夕咲との生活5〜8話

5話


 聞いてしまった。


 本人の口から学校関連の話は出てこなかったし、何か訳ありかもとは思っていた。


 だから、あまり触れないようにしていたのだが。


 気を悪くしてないことを願う。


 そして、質問を聞いた夕咲の返答はというと


「え……」


 と一言。


 夕咲は少し困った様子でこちらを見つめている。


 やはり、突然すぎただろうか。


 いや、突然すぎたな。


「正直に言ってくれたらいいよ。考えてないならそれでいいし」


 そう言うと、夕咲は考え込んでしまった。


「ここで暮らしていくんだったら、家賃とかは考えなくていいし、教科書とかも置いとけるし」


「……少し、待ってください。返答は朝食が終わってから、ということでお願いします」


 勝手な予想で、考えたこともないのかと思っていたのだが。


 まあ、返答してくれるのなら待つとしよう。


 それに、朝食に時間を使いすぎるのも勿体ない。


 そこからの食事は、只々ただただ静かな時間が流れるだけだった。


6話


 朝食を終え、食器を片付ける。


 そして、食事の時と同じように向かい合って座る。


「えと……どうかな?」


「……行ってみたいとは思います。ですが、色々と不安なことがあるので」


「例えば?」


「まず、一番不安なのは学習面です。今から通い始めたとして授業についていけるとは思いません」


 確かに、それはそうだ。


 高校の勉強は中学の上位互換みたいなものだし、今からついていくには想像できないくらいの努力が必要だろう。


「あとはやはり金銭面です。住まわせていただいている身で、生活費を全て出していただくわけにはいきません」


 これまた確かに、だ。


 正直、2つ目の理由については予想ができていた。


 この三日間で何度も夕咲の申し訳なさそうな顔を見てきたし、俺も彼女の言っていることは理解できる。


 だが、


「それくらいなら心配しなくても大丈夫。勉強なら俺も多少は教えれるし、あの高校に入れてるならそこまで問題ないと思う」


(どうやって勉強したかは知らないけど)


「金銭面もまだまだ貯蓄あるし、なんとかなるよ」


「ですが……、受験の知識はほとんど忘れてしまっていますし、金銭面もやはり無理だと思います。1年だけなら可能かもしれませんが、流石に3年間は……」


 流石にバレるか。


 実際、貯蓄はあると言っても、もって半年、いや、4ヶ月くらいで限界だ。


 俺もバイトのシフトを増やすつもりではいるが、それでも二ヶ月の延長になるかどうかだ。


 少し前の俺は生活費が倍になることを軽視しすぎていた。


 言い返すこともできず、俺は黙り込んでしまった。


「もし、本当に学校に行かせていただけるのなら、一つ条件を課して下さい」


 黙り込んだ俺を見て、今度は夕咲から会話を始める。


「こっちが何かする、じゃなくて?」


「はい」


 変、というか、優しすぎる子だ。


 こちらの勝手な理由で学校に来させようとしているのに、条件を課してくれだなんて。


「条件って?」


「私が自分自身で生活費を稼ぐこと、です」


 確かに、それなら生活費に困ることはないだろう。


 しかし、こちらの都合で夕咲に負担をかけるのは良くない気がする。


 というか、申し訳ない。


「いい案だとは思うけど、それは夕咲に悪いよ。俺が学校に来て欲しいわけだし」


「夜凪さんは私に学校に来て欲しいのですか?」


 少し夕咲の声が大きくなる。夕咲もそれなりに熱くなっているようだ。


「う、うん、ほら高卒の資格は将来絶対必要になるからさ」


 理由は他にもあるのだが、それはまだ言わないでおく。


 なぜなら、完全に私情だからだ。


 ここで言って、キモいと思われてはいけないし、『そんな理由なら』と断られてしまうかもしれない。


「それならやはりこの条件でもいいのではないでしょうか? 私も高校には行ってみたいと思っているので」


「うーん…………わかった。夕咲がそれでいいっていうなら、そうしてもらおうかな」


 100%賛成というわけではないが、これ以上話しても多分夕咲は折れないだろう。


 それに、いつかは夕咲にも働いてもらうしかないとは思っていたし、タイミングが早くても別にいいだろう。


 今、というのは少し早すぎる気がするが。


「バイト先は俺と同じところなら紹介できるけど、どうする?」


「そうしてくれるとありがたいです」


「わかった。店長に相談しとく」


「あと、そのバイトについて色々と教えていただければ嬉しいです」


「あぁ、えっと、職場はあの商店街の近くの喫茶店。俺は厨房で料理作ってる」


「他の仕事内容は何があるのですか?」


「たしか……食器洗いと清掃と、あと注文聞いたり、くらいかな」


「わかりました。ありがとうございます」


「どういたしまして。今日、丁度バイトあるし、行ってみる? 従業員少ないから店長もほぼ毎日来てるし、今日もいると思うけど」


 うちのバイトは商店街の近くの喫茶店というわりには従業員が少ない。


 理由としては客が少ないから、というのが一番大きい。


 駅から近いわけでもないし、商店街内の店の方が値段が安いしで、6時から11時まで入っても客は15組かそこらだ。


 いまだに満席になっているところは見たことがない。


 まあ、人との繋がりは最小限がいいと思っているので個人的にはありがたい。


 時給もそこまで低くないし、店長も優しいので大満足の職場だ。


「迷惑にならないのでしたらお願いします」


「うん、わかった。店長に電話してくるから、ちょっと待ってて」


 この話の主題、その結論があれで最善だったのかはわからない。


 が、ひとまず、この話はこれで終わりだ。


 電話をするために自分の部屋に戻る。


 その時、俺は無意識に小さくガッツポーズをしていた。


7話


「もしもし店長ですか? 朝早くにすみません。夜凪です」


「もしもし、田村です。珍しいね、夜凪くんが電話かけてくるなんて。どうかしたのかい?」


「すみません急に、実は知り合いにバイト探してる人がいて、紹介して欲しいって頼まれたんです」


「ああ、そういうことなら全然いいよ。ちなみにそれは友達かい?」


「ええ、まあ、そんなとこです。あと、その友達が今日挨拶に行きたいそうなんですが、大丈夫ですか?」


「うん、大丈夫だよ。うちは人手が少ないからね。僕が休んでる暇はないよ」


「そうですか。まあ、休んでる暇はあると思いますが」


「はっはっはっ、それもそうだね。じゃあ今日のバイトの初めに僕のとこに連れてきて。すぐに面接しちゃおうと思うし、その友達に言っといてくれるかい?」


「わかりました。ありがとうございます。では、

これで失礼します」


 店長の許可も無事得ることができたので、これで一安心だ。


 店長も言っていた通り、人手不足なので面接に落ちることはないだろう。


 それについ最近大学生だったバイトの先輩が社会人になったことでバイトを辞めた。


 なので、店長にとっても嬉しい話のはずだ。


 リビングに戻り夕咲に電話の内容を伝える。


「そうですか、今日面接ですか……」


「うん。あ……もしかしてダメだった?」


 流石にいきなりすぎただろうか。


「いえ、大丈夫です。問題ありません」


 こういう時は夕咲の都合を聞いてから決めるべきだった。


 次からは気をつけなければ。


「少し緊張しただけです。あと、服装はこのままでいいのですか?」


 そうは言うが、緊張をしているようにはあまり見えない。


 夕咲は表情がほとんど変わらないので心情が分かりにくい。


「服は制服でいいと思う。俺もそうだったし。あと、そんな緊張しなくても大丈夫だよ。あの喫茶店は人手不足だし、夕咲って礼儀正しいから」


「そうでしょうか……、ですがそう言っていいただけるのは嬉しいです」


 そう言ったとき、一瞬、夕咲が笑ったような気がした。


 しっかりと口角が上がったわけでもないし、笑い声が漏れたたわけでもない。


 ただなんとなく、そんな気がしただけだ。


8話


 これで今日の夜の予定は埋まったわけだが、ここからバイトまではまだ十時間は以上はある。


 起床時間が五時だったので朝食を終えた時点でまだ七時半だ。


 ここからどうするか。


 夕咲はまだ病み上がりなので、運動は避けた方がいいと思う。


 だからといって、このまま家で二人きりの状態に耐えられるかと言われれば無理な気がする。


 前のような二言会話ふたことかいわが続くと俺の心がもたない。


 夕咲はというと特に何かするわけでもなく、ただ虚空を見つめるだけだ。


 これからのまず第一の課題は、今のような時間の潰し方を確立させることになりそうだ。


 ずっと考えていても始まらないので、とりあえず何か話してみよう。


「……夕咲はさ、今までどうやって暮らしてたの?」


 急に話しかけたので驚いたのか、夕咲の体がビクッとはねた。


「そうですね、特にすることもなかったのでほとんどは寝ていました。路地から出るのはご飯を買いに行く時くらいでした」


「そっか」


 ここで会話を終わらせてはいけない。


 何か続けなければ。


 だが、何を話せばいいのかわからない。


 少しの沈黙が流れる。


 こうなってしまうと頭の中が真っ白になる。


 中学の頃はもっと話せていたはずなのに。


 なぜこうなるのだろうか。


 半分諦めモードに入った俺が視線を下げようとしたその時、


「あの、私も色々聞いていいですか?」


 二人の間に流れていた沈黙を夕咲が破った。


 まさか、あちらから話を振られると思っていなかったので驚いた。


 が、こちらとしてはありがたい。


「うん、全然いいよ」


「ありがとうございます。では……」


 だが、そう言ったっきり、夕咲は黙り込んでしまった。


「夕咲? どうかした?」


「いえ、何を聞こうかと考えていました」


「……、ふふっ、あはは」


 夕咲があまりに真面目な顔で答えたので、思わず笑ってしまった。


 きっと、こちらが何か話そうと考えているのを見て、何か話さなければと思ったのだろう。


 そして、その一言で何かが吹っ切れた。


 いや、吹っ切れてしまったというべきか。


「何か考えてから話なよ。ふふっ、まあいいけどさ」


「すみません、ですが、なかなか思いつかなかったので」


「謝らなくていいよ。ありがと、気遣ってくれて。けど、俺には気を遣わなくていいよ」


「いえ、助けていただいた身でそういうわけにはいきません」


 流れで本心を言ってみたが、返答は予想通り。


 まあ気持ちはわかる。


 俺だって助けられた相手に図々しい態度は取れないし、気を遣うだろう。


 だが、これから一緒に暮らすとなれば話は別だ。


 図々しいのは少し嫌だが、気を遣われ続けるのはそれ以上に嫌だ。


「じゃあ俺からのお願いとして言うよ。俺に気を遣わないで。ずっとこうだと息苦しいし」


「ですが……」


 夕咲もなかなか頑固だ。


 ここまで言っているのに全然折れない。


 だが、ここまで言ってしまっては、こちらも引くことはできない。


「いや、ダメ。夕咲の気持ちはわかるけどずっと気を遣われてるのは俺が嫌だから」


「…………」


 夕咲は黙り込んでしまった。


 その顔にははっきりと困った、と書いてあった。


 しかし、すでに俺はかなり熱くなってしまっている。


「夕咲はさ、もっと甘えてもいいと思う。少なくとも俺はそうして欲しいと思ってる」


 夕咲はゆっくりと顔を上げる。


「……いいのですか? 今までだって散々甘えてしまっているのに……」


 本当に、この子はどんな教育を受けてきたのだろうか。


 夕咲がいつ甘えたのか、俺にそんな記憶はないのだが。


「夕咲は全然甘えてないよ。俺の言ってる甘えるってのは、もっと自分を出していいってこと。わがまま言ったりとか」


「…………」


 また夕咲は黙り込んでしまう。


 流石に色々と言いすぎただろうか。


「ごめん、色々一気に言いすぎた。けど……」


「本当に! ……いいのですか?」


 食い気味で夕咲が声を上げる。


 その声は震えていた。


 話すことに夢中で気が付かなかったが、夕咲はいつの間にか泣いていた。


 それを見て、熱くなっていた俺の脳が急速に冷まされる。


 俺は一呼吸置いてから話し始める。


「もちろんだよ。夕咲もずっと気遣ってたら疲れるだろうし」


「私はあまり人に甘えたことがないので……何をしたらいいのかわかりません」


 夕咲の話す言葉の間に時々すすり泣く音が挟まる。


 気づけば俺は席を立ち夕咲の横に立っていた。


(あれ? 俺はなにを……)


 頭ではわかっている。


 だが、一度動きだしたこの体はいうことを聞かない。


(ダメだって!)


 そう思った時、すでに俺は夕咲を抱きしめてしまっていた。


 夕咲はどんな気持ちなのだろうか。


 嫌じゃないだろうか。


「何を……、してるんですか」


「ごめん、泣いてる夕咲みてたら体が勝手に。やっぱ嫌だったよね!」


 そう言って、慌てて夕咲から離れようとした時、


「嫌じゃないですっ!」


 夕咲は離れかけていた俺の体に飛び込んできた。


 俺はよろめき、尻餅をつく。


「夕咲……、そうだよ。これでいいんだよ。俺なんかにでよければ好きなだけ甘えてくれていいから」


 夕咲の昔のことはまだよく知らないが、きっと、今まで考えられないくらいの苦労をしてきたのだろう。


 そして、それゆえの涙。


 ならば、夕咲は人一倍、誰かに甘える権利を持っている。


「ありがとうございます。これから、改めて、よろしくお願いします」


「うん。よろしく、夕咲」


 それから一時間くらい、俺は夕咲の涙を受け止め、頭を撫で続けた。

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