シグ

第22話

 翌朝、売店で売っていたパンで朝食を済ませた時雨とパピは早い時間に宿を出て電車に乗り込んでいた。時間は八時前。海水に濡れた靴は潮が浮いているのか少し色が変わってしまっている。帰ったら洗ったほうがいいかもしれない。

 そんなことを思いながら隣に座るパピに視線を向ける。彼女は眠そうな表情でスマホを見つめていた。しかしその画面は真っ暗だ。


「パピさん」

「……弥生。二人のときは名前で呼んで欲しい」


 小さな声が返ってきた。時雨は思わず笑みを浮かべる。


「なに。なんで笑うの」

「いえ。なんか弥生ちゃんって思ってたより子供らしさがあって親近感が」

「なにそれ。褒めてないよね?」

「褒めてますよ」


 それでもパピは納得しないのか、深くため息を吐いた。そして「ま、いいか」と笑う。


「で、なに? さっき何か言いかけてた」

「ああ、はい。最後にユズに会ったのっていつだったか覚えてますか?」


 するとパピは「覚えてる」と少し寂しそうな表情を浮かべた。


「実はさ、みんながユズに呼び出されてファミレスに集まった次の日に見かけたんだよね。ユズのこと」


 パピはそう言うと「無視されたけど」と目を伏せた。


「え……? そんな、気づかなかっただけじゃ?」

「そんなわけないよ。だってわたし声かけたんだから。でもあいつ、まるで知らない他人を見るような目で見てきてさ。そのまま何も言わずにどっか行っちゃったんだよ。マジでショックだった……」


 それを聞いてようやく時雨は納得した。

 信じられると思っていた相手に拒絶されてしまった。だからパピは救ってくれる相手を探していたのかもしれない。あるいは本当の自分を受け入れてくれる相手を。

 自分という存在を受け入れてもらいたい。その気持ちは痛いほどよく分かる。それは時雨がずっと求めているものだから。


「――何かしたのかな、わたし」


 時雨の脳裏に蘇ったのはミユと一緒にカフェで会ったユズの姿。きっとパピの前に現れた彼女もあんな態度だったのだろう。ミユや時雨のことを認識はしていた。しかし、まるで知らない相手を見ているかのような表情。


「何か事情があったんですよ」

「どんな事情だよ」

「それは今度会ったときにじっくり問いただしましょう」


 時雨が笑うとパピも笑った。そして眠そうに目を擦る。そういえば今日の彼女はすっぴんに近い。


「メイク、薄い方が可愛いですよ」

「ふうん。時雨のタイプはこっちか。惚れた?」

「なんでそうなるんですか」


 しかしパピは嬉しそうだ。そして「じゃ、時雨と会うときはこれくらいのメイクにしとく。楽だし」と続ける。その声はひどく眠そうで目もほとんど閉じてしまっている。


「眠れなかったんですか?」

「ん。なんかテンション上がっちゃって」

「子供みたい」

「うっさい」


 時雨は微笑むと「寄りかかって寝てもいいですよ」とパピが寄りかかりやすいように彼女との距離を詰めた。


「終点までですよね。この電車」

「えー。やだ」

「なんでですか」

「もったいないじゃん。せっかく時雨と仲良くなれたのに」

「またいつでも来れますよ」


 するとパピは驚いたように時雨を見た。そして嬉しそうに笑みを浮かべる。


「うん。じゃあ寝る。肩貸して」


 柔らかい言葉と共に肩に重みと温もりを感じる。これが本当の彼女なのだろう。寂しがり屋で甘えん坊。今まで見てきた強気な彼女は、きっとそうしないと自分を守れなかっただけ。


 ――わたしみたいな存在でも誰かの支えになれるのかな。


 時雨は思いながらスマホを取り出すとSNSを開く。そしていつもの日課のようにタイムラインにユズの名前を探すが見当たらない。ため息を吐いて通知欄を確認するとフォロワーが一人増えていた。作られたばかりなのかアイコンは初期状態。IDも変えていないらしく、でたらめなアルファベットが並び、名前にはYとだけ入力されている。


 ――スパム?


 アカウントページを覗いてみるとポストは一つもなく、フォローしている相手も時雨だけだ。どこで時雨のアカウントを見つけたのだろう。

 少し考えてからなんとなくフォローを返す。スパムならあとでブロックすればいいだけのことだ。思いながらユズのアカウントページに移動する。


 ――会って話をしたいのにな。


 蘇ってくるのは初めて会ったときのユズの笑顔と先日カフェで見たユズの冷たい表情。

 会って何があったのか聞きたい。もし困っているのなら力になりたい。それだけなのに。

 時雨は窓の外に視線を向ける。さっきまで快晴だった空には薄く雲が広がっていた。

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