第一章 ウィッチ・ミーツ・ウィルオウィスプ
第1話
六月は雨の季節だ。ひどい湿気と熱気が夏の到来を告げる時期、夜中であっても変わらず雨は降り続け、コンクリートの地面を濡らし、朝方にひどい湿気をもたらしてくる。少女はそんな季節が嫌いだった。
だというのに、土砂降りの雨の中、遠いビルの明かりや、道の脇にあるLEDの街灯以外、何の光もない真夜中にまったくもって不釣り合いな彼女は一人、傘もささずに学生服を濡れし、濡れたコンクリートの地面を歩くには適さないローファーを履いて出歩いているというのか。
理由は彼女の二十メートルほど前を行く男、仕立てのいいスーツをまとってはいるが、安いビニール傘を差し、厳めしいひげ面と、似つかわしくない柔和そうなニヤケ面に咥えられた高級そうな葉巻から、男の野性味あふれる凶暴性が覗いていた。
とはいえ、明らか堅気とは見えないこの男は、後ろをぴったり尾ける少女よりはこの夜に似つかわしくみえた。
男は少女にもちろん気付いている。そもそも少女は距離を取ってはいるが、それは身を隠すためではない。むしろ、堂々と間合いを測りながら近づいてすらいた。そして、それは男も同じだ。
男は鼻歌を歌いつつ、いくつかの街灯をやり過ごし、それから、一つの街灯の真下に止まり、ビニール傘を丁寧にたたむと、車道に放り投げてスポットライトに照らされた道化師のように大仰に振り返った。
「んん...?俺を尾ける回す恐れ知らずがどんなもんかと思いきや、以外にも可愛いらしいじゃないか。」
振り返った男は、少女じろじろと眺め、怪訝そうに顔をしかめると、合点がいったように柔和そうなニヤケ面を邪悪に歪める。傘を放り捨てて土砂降りの雨にさらされてなお、火のついたままの葉巻が異質な雰囲気を漂わせ、少女を威圧しようとする。
だが、少女は気圧されることも、歩みを止めることもなく、徐々に間合いを詰めていく。
「はん...不愛想な女はあまり好かんよ俺は。」
その少女の様子に、気を悪くした男の全身から、溢れ出した殺意が、少女と男の間に満ちていく。
「今から殺す相手に、愛想よくするつもりはない。いや、むしろ最期の一服を許してやったんだから私としてはアナタを気遣ったつもりだけど?」
対抗するように少女から発せられた突き刺さるような殺気が、男の殺気とぶつかり混じり、空間を泥のように重く、歪めていく。
男は、その少女の殺気を受け止めると、それを鼻で笑い、口にくわえた葉巻を足元に捨て火を踏み消した。
「俺はラムトリックだ。」
「ペイルブレードです。」
それを合図に二人は名乗った。
一見奇妙にも見えるそれは、自分たちが人間とは違う存在、違う名前を持つ存在であることを現し、異界から力を引き出す為の、ある種の神聖な儀式であり、これから常人に関与することは決して許されない戦いが、今この場で巻き起こることを意味していた。
そして名乗り終えた2人に視線を戻すと、彼女らの姿は、既に先ほどとは異なるものとなっていた。
学生服の少女は消え失せ、濡れ羽色の長髪を大きな青いリボンでポニーテールにまとめ、真っ青なホルターネックドレスを身に纏い、少女のさらけ出された白く細い首にかかる金鎖のネックレスに繋がって胸元で輝く、ドレスの青より暗くより青い宝石によって、いっそ不気味にすら思えるほど美しく彩られた魔女がそこに居た。
対峙する男のほうは、少女以上に様変わりしていた。
もはや面影は彼が来ていたスーツの残骸のみで、少女の目の前に立つは、ヤマアラシの針の如く硬そうな毛を逆立て、笑みに歪んだ口からナイフよりも鋭い黄ばんだ牙を覗かせ、世闇に輝くじろじろと獲物を見定める恐ろしい瞳を持つ、体長三メートル近い大柄な
「やはり、噂に聞くよりもチャーミングだな?魔女狩りの魔女とやらは...」
「そういうアナタは、変身しても不細工なまんまだね。」
ラムトリックの挑発に挑発で応じる彼女の両手には、いつの間にやら神秘的なデザインの奇妙な薙刀と、青白く不気味に刀身を輝かせる太刀が握られており、ペイルブレードという彼女の名の意味を強制的に想起させる。
ラムトリックはこれ以上、何も言わず獣めいて低く唸ると、牙をガチガチと鳴らして両手足の鋭い爪でコンクリートの地面を削りながらペイルブレードに飛び掛かった!
そして、二人の怪物が衝突するその瞬間、かろうじて周囲を照らしていたLEDの光が全て掻き消えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから、数分か、数時間か、はたまた数秒後か、ペイルブレードはたった一人、血だまりの中で激しく息を切らして座り込んでいた。左目はえぐり取られ、右太ももに痛々しい噛み傷が深く残っている。
(ああクソッ、意外にも、苦戦したな...いや、当然かな...?)
たった今殺したラムトリックは、彼女がこの任務についてから半年もの間追い続け、ようやく尻尾を掴んだテロリストたちの上級幹部だったのだから、それを仕留めて、この程度の負傷なら安いものだ。
魔女という存在は、見た目こそ通常の女性と変わりないが、身体構造が根本から人間とは異なっており、より優れている。だからこれ程の怪我であっても数日すれば跡も残らず完治する。
胸元にある忌々しい宝石、個人差や、ある程度のカラーバリエーションなどがあるが、これが共通して魔女達に異次元の力を与え、現実を歪める呪いの宝石。
彼女がペイルブレードとして生きるハメになった理由、それから生きる力でもあった。
この世界には異常な力、異常なものが存在していることを少女が知ったのは十年近く前であり、少女が魔女になったのもそれと同時だ。
そういった異常存在を管理、監視し時には排除し正常な世界を維持しようとする機関が幾つか存在し、少女を回収したのはその中で"教会"と呼ばれる勢力であることを知ったのはもう少し先であった。
それで厄介なことに"教会"というのは幾つかある対異常機関の中で特に異端の存在、所謂神の敵を排除することに熱心で...つまりは宗教色が強く、少女は信心深くもない上に少女が得た力は特に連中が忌み嫌う魔女のものだった。
幸い、力を得てから正常な人間を傷付けたことも無く、更には少女の力は連中にとって有益であると見なされ、即排除されることはなかったものの、"焚刑修道会"とかいう部門に組み込まれる羽目になった。
"教会"は宗教色が強いと言ったが、宗教組織というものは大概、利益主義なもので、魔女等の異端の力であっても有益であれば使いたいという本音があった。
"焚刑修道会"というのは、そのための魔女に異端狩りをさせる為にあった。そして今よりずっと幼かった少女が"修道会"で過ごした日々は苦難と戦いに満ち溢れていた。
とは言え、少女にとっては幸いなことだが、"修道会"というのは印象に反して所属する魔女達を死ぬまでこき使おうという最悪な仕事場というわけでもない。
魔女たちが当たる任務は、基本的に小規模で危険性が高く、秘匿性も高い極めて繊細なものであり、スペシャリストが求められた。
故に魔女達が受ける支援や訓練は極めて高度なものであり、結果として彼女は稀代の魔女狩りの魔女、ペイルブレードとなった。
だが、別にそんなこと少女は望んでいなかった。誰かと殺し合い、苦しみ、痛めつけられ、恨まれる。足抜けしようにもそれが許される立場にはない。雑に扱われないと言うだけで、魔女が"教会"内で苦しい立場にあることは変わらない。
そして今も危険なテロリストとの戦いに投入され、一人土砂降りの雨の中傷付き苦しんでいる。
そして、今の戦いで彼女が得たものは、この小さなプラスチックで出来たマネキンの指一本であった。
指はただならぬ魔力を纏っており、高度な魔術礼装であることは察しが付く。上級幹部の一人も仕留めた。成果としては上々と言っても良い。
しかし、彼女は傷付き仕事に対する達成感なども無い。要は少女は疲れているのだ酷く、とても酷く。
(早く帰って、シャワーを浴びたい...)
傷を庇うようにゆっくりと血溜まりから立ち上がろうとしたその時、彼女は見た。遥か遠くに真夜中だというのに未だポツポツと明かりの灯るビル群の屋上を、黒く赤い、不気味な炎がパチパチと弾けながら人魂のように飛び交うのを。
その光景は、少女の目と脳に強く焼き付き、彼女の胸を酷くざわめかせた。
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