4
ささくれ
二学期に入ると、ボランティア部の両先輩たちは指定校推薦の選考が大詰めとなり、面接や小論文に集中するため、しばらく平日の部活動は休止することになった。ちょうど夏芽の方も私と一緒に体育祭の実行委員に割り振られていたので、都合が良かったみたいだ。
ある日の昼休み、夏芽は実行委員で仲良くなった子と一緒にお昼を食べるとのことで、私は一人で中庭のベンチに座り弁当を食べていた。
例えば璃李依なんかは、休み時間は誰かと一緒でないと生きていけないようなタイプだけれど、私は一人で過ごす時間というのは嫌いではない。ぼーっとしながら頭の中で考えていることなんかをゆっくりと整えていく作業が私には定期的に必要だったし、その作業はまったくの一人でないとできないからだ。
自分の部屋にいるときだと、姉の部屋からラークの箱をくすねてそれを吸う。決して普段は吸わないし、吸いたいとも思わないけれど、思考労働的な内省に没頭するときには、なんとなくカッコつけたくてタバコを咥えてしまう。今は学校の中庭なので、代わりにリプトンについていた細いストローを咥えている。
そういえば、最近長岡先輩の顔を見てないな。
連絡先は知っているけれど、知り合ってもうすぐ半年になる今まで、メッセージを送ったことは一度だってない。向こうから送られてきたこともない。今の私の、あくびが出そうなほど平和で凪いだ日々において、どこにもジャンル分けできなくて、最も存在感を放っている人。
多分、中二の頃からこっち、私が親しくなれた相手というのは、私と同じように、性的なあれこれに対しての抵抗や嫌悪感のない人たちだったんだろう。普段は露わにできないような欲求を示しあってこそこそ隠れて満たしてから、お互いのパーソナルな部分に踏み込んでいった。そして、関係に至るまでに交わしたやり取りはあくまでも表面的なものだったのだということを、初めて思い知る。それが、私の中で確立された男性とのコミュニケーションの手段で、定着したリズムだった。
けれど、今になって考えてみれば、受験と学習塾という特殊で閉鎖的な条件が整っていたからこそ、あのリズムは成立していたんだろう。つまり、私の全盛期というのは、あの時期を過ぎた今ではうまく再現できないもので、当時のシチュエーションを再現しようと試みるのは、とても愚かなことなのかもしれない。
そして、そのリズムにあまりに馴染みすぎた私は今、上手く身動きが取れずにいる。生活サイクルは穏やかだけれど、ともすれば退屈という檻の存在をすぐ側に感じてしまう。長岡先輩のことも、距離を縮めるでもなく宙ぶらりんだ。なんだか、停滞している現状とその原因が思いがけず全部繋がってしまって、虚しい気分になる。
久しぶりに、あの頃に戻りたいな。いや、あの頃に戻れるなら、品性に欠けた人付き合いを改めるように歴史を改変する方が自分のためかもしれない。全部、考えても仕方のないことだ。ああ、なんか、思考モードがネガティブな方に寄っちゃってる。あんまり良くない傾向だな。
「小瀬さん」
私を呼ぶ声がして顔を上げる。十メートルほど向こうにいるその人の姿を捉えて、うわ、と反射的に思ってしまう。表情には、ギリギリ出なかったと思う。
「久しぶりです、樋渡先輩」
樋渡綾。よりによって、マイナス思考に染まっているこのタイミングで会ってしまうなんて。
まだ九月の半ばで全然寒くないのに、樋渡先輩はシャツの上に紺色のベストを着ている。穏やかな微笑も、降ろされた髪も、スカートやソックスの丈も、そのすべてが優等生然としている。私にはやっぱり、それが見る者の心証を良くするためという確固たる目的によって形成されているように映る。普通なら、そういうのって素直に模範的と形容するべきなんだろうけれど、この人にかかればどうしてか胡散臭さが上回ってしまう。
「隣、いい?」
そう言われると、「どうぞ」と言わざるを得ない。
「夏休みの活動以来だね」
「そうですね」
「夏芽と体育祭の実行委員してるんだって?」
「よく知ってますね」
「最近、部活もなくて会えない日が続いてるから、あの子とは定期的に電話するようにしているの。近況報告を聞くだけで、毎日楽しくやってるのが伝わってくるから面白くて」
会えないから定期的に電話って、恋人かあんたらは。
「先輩の方はどうなんですか? 今、選考期間中ですけど」
「なにも問題ないよ。事前に準備して、やるべきことをやっているからね」
樋渡先輩がたまに醸し出すこの超然とした感じを、私はどうしても警戒してしまう。それでもこうしてきっぱり言い切られると、潔さを感じずにはいられない。
「応援してます。長岡先輩にもよろしくお伝えください」
私が健気な後輩チックにそう言うと、樋渡先輩は計算し尽くされた(と勝手に私が感じている)笑顔で頷いた。
「そうそう、小論文の提出も済んだし、今月には面談もひと段落するから、十月のテスト明けにでも私の家でバーベキューをしようって夏芽や聡一郎と話してるんだけど、よかったら小瀬さんも来ない? ボランティア部の活動も日頃から手伝ってもらっていたし、そのお礼もできたらなって思ってるんだけど」
これって、多分私以外の人からすればすごく魅力的な提案なんだろう。百点満点の笑顔でお礼がしたいなんて言われたら、普通はそうそう断れない。
「あー、すみません。十月、週末はほぼバイトで埋まってますね」
実際、テストが明ける十月の半ばはシフトをたくさん入れていたはずだ。嘘はついていないはずなのに声が上擦りそうになってしまうのは、きっと予定がなかったとしてもこの誘いには乗らなかっただろうな、という確信があるからだった。
「そう? バイトなら仕方ないね」
「バーベキュー、行きたかったんですけどね。また誘ってくださいよ」
いや、これで本当に誘ってきたらどうするつもりなの、と私は自分の言葉に自分で焦ってしまう。社交辞令だとしても、ここまで口にする必要はなかった。樋渡先輩とこうして二人きりで話すのは多分今日が初めてだけれど、どうやら私の中には、自分が思っている以上にこの人への苦手意識のようなものが根付いているらしい。なんで夏芽は、この人と普通に話すことができるんだろう。
「残念だな。聡一郎も楽しみにしていたんだけど」
「長岡先輩がですか?」
信じられないほど、馬鹿正直な反応をしてしまった。ダメだ、全然自分のペースで会話できない。
「うん。聡一郎ってね、いつもあんなふうに素っ気ない感じで、なかなか女の子と仲良くなることってなかったんだけど、小瀬さんに対しては少しだけ心を開いていると思うの。そういうのって、あなたもなんとなく感じないかな」
長岡先輩が、私に心を開いている。そのことにはたしかに気づいていた。でも、この人の口から聞かされると、なんだか水を差されてしまったような気分になる。
「さあ、よくわかりません」
ガキだな、まるで。
考えてしまった。長岡先輩が私のことをどのように思っているのか、樋渡先輩につぶさに語っている様子を。そして、面白くない、とぼんやり感じている自分に気がついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます