージも受けないしね」

 「ただ、」とトンボが話を続ける。

 「あくまでも幻影を見せる目的は、吸血鬼の中でも比較的に高い身体能力を持つ花染柚真が攻撃するため。化かされて一瞬でも怯んだ時点で攻撃がとんでくるだろうから、本当に厳しい戦いになるね。全てが幻影だと決めてかかって攻撃を喰らって沈み込んだら目も当てられないし」

 「結局のところ、臨機応変に戦えっつーことか」

 ヒトデの低い声に、トンボが肩をすくめた。

 「まっ、そういうことになるね。建物の見取り図などのデータは随時視界共有で送るよ」

 「けっ」と言ったあと、ヒトデが内容をホワイトボードにまとめる。

 「んじゃ、次だ。キサラギのラボへの襲撃。これに関しても、役割は同じだ。俺、翔太朗がアタッカー、ウサギが陽動、トンボとKがサポート。ラボについては、トンボもウサギもラボにいた時の記憶が残っているだろうから、苦しいだろうが記憶も頼りにしてくれ」

 俺がきょとんとしていると、トンボが顔を寄せて耳打ちをしてきた。

 「おれたち三人は処分されるって聞いて一緒に脱出した時からの仲間なんだけど、みんな人体実験で身体をどこかしらいじられてるし、あそこでの生活は本当に辛かったからトラウマになってるんだよね」

 俺が頷くと、トンボの顔は離れていった。

 「キサラギ襲撃は、あえて作戦を立てずにいこうと思う。オレらはアイツの護衛の吸血鬼の能力を把握していないからだ。人の思考を読む能力を持つ吸血鬼がいた場合、作戦がおじゃんになるどころか、上手く利用されるだろうしな」

 ウサギがサッと手を挙げる。

 「それでも、大まかな筋だけは決めておきたいっちゃ。ぼくたちみんなが自由に動いて内側から瓦解するのは避けたいっちゃ」

 「それもそうだな」

 俺はまだここには数えられるほどしかいないが、それでも、ここにいるメンバーは皆良くも悪くも協調性が無いことはわかる。そのため、ウサギが言うことは最もだ。

 ヒトデがペンをくるりと回した。

 「じゃ、こうしようぜ。念のため、キサラギにはオレと翔太朗が二人で乗り込んできたように見せかける。本当はオレ単騎のように振る舞うのが良いんだろうが、翔太朗を一人にはできねぇからな。ウサギは終始隠れていてくれ。吸血鬼との戦闘になった場合、いくらウサギと言えどもオレ無しじゃ生きて帰れねぇだろ」

 ヒトデの言葉から、小学生ほどにしか見えない幼いウサギにも、仲間としての信頼を寄せているのを感じられる。しかし、それではウサギは吸血鬼に見つかったとき殺されるしかないのではないか。

 「了解っちゃ」

 そう言うウサギに、俺は「ちょっと待ってくれ」と言った。

 「それじゃあ、ウサギが見つかって戦闘になった場合はどうするんだ?」

 ヒトデが「はっ」と笑った。

 「ウサギはトンボと組んだら見つかんねぇよ。絶対にな。お前は最近来たから知らねぇだろうが、今まで隠密に集中したウサギが見つかったことはねぇ」

 「どうしてそう言い切れるんだ?」

 「おれから説明してあげよう、翔太朗くん」

 得意げにそう言ったトンボが、片手で自らの目を隠す。

 「I want to know everything. 翔太朗くん、ウサギを見ようとして。ウサギは全力で隠密ね」

 トンボが指を広げる。指と指の間のヘーゼルの瞳と目が合った瞬間、俺の視界からウサギの姿が消えた。

 俺は慌てて部屋中を見渡す。しかし、ウサギの姿はどこにも見えなかった。また、視界そのものも変になっていて、ところどころぐにゃりと曲がっている。

 「ウサギはどこに行ったんだ?」

 俺の焦った顔を見たトンボが、「ね、ウサギがどこにいるかわかんないでしょ?」と言いながら、目を覆っていた手をどける。

 すると、再び俺の目にウサギが見えるようになった。驚きで声を失う俺に、トンボが自分の目を指さした。

 「おれの能力は視界共有だから、視界を借りるだけでなく、他人の視界をまた別の他人へと送ることもできるんだよ。だから、さっきは翔太朗くんの視界の中で、ウサギが映っているところだけ切り取って、代わりにウサギを見ていないおれの視界を無理矢理送りつけてたんだ。画像の編集を思い浮かべてくれるとわかりやすいかな」

 トンボの能力に、そのような使い方があったとは。俺が目をぱちぱちとさせていると、トンボが笑った。

 「視界に歪みが生じるから、そんなに多くのことを隠せないけどね。けど、誰かの視界に一瞬映りそうになったウサギを隠すぐらいならできる」

 驚く俺を見て、ヒトデは「なっ、言ったろ。トンボとウサギが本気を出せば絶対に見つからねぇってよ。ウサギは能力のおかげで絶対に音を出さねぇ、つまり気配がねぇ。そもそも人の注意を向けられることがねぇウサギが不意に見つかったときのトンボのフォローだ。見えねぇし聞こえねぇ、完璧だ」と自慢気に笑う。

 そんなヒトデを見て、トンボは自嘲気味に「まあ、おれの能力のこの使い方はいろいろと制限が厳しくて、さっきみたいなのや、無理矢理視界に何かを表示して注意を逸らすことが限界だよ。人の目を欺くって点では、花染柚真の下位互換でしかないし、彼には遠く及ばない」と言った。

 トンボは何かと自嘲的な発言が多い。みんなのイケメントンボさんです、などというナルシストでおちゃらけた発言が多いわりには、自分に自信がないのだろうか。

 そんなこと考えながらトンボを見ていると、トンボは両手でピースをした後にばちんとウィンクをしてきた。

 恐らく俺の気持ちをほぐそうと気を利かせてくれたのだろうが、あいにく俺は緊張も恐怖も感じていない。

 ヒトデが眉間に皺を寄せ、「トンボ、それは成人男性がすることじゃねぇよ」」と言った。

 「ごめんって」とトンボが舌を出す。

 「チッ、話がそれちまったから戻すぞ。ウサギは隠れていて、オレらが死にそうになったときのみ手を貸してくれ。オレが死んだ場合は、キサラギとは戦わずに逃げろ」

 「それは、」「これは指示じゃねぇ、オレの命令だ」

 ウサギの声に被せてそう言うヒトデは怖い顔をしている。

 ウサギはしばらくの間黙り込んでヒトデの顔を見、トンボの顔も真剣な顔であることに気づいて「わかりました」と小さな声で言った。

 「偉いね」

 トンボがウサギの頭を撫でる。ウサギは歯を食いしばっていた。

 ヒトデが話を続ける。

 「できるだけキサラギの護衛の吸血鬼は個別で撃破していきてぇ。夢幻ほどではないとしても、強力な個体が多いだろうからな。どんなヤツらがいるかわかんねぇ以上、対策の取りようがない」

 「なら、なぜデータを集めてからいかないんだ?」

 俺は手を挙げた。命を危険にさらすのなら、もっと相手のことを知ってからの方が良いのではないか。今の状態は、あまりにも無鉄砲すぎるような気がする。

 「言ったろ。キサラギは滅多に尻尾を出さねぇ。夢幻を殺し、ヤツの持つ最強の駒を潰した状況で攻め込みてぇんだよ。あんまり時間を作ると、すぐに対策されっからな」

 俺は頷いた。

 「そういうことなら、わかった」

 ヒトデがホワイトボードの横へと移動し、壁にかけてあった時計に目をやった。かなり時間が進んでいる。

 「これでオレらの最終決戦の作戦会議は終わりだ。初っ端の予定よりもかなり雑になっちまったが、キサラギが絡んでくる以上は仕方ねぇ。作戦決行は明日だ。それまでに翔太朗とウサギは体を休めろ。トンボはオレと小細工だ。んじゃ、解散」

 ヒトデがぱちんと手を叩くと、一番にトンボが立ち上がった。そして、思い切り伸びをする。

 「んー、キサラギのところに攻め込むって聞いたときはトラウマが蘇ったけど、案外大丈夫なものだね」

 そのトンボの首根っこをヒトデが掴み、部屋の外へと引きずっていく。

 「うるせぇ。強がるのならもうちっとマシな強がり方をしろ。ビビってんのが見え見えなんだよ」

 「あらま、バレちゃったか」とトンボが言い残し、二人は部屋から出て行った。

 残されたウサギと俺は顔を見合わせる。

 「ぼくはいつも肝心なときに役に立ちません。ぼくの両親が交通事故で死んだとき、ぼくは家にいました。そして今、ヒトデたちが死地に赴こうとしているのを、止められなかった」

 どうしたら良いのか考えたあと、俺はそっとウサギの背中をさすった。ヒトデたちはウサギを守りたいという純粋な気持ちなのだろうが、そんなことぐらいウサギはわかっているだろう。俺は何も言うことができなかった。

 「ヒトデは、キサラギを殺して自分も死ぬつもりです」

 ウサギが俺の顔をじっと見つめる。幼い顔には似合わない、決意を秘めた目に引き付けられる。

 「翔太朗さん、ヒトデを、ぼくの大切な家族であるヒトデを守って下さい。そして、あなたも無事にここに戻ってきてください」

 ウサギが深々と頭を下げた。

 「どうかお願いします」

 俺はウサギの前に小指を差し出す。

 「一緒にゲームするって約束しただろ? ヒトデやトンボ、Kも誘ってみんなでゲームしようぜ。俺は約束は守る男だ」

 泣き笑いの顔でウサギも小指を出してきた。二人で指切りをする。

 「約束ですよ」

 「ああ」

 指を離し、ウサギが立ち上がる。その表情は、いつもの歳に不相応な仕事人のようなものだった。

 「では、ぼくは最終準備として、コンディションを整えてきます」

 このようなしっかりした子に、大丈夫かなどと聞くのは無礼に値するだろう。

 俺は片手を挙げ、軽く敬礼した。

 「ああ、俺も仮眠をとるよ」

 部屋の中をさっと見回し、何も変わったことがないのを確認してソファに横たわった。

 

 ◆

 浅い眠りだったのもあり、人の気配を感じて目を覚ました。俺が感じた気配は、俺が眠っていたソファの足元に、ヒトデとトンボが座ったもののようだ。

 「あちゃ、起こしちゃったか。ごめんね」

 魚の目玉を食べながら、トンボがそう言う。部屋の中にさくさくという音が響いている。

 そのトンボの頭を、ヒトデがぺしりとはたいた。

 「あいたっ」

 「ったく、人使いが荒いんだよ、お前は。アジト出てからもおどおどしてたくせによ」

 大げさに痛がり、トンボがむっと口を尖らせる。

 「しょうがないじゃん。おれはKのアプリと現実とを見ることしかできないんだから。ビルを買い取ったのはおれだし。それに、おれはもう覚悟できてますぅ」

 チッとヒトデが舌打ちする。この二人は本当に会話のテンポが速い。

 俺がじっと二人を見ていることに気づいたトンボが「ん?」と片眉を上げた。

 「いや、二人が罠を張っている間俺は何もしていなかったなと思っただけだ」

 ヒトデが「ふはっ」と笑い、トンボが優しくほほ笑む。

 「そんなこと気にしない気にしない。いくら仲間だったって、おれたち年上が多くやるのは当たり前でしょ」

 トンボが俺の頭を撫でる。

 「ウサギも翔太朗くんもまだ子供なんだから、これぐらいおれたち大人にかっこつけさせてよ」

 俺は複雑な気分になった。確かに今の俺は小柄だし、子供に見えるかもしれないが、そこらにいるヤツらよりは大人びているつもりだ。

 「そうだ、お前らにはまだ未来がある」

 ヒトデがどこか遠い目をした。その言い方では、まるで自分には未来が無いようではないか。

 ふと、ウサギが言っていたことが頭をよぎった。

 ――ヒトデは、キサラギを殺して自分も死ぬつもりです――

 ヒトデはキサラギの息子だ。実の父親を殺したという罪を、自分も死ぬことで償おうということなのだろうか。

 「ヒトデ、死なないでくれよ」

 その言葉は、俺の口からぽろりと零れ落ちた。

 「ウサギが何か言ったのか」

 ヒトデの問いに、俺は黙り込む。そうだと白状しているのと同じだった。

 「そうか。ウサギはオレのことを心配しているのか」

 相変わらず焦点が合わないヒトデの目を覗き込む。

 「当たり前じゃないか。ウサギがどれだけヒトデたちのことを大切にしているのか気づいていないのか?」

 この数日を共に過ごしただけでもわかる、ウサギの深い愛情。それに気づいていないとは言わせない。

 「わかってるさ。だからこそ、オレらはウサギには絶対に生きててほしいんだよ。ウサギは優しくて聡明なヤツだ。オレらはウサギのことは仲間として信頼してっからこそ、難しい任務だろうと頼んでいる。だから、必要以上に子供扱いなんざしねぇ。失礼だからな」

 ヒトデが一息つく。その横にいるトンボは、口をはさむことなくにこにこと話を聞いていた。

 「だが、いくらウサギが優秀で大人びていても、子どもは子どもだ。まだほんの十二歳の少年を、吐くほど危険なことに巻き込んじまってることに変わりはねぇ。オレらは、ウサギの家族として、ウサギを生かす義務がある」

 「そういうことじゃないだろ。ウサギはヒトデに死んでほしくないんだってことがわからないのか」

 ヒトデが俺の頬をつまんだ。そのまま軽い力で引っ張られる。地味に痛い。

 「だーかーらー、死ぬつもりなんざねぇよ。確かに生きるのは辛ぇが、死ぬにも死にきれえねぇ。そもそも俺は死ねねぇんだからよ」

 そう諭され、俺は頷いた。確かに、ヒトデは死にきれないと言っていた。

 頬杖をついていたトンボが、俺を見てにこりと笑う。

 「それをウサギに言ったら良いのにね。ほんっとヒトデは不器用なんだから」

 だが、その二人の、いや、ヒトデの表情を見て、俺はわかってしまった。

 ヒトデは、嘘をついている。そして、トンボはヒトデが嘘をついていることを知っていて、その嘘にのっている。何が嘘なのかはわからないが、確実に嘘をついている。

 とりあえず、ここは納得した振りをしておくのが得策だろう。

 「とにかく、死なないでくれよ」

 ソファから立ち上がったヒトデが、俺の頭をぐしゃぐしゃにする。

 「わかってっからよ」

 そして、俺たちに背を向けた。

 「じゃ、オレは仮眠をとってくるから、時間になったらここ集合っつーことで」

 トンボも立ち上がった。

 「おれもちょっと寝てくるよ。翔太朗くんもゆっくり休んでてね」

 部屋に一人残され、俺は肩をごりごりと回した。十分に寝たので、もう寝る気にはなれない。

 少し外の空気を吸いに散歩にでも行くことにする。

 ドアを開け、外の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


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