愛と平和のためにって言ってもいいじゃない
時田柚樹
第1話
「姫さまー」
「姫さんー」
「お姫ー」
屋敷では人々が蟻のごとく、さまよっている。とは、ブレイズリー公国の皇女、ベアトリス・フロレイア・オークリー、通称ベリーが勝手に想像しているだけ。
「ふふふっ」
現在、ベリーは一人で町へ繰り出していた。
ブレイズリー公国は、首都ブレイズリーを中心にした国。気温は、ほんの少し上下するが、常春と言っていい暖かな地域だ。気候が常に安定しているため、上質な馬が育ちやすく、また、小麦の石高もある。
宮殿は首都にあるが、皇女であるベリーの住む屋敷は、首都より北のクレイスという町のさらに上にあった。
ベリーは宮殿に行く機会が何回もある。そのたびに、自分の住む地をド田舎だと思う事もしばしばあるのは確かだ。
だが、景観も人も、この町が大好きだった。窮屈な屋敷から抜け出し、自由を満喫する。それが、今のベリーには冒険だからかもしれない。
そのクレイスの町は、整えられている町とは言い難く、未だ舗装されていない道と木造建築の平屋で構成されている。
家の立ち並ぶ区画から少し外れると、畑や牧場といった大地が目を楽しませてくれた。
唯一の問題は、屋敷から町まで見つからないように移動する事。陰のない土地は、隠れる場所がないのだから。
「ベリーちゃん、今日も元気だねぇ」
「うん。イナじいさんも」
「おお。わしもまだまだ捨てたもんじゃなかろう?」
かっかっか、と笑いながら、食事宿『渡り鳥亭』の扉を開ける。薄汚れた木材が、この店の年齢を知らせる。きしむ床も、少し斜めのテーブルも、それらを後押ししていた。
「今混んでるから、ちょっと待ってな」
おかみが威勢よく、背の高いカウンター越しに言う。
「おお。殺気立っておるの。大人しく待つことにしよう」
入って来た扉のキイッという音を再び聞きながら外に出た。二人は、椅子とは呼べない、積んであるだけの木材に腰かけた。
イナじいさんは、集めている麦酒の王冠をジャラジャラいわせて、ポケットから出した。
「ほれ。上達したかの?」
少し凹んだ王冠をひとつ、ベリーに差し出した。
「なかなか練習出来なかったんだけど、上手くなったとは思うわ」
ベリーは教わった通り、カーブを作った人差し指に合わせた親指の上に王冠を乗っけた。
「えいっ」
勢いよく親指を弾くと王冠が真っ直ぐ壁伝いに飛んだ。
「おお。なかなかいい具合じゃのう。目標物を決めてやったほうが、もっと上手くなるぞ」
「うん」
以前、イナじいさんが飛ばしているのを見て、教えて欲しいと頼み込んだ技だ。最初は、女の子がするような事ではないとたしなめられたが、今では師匠らしく常にアドバイスをくれる。
木の欠片を立てて的にして狙う。褒めてもらえることが嬉しい。何回も何回も同じ動作を繰り返す。
飛んで行った王冠を拾ったあと、小さな窓から店を覗いた。
「おかみさん、忙しそうだったわ」
「時間帯が悪かったのう。ここの昼飯は美味いでの。町中のやつらが集まって来とるわい」
にこにこして話すイナじいさんは、町に出て来たベリーとよく会った。小麦を作っており、ベリーも畑を見たことがあった。孫娘ほどの年齢差。ベリーは町の事をいつも彼に聞いていた。
「おかみさんの旦那さんはいないのかしら?」
「遠い昔に亡くなったそうじゃよ」
「そう……」
「ベリーちゃんはいくつかのう?」
「十三よ」
「そうか。自分も周りの人も大事にせねばいかんよ。若い頃に失くしたものの痛みは取れん。時間が経っても、頭では忘れたつもりでも、心が憶えておるんじゃ」
「……今も痛いの?」
「小さなとげが刺さってるくらいだよ。お嬢にへんなこと吹き込まないどくれよ」
おかみがベリーの頭越しに声をかけた。
「ほら。二人とも、席が空いたよ。中に入りな」
「やれやれ……おかみの口の悪さも、この町をしきっとるだけあって、箔が付いとる」
イナじいさんは、フッと笑い「よっこらしょ」と言って立ち上がった。ベリーも立ち上がり、二人について行く。跳ねるようにベリーがついて行く姿を見たおかみは、ニッコリほほ笑んだ。
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