第七章 告白 1話〜3話

1話


「いいけど、なんで水族館?」


「水族館って近くにないし、せっかくあるなら行っときたいなって思って」


「そういうことか。俺も別にいいぞ」


「夕咲はどう? 水族館」


「……私も大丈夫ですよ」


 夕咲は何か言いたげな様子だが、秋川もハルも賛成している以上、この場で異議を唱えたりはしない。


「じゃあ、決定で」


 無理やりになってしまって、夕咲に対して申し訳ないとは思う。


 だが、こうでもしないとのらりくらりと躱されそうなので、頭の中で仕方がないと割り切る。


「決まりならさっさと行こうぜ。いれる時間は長いほうがいいだろ」


「うんうん。じゃあ、水族館まで走って行こー!」


「え、ちょっとそれは……」


 俺が言い終わるまでにすでに2人は走り出しており、俺の声は届かなかった。


「はぁ、あいつら……夕咲、俺たちも」


「夜凪さん」


 食い気味で発せられた声で俺の言葉は遮られる。


(もしかして、怒ってる?)


「ご、ごめん。相談しても『大丈夫』って断られると思って……、その、悪いとは思ってます」


 恐る恐る夕咲の顔を見上げる。


「? なぜ謝るんですか?」


 その顔は穏やかで、俺の予想に反して悦びに満ち溢れているように見える。


「あれ? 怒ってないの?」


「もちろんです。私では言い出すことはできませんから」


「そっかー。ならよかったよ」


「はい……ですが、次からは予め言っておいて欲しいです」


「うっ、……わかった。ごめん」


「謝らないでください。そろそろ私たちも行きましょう」


「うん。ちょっと走ろっか。結構置いてかれてるし」


「うぅ、頑張ります」


 とりあえず、夕咲が怒っていないのならよかった。


 今回は無理やりになってしまったが、夕咲からの信頼を得るためには、当たり前だが、相談はしたほうがいい。


 走り始める前に学校用の連絡アプリで神崎先生に水族館に行くことを伝え、急いで夕咲のあとを追いかける。


 ショッピングモールから水族館は正直、走るような距離でもないのだが、早く着けるに越したことはない。


「夕咲、道わかる?」


「あ、わかりません」


「そっか。ならついてきて」


 夕咲のことも考えてそこまで早くないペースで走る。


 だが、それでも夕咲にはきつかったようで、


「はぁ……はぁ」


 200メートルほど走ったところでもうバテバテだ。


「ここからは歩こっか。結構近くまで来てるし」


「す、すみません」


「水飲む?」


「はい。そうします」


 夕咲が水分補給をしている間に、敷地内の地図を確認する。


 考えていた通り、ここから水族館は目と鼻の先だ。


「夜凪さんも飲みますか?」


 夕咲はたった今、自分が飲んだものをこちらに向けている。


「い、いいよ。自分のあるから」


「そうですか。あ、では、カバンからお出ししましょうか?」


「ありがとう。じゃあお願い」


「はい」


 そういって夕咲がカバンのチャックを開く。


 だが、夕咲はなかなかペットボトル探し始めない。


「夕咲、どうかした?」


「……すみません。中まで手が届かないです」


「あ………、ちょっと待って、しゃがむから」


「ありがとうございます」


 俺がしゃがむと、今度は背中からガサゴソとカバンの中を探る音が聞こえてきた。


 少ししてその音が止み、夕咲が満足そうな笑みを浮かべながらペットボトルを手渡してくれた。


「ありがとう。夕咲」


「いえ、いつも助けていただいているお礼です」


「そっか。ありがとう。でもそんなに気にしないでいいからね。いつも家事とか手伝ってくれてるんだし」


「そうですか……、では今のは、先ほどのアスレチックの分ということにしてください」


「まあ、それならいいか」


 夕咲が取ってくれた水を口に含み、カバンのチャックを閉じてもらう。


「じゃあ、そろそろ行こっか。2人も待ってるみたいだし」


 実は少し前からスマホの通知音が騒がしい。


 おそらく先に走って行った二人からのメッセージだろう。


 見なくてもなんとなく内容は予想できる。


「そうですね。急ぎましょう」


 といっても走るわけではない。


 俺と夕咲は楽なペースで先に行った二人がが待つ水族館へと向かう。


2話


「遅いぞー、お前ら」


「何してたの?」


 先についていたハルと秋川が文句を垂れる。


「2人でが勝手に走ってくからでしょ」


「すみません。お待たせしました」


「夕咲、謝んなくていい」


 今は昼過ぎ。


 順番待ちの列がどんどん長くなっていく。


 最後尾にいるスタッフによると、今から並び始めても一時間はかかるそうだ。


「どうする? 結構時間かかるけど」


「私は並ぶよー。潤も並ぶよね?」


「ああ。ここまできたらな。ま、話してたらすぐだろ」


「それならよかった」


 しかし、それから10分ほどして、


「ねぇ〜、飽きたー!」


 確認の際、一番初めに返事をしたはずの秋川が最初にギブアップだ。


「自分で並ぶっていったんだから我慢してよ」


「だって〜、あの時は大したことないと思ったんだも〜ん」


「『だって〜』って子どもじゃないんだから」


「では、私と夜凪さんが並んでおくので、お2人は気分転換でもしてきてください」


 ここで声を上げたのは、意外にも夕咲だった。


「え、俺はなんとも……」


「本当⁉︎ じゃあ潤、お言葉に甘えさせてもらおうよ!」


「え? あ、ああ。 夜凪頼んだー!」


 戸惑うハルの服の袖を掴み秋川は列から抜け出る。


 そして秋川はハルを引きずったまま、俺たちが先ほどまでいたショッピングモールの方向に走っていった。


「すみません夜凪さん。勝手に決めてしまって」


「いや、俺はいいけど、夕咲はよかったの?」


「はい。夜凪さんに話しておきたいこともあったので」


「俺に? なんかあった?」


 わざわざ2人を離してから話すということは、それなりに大事な話ということだろう。


「遠足の後にお話があるというのは覚えていますか?」


「ああ、覚えてるよ。確かテスト初日に言ってたっけ」


「はい。それです」


「けど、それが何か?」


「少しタイミングを早めていただきたくって……よろしいですか?」


「いいけど、具体的にはいつ?」


「このあとの、できれば……2人しかいないタイミングがいいです」


「……、うん、わかった」



 なんの話かはわからないが、大事な話ならそれを優先しよう。


 ハルと秋川には『お願い』もしているので2人きりの時間を作ることは難しくない。


 俺の話は最悪帰ってからでも問題はないし。


 案外、そっちの方が安心して話せるかもしれない。


「ありがとうございます」


 話し終わって、順番まではあと半分といってところ。


 ここで沈黙はまずいので、何か会話のネタはないかと辺りを見回すと水族館のパンフレットが目に入った。


「夕咲、どれ見たいとかある?」


 俺はそのパンフレットを手に取り、夕咲に見えるように広げる。


 パンレットにはここにいる生き物の種類と館内マップ、体験コーナーの案内が印刷されており、隅っこにはこの水族館のマスコットらしきペンギンのイラストが描かれていた。


「そうですね……初めてなので正直なんとも言えないです」


「あ、そっか。そうだよね」


「すみません」


「いや、謝らないでよ。あ、そうだ、スマホ使えば写真とかなら見れるよ」


「では、少しだけ。夜凪さんのおすすめを見てみたいです」


「おすすめ……おすすめか、そうだな……ペンギンとかかなぁ?」


 そして、俺と夕咲のプチ勉強会が始まった。


3話


「とまあ、有名なやつはこれくらいかな」


「ありがとうございました。実物を見るのがとっても楽しみです」


「それはよかった。お、結構列も進んでるね。そろそろ2人を呼ぼっか」


 話し込んでいるうちに列は進み、チケット売り場が見えるところまではきている。


「その方がいいですね。いつの間にかこんなに進んでいたんですね」


「だね。全然気づかなかった」


 メッセージを飛ばしてから2、3分で2人は戻ってきた。


 走ってきたのにも関わらず、涼しい顔で息もきれていない。


 さすが運動部だ。


「あ、お2人さーん! 久しぶりー!」



「久しぶりって、まだそんな経ってないだろ」


 賑やかな2人が戻ってきたことで、先ほどまでの静かで落ち着いていた空気はパッとした明るい空気へと塗り替えられた。


 さっきの落ち着いた空気感は結構好きなのだが、今のこの賑やかな感じもいいかもしれない、と最近思い始めている。


 4人で談笑をしながら順番が来るのを待ち、ついに俺たちの順番が回ってきた。


 券売機でそれぞれ入場券を購入し(夕咲の分は合わせて買った)、ついに館内へと入ることができた。


「いやー、水族館なんて何年ぶりだろうな」


「ねー。私多分、中1の遠足で行ったのが最後かも」


「俺は多分小学校かな」


「久々に来るとテンション上がるね!」


「まあ、うん」


「いや全然上がってねーじゃん」


「夜凪乗り悪ーい」


「うるさいなー。上がってるって」


「はいはい、別に無理しなくてもいいですよー。ねえ、夕咲ちゃんは上がるよね?」


「……!」


 秋川の質問はどうやら、夕咲の耳には届いていないようだ。


 先ほどから周りをキョロキョロと見回して、その目を輝かせている。


「あれは上がってるってことでいいの?」


「おそらくは。一応笑ってるし」


「あれ笑ってんのか?」


 俺視点では笑ってるように見えるが、ハルや秋川にはまだ真顔との区別がつかないようだ。


 俺がそれを判別できるのは、俺も少しは成長したということなのかもしれない。


「まあ、上がってるならいいや! 時間は有限なんだし、早く行こ!」


「そうだな。じゃ、夜凪、俺たちは先行くから」


「そだね。邪魔しちゃ悪いしね〜。チキンなよー」


「はいはい。ありがとうございますー」


 現在進行形でカップルしている2人を見送り、目を輝かせたままの夕咲に声をかける。


「夕咲、2人は先に行ったよー」


「はっ、すみません。気分が高揚してしまって、つい」


「いいよ。しっかりテンション上がってるならよかった」


 今の夕咲は身長も相まってとても幼く見える。


 初めての水族館となればはしゃいでしまうのは当然だが、普段おとなしい人がここまで楽しそうにしていると、やはりそう見えてしまう。


「夕咲、あんまり早く行きすぎないで。はぐれたら大変だし」


「そうですね……では、手を繋いでいましょう。そうすればはぐれる心配はありません」


(うっ、確かにそうなんだけどさ……)


 あのバカップルのせいで夕咲の中の男女の距離感がバグってしまった気がする。


 まっすぐな瞳でこちらを見つめる夕咲の手を取ると、心拍数が一気に上がる。


(最初っからこんなんとか……、俺の心臓、耐え切れるかな)


 俺にとっては久々の、夕咲にとっては初めての水族館はまだまだ始まったばかりだ。

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