そのコウモリ、日向に舞う

武尾さぬき

第1話 その蝙蝠は、夜に舞う

 深夜2時過ぎ、不自然に済んだ空気、明滅する信号機、立ち並ぶビルの中からは、薄っすらと非常灯の灯りだけが漏れていた。


 生命活動を維持しながらも脳を休ませる生き物と同じなのか、街そのものが巨大なで――、今は最低限の機能を残し、眠りについているかのよう。



 私、「姫森ひめもり こう」は、いつもこの時間に外を出歩いている。


 今は11月、先月までは夏があまりに長い延長戦を繰り広げていた。ところが下旬になると、帳尻を合わせるように気温は日に日に下がっていった。


 ひと際強い風が吹きつけ、私は身を縮め、ぶるっと一度身震いした。ついこの間までは半袖で出歩いていたのに――、と羽織ってきた薄手のカーディガンの襟元を摘まんで思う。



 家は一応、都会にある。この時間帯でも働いている信号機を見て、私は「赤」と知りながら小走りに四車線の道路を渡った。車が走っていないと塵も舞わないのだろうか、口から吸い込む空気に不快感はなかった。



 道路を渡った勢いそのままに、私は小走りを続けていた。徐々に近付いていくるのは、牛乳瓶の形を模した青い看板。目的のコンビニエンスストアだ。

 真っ暗な街の中、一か所だけ灯りが燈るそこは、さながら砂漠の中のオアシスだった。


 そしてそれは多分――、私にとっても……。




 自動ドアが開くと、来店チャイムの音が鳴る。同時にお菓子の陳列棚のあたりから愛想のない女性の挨拶が聞こえてきた。


 私は心の中で呟いた。「今日はツイてる」と――。



 菓子パンのコーナーと雑誌をぶらりと見て回った後、私はお菓子のコーナーへと入っていった。本当は先の売り場に用なんてない。ただ、真っ直ぐお菓子の売り場へ行くのがなんとなく恥ずかしかっただけ。



「あっ…あの――、今並べてる……」



 私は少し躊躇いがちに、お菓子を並べている女性店員に声をかけた。歳はきっと20代前半か、半ばくらいだろうか?

 胸にある名札には、「クルー・K」と書いてある。いつかのニュースで、名札の表記をイニシャルにしていると言っていたのをふと思い出した。


 けど、私はこの店員さんの名前を知っている。この人は「かわせさん」。


 髪を後ろで結っている。濃いめの茶髪は肩よりもう少し長いだろうか、前髪はタイトに7対3で左に流していた。

 蛍光灯を反射した大きな瞳がちらりとこちらを覗いた。顔の下半分は薄いグレーの布マスクで隠れている。


 彼女はしゃがんだ姿勢のまま上目遣いにこちらを見て、お菓子を1つ差し出した。そして女性にしてはややハスキーな声で問い掛けてくる。


「――1つでいい?」


「あっ…、はぃ」


 受け取ったお菓子は、マロン味のチョコレートクッキー。誰もが知っている有名菓子の季節限定品のようだ。


 私はそのお菓子1つを持ってレジへと向かう。すると、「かわせさん」は少し速足で私を追い越してレジカウンターへと回っていった。


「ポイントカードはお持ちですか?」


「あっ――、えっと、これ……」


 ぎこちなく私はスマートフォンのアプリを開いて見せた。表示されたバーコードをスキャナーが読み込み、ピッと電子音を鳴らす。そのままの流れで支払い用のアプリも提示した。


「袋は――」

「あっ、い、いらないです!」


 彼女は、慣れた手つきで店のロゴシールを貼ると、商品をそっとレジカウンターのこちら側へ置いた。ネイルをしていない健康的なピンクの爪が一緒に目に入ってくる。私がお菓子を受け取ると、遅れて感熱紙のレシートも差し出された。


 私は小さくお辞儀をしてそれを受け取り、ちらりと彼女の顔を覗き見た――が、すでにその視線はレジ横に置かれた人気アニメのお菓子へと向かっていた。小箱から全部を取り出して、綺麗に整えてから改めて陳列用の箱に戻している。


 不自然にならない程度のわずかな時間、私はその姿を見つめた後、外へ出た。店の外へ出ると、冷たい風が急に現実へと引き戻してくる。


 私は改めて自動ドアのガラス越しにコンビニの中を覗いた後、軽い足取りの夜の街を歩いて帰った。


 今日も――、「かわせさん」に会えてよかった。

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