第1章 新学期の出会いと転入生の決意

1.四月の朝、桜の校門


四月初旬。まだ肌寒さが残る朝の空気が、肌をひんやりと包み込む。私は、大きな黒いショルダーバッグを肩に掛け直しながら、桜ヶ丘(さくらがおか)高校の正門を仰ぎ見た。


小さな花びらが、校門の周りをひらひらと舞う。ほんの数日前までは満開だった桜が、少しずつ散り始めているのだろう。彩り豊かなピンク色の花びらが、一斉に舞う様子はどこか儚(はかな)く、そして新しい季節の訪れを私に告げているかのようだった。


ここが、私の新しい学校……桜ヶ丘高校。


私は胸の奥でそっとつぶやく。


私の名前は高橋さくら。


今日からこの学校に通うことになった高校二年生の転校生だ。父の仕事の都合であちこちを転々としてきた私にとって、学校が変わるのはこれで何度目になるだろう。三回……いや、四回目になるのかもしれない。自分でももう正確には思い出せないくらいには、引っ越しと転校の繰り返しをしてきた。


だけど、そんな“慣れ”は正直なところあまり意味をなさない。いつだって、新しい環境で最初に感じるのは緊張と不安。さらには、少しだけの期待。それらがごちゃ混ぜになって、胸の内側をかき回すのだ。


今度こそは、長く通える学校になるといい。


私は小さく深呼吸をする。


緊張を溶かそうとするかのように、冷たい空気を鼻から吸い込み、静かに吐き出した。そのとき、昇降口へと向かう生徒たちの輪の中に、ひときわ目立つ華やかな姿があるのを見つける。ウェーブがかった茶色の髪を肩甲骨あたりまで伸ばし、すらりとした体躯。真新しいブレザーの制服を着こなしながら、どこか洗練された雰囲気をまとっている。


すれ違いざまにチラリと横顔が見えたが、目鼻立ちが整っていて、まるで芸能人かモデルのようだ。そして、その佇まいには、どこか孤独な影が落ちているようにも感じられた。


きれいな人……。


気づけば私は、その人の後ろ姿を目で追っていた。しかし彼女はこちらにはまったく気づかず、まるで周囲を寄せつけない静かなオーラを漂わせたまま、昇降口へと姿を消してしまう。


胸の奥がざわりと震える。初めて見るはずの人なのに、何か、得体のしれない感覚が私の意識をかすめた。


私は一拍置いてから足を踏み出す。


きっとああいう子が、この学校の“中心”にいる生徒なんだろうな、という予感めいたものを抱えながら——。



2.転入初日の朝ホームルーム


校舎の中へ入り、案内板を見ながら自分の下駄箱を探す。二年A組。クラス替えがあったばかりのようで、新しい下駄箱の列には多くの生徒が行き来していた。


私は自分の名前の札を見つけると、上履きを取り出して履き替える。硬い廊下を踏みしめる音。周囲は慣れた様子で階段を上り下りしているけれど、私にとってはすべてが初めての場所。


少しだけ、お腹の奥がキリキリと痛む気がした。


それでも、ここで尻込みしてはいられない。私は意を決して階段を上がり、二年A組の教室を目指す。


コンコン。


教室前の扉を軽くノックすると、中から女性の声が返ってきた。


「はい、どうぞ」


扉を開けると、そこには優しげな表情の先生が立っている。細身のパンツスーツにジャケットを羽織り、長い髪を後ろでひとつに束ねている姿は、きびきびとして知的な印象を受ける。


「おはようございます……えっと、今日から転入する高橋さくらです」


「おはよう、林(はやし)です。ここのクラスの担任よ。よろしくね、高橋さん」


担任の林先生は私に柔らかく微笑んだ。


「朝のホームルームが始まるまで、まだ少し時間があるから、そこの席で待っててちょうだい」


クラスの後ろ、空いている机を示され、私は素直に頷いた。教室の中には、数人の生徒が既に席についている。ちらちらと私を見てはひそひそ話しているのがわかる。

こういう視線にはもう慣れてしまったはず。だけど何度経験しても落ち着かないものだな……と、心の中で自嘲する。


やがて始業のチャイムが鳴り、ぞろぞろと生徒たちが教室へ入ってくる。あっという間に席が埋まり、クラスがざわつく空気に包まれる。


林先生が教壇に立ち、さらりとした口調で言った。


「みんな、おはよう。今日は朝のホームルームの前に、ひとつ紹介があるの。今学期から二年A組に仲間入りする転入生が来ているわ」


生徒たちの視線が一斉に私へ向かう。心臓が急にドキッと音を立てた。


「高橋さくらさん、前に出てきてくれる?」


私は促されるまま、カバンを置いて教壇の前に立つ。期待と好奇心に満ちた視線が集中して、顔が熱くなってしまう。


「えっと……高橋さくらです。父の仕事の都合で、引っ越してきました。いろいろわからないことが多いんですけど、仲良くしてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします」


少しだけ頭を下げると、すぐにクラスのあちこちから


「よろしくー!」

「イエーイ!」


という軽い声が飛んできた。思ったよりも快活な反応で、私は少しほっとする。


そんな中、教室の後方の窓際あたりに、今朝見かけたあの“きれいな人”の姿を見つけて、思わず視線が釘付けになった。


彼女は私をじっと見つめ、かすかに微笑む……ような気がした。しかし、その笑みはあまりにも淡くて、一瞬で消えてしまう。


彼女にかすかな興味を抱きながら、私は自分の席へ戻る。新しいクラスメイトとの始まり。いつだってこの瞬間は胸が高鳴るし、不安にもなる。



3.クラスメイトとの交流


最初の一時間目はホームルーム。学級委員を決めたり、クラスの係を決めたりと、新学期特有の雑務が多い。私は転入生という立場もあって、


「とりあえず見学でもいいわよ」


と先生に言われるが、ちょっとだけ勇気を出してみることにした。


「林先生、私も何か役割があればやってみたいです」


そんな申し出をすると、先生もクラスメイトも「おお!」という顔をする。


「じゃあ、掃除当番のローテーションとか、学級掲示の管理とか、いろいろあるけど……どうする?」


「うーん……」


少しだけ迷ったとき、私の隣の席の女の子が手を挙げた。


「先生! じゃあ私と一緒に掲示係やってもらっちゃおうかな? 私、一人じゃいろいろ寂しいし!」


そう言って、にこにこと微笑んでいるのは吉野奈々(よしの なな)。ぱっちりした目と茶色いセミロングが印象的で、クラスのムードメーカー的なオーラがある子だった。


「ありがとう。じゃあ吉野さんと一緒にやってもらおうかな。助かるわ」


林先生もあっさり了承し、奈々は嬉しそうに私の肩をぽんと叩いた。


「よろしくね、高橋さん……じゃなくて、さくらちゃんって呼んでいい?」


「うん、もちろん……」


私は少し照れながら微笑む。何だか、新しい友達ができそうな予感に胸が弾んだ。



4.“西園寺未来”という存在


その日の午前中の授業が終わると、昼休みが訪れた。弁当を広げる場所を探して教室を見回すと、例の吉野奈々が声をかけてくる。


「さくらちゃん、一緒に食べよー! 私たち、まだ席決まってないし」


彼女が指差す先には、数人の女子が机を寄せて集まっていた。笑顔で手招きしてくれている。こういうとき、誘われるか誘われないかが新しい環境へのなじみやすさを左右するのは、身をもって経験済みだ。私は内心で安堵しつつ、「いいのかな?」と小さく答え、そこに混ざった。


「私、奈々の幼なじみの関係者……ってわけじゃないんだけど、なんだかんだで仲良しなの。東条リサっていいます。よろしくね」


さらさらの黒髪を下ろしたおしとやかな雰囲気の子が、私に挨拶する。

隣では、もう一人の女の子が


「私、鈴木マチ! えへへ、さくらちゃん可愛い!」


なんて屈託なく笑っている。


皆、初対面の私に対してもフレンドリーで、ちょっと拍子抜けするほどだ。


引っ越し先によっては、もっとぎこちなくされることもあった。こういう明るいクラスでよかった……と胸をなで下ろした。


談笑が弾む中、自然と話題はクラス内の人間関係へ移っていく。


「そういえばさ、林先生が『学年トップクラスの秀才』って褒めてた西園寺さん……あの子、やっぱりすごいのかな?」


「うん、めちゃくちゃ成績いいらしいよ。テストもほぼ満点に近いらしくて、特に英語とか国語とかの文系科目が強いんだって」


「体育も意外にできるよね。バスケとか普通にうまかったし……なのにピアノも天才ってどういうこと?」


「みんな“高嶺の花”って感じで、なかなか話しかけづらいけどね。男子にも大人気だし……」


西園寺未来。


——さっき私が見かけた、“美しくてどこか冷たい雰囲気”をまとうあの少女のことだ。どうやら噂どおり、何でもそつなくこなす才女らしい。


私は弁当を食べながら、ぼんやりと思う。あれだけ完璧で、しかもあんなに綺麗なんて、まさに「高嶺の花」だろう。いや、それだけにきっと近寄りがたいのかもしれない。


やがて、奈々がぽつりと言った。


「でも意外と、寂しがりやだったりするのかもよ? そういうオーラを私、ちょっと感じるんだよね」


「へえ……そうなのかな?」


私が不思議そうに尋ねると、奈々はウインクしながら、


「勘だけどね!」


と茶化すように笑った。


そのとき、何気なく教室の後方を見やると、未来が一人で窓際の席に座っているのが見えた。スマートフォンを手にして画面を確認しているようだが、顔には疲れの色が浮かんでいる……ようにも見える。


声をかけたほうがいいのかな。そう思いつつも、彼女が一人の時間を望んでいる気がして、結局何も言えないまま時は流れた。



5.掃除当番と、クラスに溶け込む準備


放課後。クラスでは掃除当番の分担や、掲示物の整理が始まる。私はこの日から奈々と一緒に掲示係をすることになっており、黒板脇の掲示板のレイアウトを手伝うことになった。


「ここはクラス目標を書いて貼る予定で、ここは当番表……あっ、あとさくらちゃんのプロフィールカードとかも貼ろうよー!」


「ええっ、私のプロフィール……?」


「ほら、新入生ウェルカム的なコーナーがあったら面白いかなって思って! それに、みんなもさくらちゃんのことよく知らないし」


「そ、そうかな……でも、ちょっと恥ずかしいかも」


「平気平気! 私も一緒に作るから。さっそく紙とペン持ってくるね!」


奈々はテンション高く教室を出て行き、私は苦笑しながらその背中を見送る。


人懐っこくて元気いっぱいな彼女がクラスの人気者なのは、すでに見ていてよくわかった。


彼女のように社交的になれたら、きっと転校の苦労も少なかったのかもしれない。私は今さらながら、こうした積極性を羨ましく思う。


奈々が戻ってきて、二人であれこれとレイアウトを考えているうちに、教室にはほとんど人がいなくなってしまった。


窓の外は夕暮れに染まり、赤みがかった陽光が教室を優しく照らしている。掲示板に画鋲を刺しながら、私はふと窓側の席を見る。


「あれ……?」


そこには、まだ未来が座っていた。鞄を机の上に置き、難しそうな顔でスマホを触っている。どうやら帰っていなかったらしい。


声をかけようか迷っていると、未来がこちらに気づいたのか、すっと視線を向けてきた。


「……まだ残ってるの?」


驚くほど静かな声だった。私が少し躊躇していると、奈々が先に答えてくれる。


「うん、掲示係だからね。いろいろレイアウト考えてたら遅くなっちゃった。西園寺さんはどうしたの?」


「ちょっと待ち合わせしてて……でも連絡が来ないから、もう帰ろうかなって」


未来はスマホを操作して、ため息混じりに画面を消す。鞄を手に取り、立ち上がろうとしたところで唐突に足を止めた。



6.未来との初めての会話


未来は、私と奈々の貼りかけの掲示板に目を留める。そこには大きな文字で


「二年A組へようこそ!」


と描き、私の簡単なプロフィールを書いた紙が貼られていた。


名前:高橋さくら

出身:埼玉県(転勤が多く、前は長野県にいた)

好きなもの:小説、音楽鑑賞、甘いお菓子

苦手なもの:大人数での騒ぎ(ちょっと苦手かも?)

ひとこと:クラスのみんなと仲良くなりたいです


未来は、すうっと指先を掲示物に伸ばして「音楽鑑賞……」と呟く。


「音楽、聴くのが好きなの?」


「え……あ、はい。自分で演奏したりはしないんですけど、聴くのが好きで……」


私は少し緊張しながら答えた。何しろ、目の前の人は“ピアノの天才”なんて噂されるような子だ。


「そう……。だったら今度、私のピアノも聴いてみる?」


「え……いいの?」


思いもよらない申し出に戸惑う私に、未来は淡い微笑みを浮かべる。


「うん。合唱部に頼まれて練習に付き合ったりもしてるし。もしよかったら、放課後とか見に来ればいいよ」


その口調はどこか醒めているようでもあり、優しいようでもある。私はうまく返事ができず、


「うん」


とだけ小さく頷いた。


奈々が


「やったじゃん、さくらちゃん!」


と嬉しそうに私の背中をトントンと叩く。


「合唱部って、白鳥先輩とかがめっちゃ力入れてるんだよね。こないだ行われた定期演奏会も、大成功だったらしいし」


「うん……。でも私、あんまり歌もうまくないよ?」


「大丈夫大丈夫! そういうのは入ってから上達するんだから!」


奈々が元気に笑う横で、未来は少し目を細める。


「歌が下手とか、そういうのは関係ないよ。音楽って、気持ちが大事だから。……私なんか、ピアノ弾いてるだけでいっぱいいっぱいだもん」


後半は少し小声で呟く。やはりどこか陰があるように見えるのは気のせいだろうか。



7.転校を繰り返してきた理由


私は掲示物を貼り終え、残った画鋲や紙切れを整理しながら、ふと自分が転校生であることを改めて思い知らされる。今までも、こうやって“紹介コーナー”なんていうのを作ってもらったことがあったけれど、馴染む前にまた引っ越し……そんなことを繰り返してきた。


父の仕事は海外との取引が多くて、転勤が頻繁。


家族で暮らしてはいるものの、私はいつも学校を変わらなきゃいけない。

最初は寂しかったけれど、慣れると段々「またか」という気分にもなる。


でも、もう二年生。

あと一年半で高校卒業だ。


もし運が良ければ、ここ桜ヶ丘高校で最後まで過ごせるかもしれない。そう思うと、今回こそは友達を作って、充実した青春を送りたい……という欲が出てくる。


心の中で、そんな決意を新たにしていると、奈々が突然私の正面に回ってきた。


「さくらちゃん、今度の日曜日は空いてる?」


「え……日曜日? 何かあるの?」


「うん、私さ、演劇部の仲間と花見に行こうって話があるんだ。もう散り始めてるけど、まだギリギリ見れるし。さくらちゃんもよければ来ない?」


誘われると思っていなかったので、私は「えっ」と固まる。しかしこのチャンスを逃したら、また疎外感を味わってしまうかもしれない。


「……うん、行きたい。もし私でよければ」


「よし決まり! 演劇部の子たちってちょっと騒がしいかもしれないけど、みんな面白いからきっと気に入るよ!」


奈々の人懐っこい笑顔に誘われる形で、私は“初めてのクラス外交流”に参加することを決める。転校したばかりの私にとっては、大きな一歩だ。


そんな私と奈々の会話を、未来は少し離れた位置から見ていた。ちらりとこちらを振り返り、何か言いかけたように見えたが、結局何も言わずに教室を出ていってしまう。


その後ろ姿が、窓から差し込むオレンジ色の夕日を背負い、どこか孤独を強調しているように見えたのは……私の思い過ごしだろうか。



8.放課後、かすかな想いの芽生え


掲示係の作業を終えた私は、下校の準備をするため自分の席に戻る。教室の人数はもう数えるほどしか残っていない。みんな部活やバイト、塾へと散っていくのだろう。


そんな中、窓の外に目をやると、校庭を颯爽と走るサッカー部の姿が目に入る。緑の芝生の上を、男子たちがボールを追いかけて駆け回っている。


その中に、先ほどチラッと耳にした名前……松田俊介(まつだ しゅんすけ)という男子がいるらしい。どうやら彼は未来の幼馴染みで、スポーツ万能のイケメンだと噂になっているとか。


西園寺未来と松田俊介。

何か特別な関係があるのかな?


ふとそんな考えが頭をよぎる。


でも、そんなの私には関係ない。私は彼女のことを深く知らないし、恋とか友情とか、そんな領域に踏み込むにはまだ早すぎる。


けれど、朝見かけたあの気高い姿と、先ほど夕暮れの教室で感じた彼女の繊細そうな横顔……そのギャップに心が揺さぶられたのは確かだ。


あの子のピアノ、どんな音がするんだろう……


軽音楽部のギターとは違う、吹奏楽部の管楽器とも違う。彼女はピアノを弾くらしい。それも相当な腕前だと耳にする。


私は音楽を聴くのは好きだけれど、ピアノの生演奏に深く触れる機会はほとんどなかった。もし彼女が弾く旋律を聞けるなら、それはきっと素敵な体験になるに違いない。


でも、どうやって近づけばいいんだろう……。


思い悩みながら帰り支度を終え、教室を出ようとしたそのとき、廊下の奥から林先生の声が聞こえてきた。


「高橋さん、ちょっといい?」


振り向くと、林先生が微笑んでいる。職員室へ向かう途中らしい。私は慌てて近づいた。


「今日一日、どうだった? 困ったことなかった?」


「えっと……みんな優しくて、何とか大丈夫でした。吉野さんとか、すごく親切にしてもらって」


「そう。よかったわ。もし何かあったら、いつでも相談してね」


林先生のさっぱりとした物腰は頼りになる感じで、私はもう一度礼を言う。


「はい、ありがとうございます」


先生は私の肩を軽く叩き、「明日も頑張ってね」と言い残して去っていった。


廊下に一人取り残され、どこかぽかんとした気分になる。でも、不思議と不安よりも「頑張ろう」という気持ちの方が大きかった。



9.父との会話、そして自室にて


家に帰り着くと、玄関にはまだ靴が一足しかない。母もパートの仕事を始めているし、父は今日も遅くまで残業らしい。


「ただいま……」


小さくつぶやきながらリビングへ入ると、ダイニングテーブルにメモ書きが置いてあった。母の文字で、


「夜は遅くなるから、夕飯は冷蔵庫の惣菜を温めて食べてね」


とある。


ため息半分、仕方ないなと思いながら自分の部屋へ向かった。新しいマンションはまだ段ボールがあちこちに積まれたままで、片づけが終わっていない。


かばんを置き、制服をハンガーにかけて、軽く着替えを済ませる。スマートフォンをチェックすると、クラスLINEらしきものに招待された通知が入っていた。奈々がさっそく私を招待してくれたらしい。


グループのメンバー一覧には三十数名が並んでいる。軽くログをさかのぼると


「転校生、もう入った?」

「あ、招待したよー」

「おー、よろしく!」


という会話が並んでいて、少し胸が温かくなる。


改めて


「よろしくお願いします、転校生の高橋さくらです」


と一言送ると、すぐに何件かのスタンプや「よろしくー!」という返信が届いた。ほんの些細なことだけれど、私は笑みを浮かべる。


そのとき、玄関が開いて「ただいまー」と父の声が響いた。珍しくこんな時間に帰ってくるなんて。


慌ててリビングに戻ると、父はネクタイをゆるめながらソファに腰を下ろしていた。


「お、さくら。今日から学校だったろ? どうだった?」


「うん。まあ……思ったよりは大丈夫そう。仲良くしてくれる子もいて、ほっとしてる」


「そうか。よかったよかった。母さんは仕事が長引いてるみたいだな」


父はそう言って軽くため息をつく。


「俺も今日は早めに上がれたから、飯でも食いに行くか?」


と提案してくれるが、私はごめん、と断る。実は少し疲れていて、外食する元気がなかったからだ。


「そっか。じゃあまた今度にしよう。……もし困ったことがあったら、言うんだぞ」


「うん、ありがとう」


実のところ、父に相談してもどうにかなる問題ばかりではない。学校での友人関係や悩み事は、結局は私自身の努力で乗り越えなきゃいけない。でも、心配してくれているのは素直に嬉しい。


父は私の頭をぽんぽんと叩き、


「お前も大変だろうけど、頑張ってくれな」


と言って微笑む。私は少し照れながら「


うん……」

と頷き、また自室に戻った。



10.夜、ベッドの中での自問


時計の針は夜の十一時を指している。ベッドに潜り込み、スマホを眺めつつ、今日一日の出来事を思い返す。


クラスの皆と話したこと、掲示係で奈々と盛り上がったこと、そして——あの西園寺未来のこと。


ピアノが上手って、どんな演奏をするんだろう。


高嶺の花みたいなのに、ちょっとだけ寂しそうな人。


でも、もし近づいたら、何か見えてくるのかな……。


私はぼんやりとそんなことを考えながら、明日のことを思う。もしかしたら明日は合唱部の見学に行ってみるかもしれない。彼女が「見に来ればいい」なんて言ってくれたから——。


自分から進んで行動しないと、何も変わらない。引っ越しと転校を重ねてきた私だからこそ、何となくわかる。


今度こそは、ここでしっかりと地に足をつけて、人とつながっていきたい……。


そんな思いを胸に抱きながら、私はゆっくりと瞼を閉じる。今日一日だけでも、かなりの疲れが溜まっているようで、意識はすぐに夢の淵へと沈んでいった。


11.翌朝、窓辺の空気と新しい心


翌朝、目覚ましの音に促されるように起きると、私はすぐ窓の外を見た。昨夜の雨で路面が濡れているが、もうすでに雨は止んでいるらしい。


時折、大きく深呼吸をしてみる。昨日よりも少しだけ、胸の奥が軽くなっている気がする。


慣れない学校での初日を終えた安心感というべきか。それとも、ほんの少しだけれど“居場所が見つかるかもしれない予感”が私をリラックスさせているのかもしれない。


制服に着替えてリビングに行くと、母が簡単な朝食を用意してくれていた。父はもう出社した後で、テーブルには母と私の分の食パンが並んでいる。


「おはよう。体調は大丈夫?」


「うん、平気。昨日は案外楽しかったよ。優しい子が多くて」


「それは何より……。せっかく転校するなら、いい友達ができるといいわね」


母もほっとした表情でそう言う。実際、親としては転校が娘に与える影響を一番気にしているのだろう。私はその思いに応えるように、


「うん、頑張る」


と微笑んだ。



12.二日目の朝、校門での再会


学校に到着すると、昨日とはまた違った気持ちで正門をくぐった。桜の花はさらに散り始めていて、花びらが風に流されながら校庭を舞っている。


「あ、さくらちゃん、おはよー!」


声の主は奈々。彼女は私を見つけると大きく手を振ってくれた。


「おはよう、奈々」


「掲示板、みんな見てくれたみたいだよー。『転校生なんだって?』『どんな子なの?』って興味津々だった」


「ええっ、私なんて普通だよ……」


私が照れると、奈々は


「そんなことないって!」


と笑顔を返す。そうやって明るく振る舞う彼女が、とても頼もしく感じる。


ところが、奈々と話している途中、ふと視界の隅に未来の姿が映った。彼女はあの日と同じように、少しうつむき加減で昇降口へ向かっている。


目が合いそうになったが、未来はすぐに視線をそらした。どこか元気がないように見える。


やっぱり、あの子には何か事情があるのかな……


昨日、初めて言葉を交わしたけれど、まだまだ知らないことだらけだ。でも、もし合唱部の見学に行ったら、もう少し話せるかもしれない。そんな予感が、私の背中を押すようだった。



13.朝のホームルーム、合唱部への招待


教室に入り、自分の席に座ると、奈々が「ねえねえ」と声を潜めて近づいてきた。


「さくらちゃん、もし興味があったらだけど……合唱部の見学、今日行く?」


「合唱部……うん、興味ある。でも私、合唱なんて全然知らないし……」


「大丈夫って! 私の演劇部仲間にも合唱部と兼部してる子がいるから、紹介できるし。楽譜なんて、最初は読めなくても何とかなるよ!」


少し不安もあるけれど、昨日未来が言ってくれた「見に来ればいい」という言葉が頭をよぎる。せっかくのチャンスなら、思い切って飛び込んでみようか——そう思えた。


「じゃあ、放課後、案内してもらってもいい?」


「もちろん!」


奈々は嬉しそうに微笑む。朝のホームルームが始まる前のわずかな時間の会話だったけれど、これが大きな一歩になる予感がした。



14.転校生としての決意


朝のホームルームが始まり、林先生が教壇に立つ。クラス委員や各係の連絡事項が次々と告げられ、私も掲示係としての書類を受け取った。「学級目標を考えて掲示しておいて」とのことだ。


普段ならちょっと面倒だなと思うかもしれないが、今の私にはこうした役目があることが嬉しい。自分はクラスの一員として動いているんだ、という実感が得られるからだ。


同時に、胸の奥底では、これまで何度も


「せっかく慣れたころに転校してしまう」


パターンを経験してきた恐怖心が鎌首をもたげる。


それでも——二年生の途中というタイミングで転校してきたのだ。残り一年ちょっと、ここで過ごせる可能性は高い。だからこそ私は


「今度こそ最後まで通い切るぞ」


と、改めて心に誓う。


居場所を作ろう。友達を作って、思い出を作ろう。

それが、私の高校生活を鮮やかにしてくれるはずだ。


こうして、新しい生活の二日目が動き始めた。私は放課後に合唱部を見学しに行くことを心に決め、次の授業へ向かう。頭の中には、まだ見ぬ“ピアノの音色”と、“歌声のハーモニー”がぼんやりと浮かんでいた。

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