ボランティア部再び
次の日には夏芽も全快したようで、少し遅れて待ち合わせ場所に到着した私を「遅ーい」と笑った。
私は欠伸を噛み殺しながら、一日遅れの初登校にウキウキしている夏芽の全身をくまなくチェックする。明らかに今後の更なる身体的成長を見込んで買ったと思われるぶかぶかのブレザーと、絶妙に野暮ったい長さのスカートと、はみ出た後れ毛がほよほよ揺れているアシンメトリーなローポニー。どうにか最低限のメイクでカバーされた顔面は、生徒指導の教師が喜んで太鼓判を押しそうなナチュラル具合だ。まあ、この子に一人でやらせたらこんなものだろう。
「とりあえず、学校着いたらトイレ行こっか」
この高校を選んだ理由は、家から近いという、本当にそれだけの理由だった。ちょうど学区内では偏差値的にも私の成績に一番見合っていたから、両親や教師らからもうるさいことは言われなかった。
進学するからといって、夏芽と離れ離れになることは決して想定していなかった。進路に迷っていたところを説得し、去年の夏休みはほとんどつきっきりで勉強を教えたことで、今日のこの日、私たちはこうして七年目の通学路を共にしている。
一日遅れでやってきた新入生は、校舎の外観から下駄箱の大きさまで、いちいち律儀に新鮮な反応を示して、全然足が前に進まない。それなりに余裕を持って登校したはずなのに、トイレに着く頃には夏芽のトータルコーディネートをリテイクする時間なんてほとんど残っていなかった。
「ね、放課後さ、ピアノ室に行ってみようよ。空いてたら自由に弾いていいんだって」
せめて髪型だけでも左右対称にしてあげようと手直しを加えている私に、洗面所の鏡越しにもわかる無邪気な笑顔で夏芽は提案する。
「わかったわかった」
「久しぶりにみーちゃんのピアノ聴きたいな」
「もうきらきら星しか弾けないけどね」
「しょうがないなー、私が教えたげるよ」
私がどれだけ適当に返しても、夏芽は上機嫌を崩さなかった。変に緊張した様子もなく教室に入り、初対面である前の席の子となにやら楽しそうに会話を始めたのを見届けてようやく、私は一つ安心することができた。
「ミミ、あの子と知り合いなん?」
着席すると、昨日よりも若干ファンデを薄くした代わりに目元のボリュームが増している璃李依にそう訊ねられて、私は頷いた。
「まあね」
なんで昨日は言ってくれなかったの、と詰められるかも、と私はちょっとだけ警戒する。くだらないこと(あえて言い換えるならばこちらの思いもよらないこと)で気を悪くする子というのは、意外と多い。
「一日で不登校克服するって、メンタル鬼じゃね」
「まあね」
やっぱり、璃李依のことは嫌いじゃない。
放課後になると、私は約束通りに夏芽とピアノ室を訪れていた。卒業生が寄贈したというアップライトピアノは年季が入っていたけれど、調律は問題なくされていて、夏芽はずっと前に私が教えた曲をぎこちないながらも両手で弾きながら歌っていた。伴奏も歌もぎくしゃくしていてはっきり言って下手だったけれど、なにしろ彼女は上機嫌で、そんな様子を見ていると心のどこかが満たされる。そして、私の理想はまだ失われていない、と実感できるのだった。
「でもさ、〈夢を渡る黄色い砂〉って、どういう意味なんだろね」
「夢に出てきそうなほどエグい量の黄砂ってことじゃない」
別にふざけたつもりはなく、わりと真面目に答えたつもりだったけれど、夏芽は「そんなのヤだよ」と可愛らしく憤慨した。ブレザーの生地の上でつやつやと輝いている綺麗な黒髪のひんやりとした手触りを確かめながら、私はとりあえず「ごめん」と謝っておいた。
夏芽は高校でもボランティア部に入ると宣言した。四月の終わり、ゴールデンウィークを目前に控えた週の月曜日だった。
「そもそもあるの? ボランティア部」
「あるよ。先生が言ってたもん」
しかも、今回はちゃんと部員つきらしい。
「それでね、今日、見学に行こうと思うんだけど」
「ついてこいって言うんでしょ」
先回りしてそう言ってやると、夏芽は分かりやすく眼を輝かせた。
放課後にボランティア部を訪れるのはいいけれど、彼らは一体どこで活動しているのだろう? そもそもまっとうなボランティア部って、どんな活動をしているんだろう? 地域の清掃とか、募金活動とか? どこかに部室があって、そこで活動計画を立てたり、備品の清掃用具なんかが置いてあったりするんだろうか。中学時代に夏芽が熱心に取り組んでいたあれは、部活動というより教頭のお手伝いだった。ボランティア活動において経験の有無がどれほどものを言うのかはわからないけれど、もしも即戦力を求められていたら、あの子では少し物足りないのかもしれない。
授業中、どうしてか、そんなことばかりをつらつらと考えてしまう。多分、夏芽が私の関知しないコミュニティに属するということがこれまでになかったから、それで身構えてしまっているのだろう。
我ながら、保護者面が過ぎるな、と笑ってしまう。
放課後、教師からボランティア部の活動場所を聞いてきたという夏芽に付き添って教室を出る。何人かのクラスメートから「なっちゃんバイバイ」と声をかけられて、嬉しそうに「バイバーイ」と手を振る姿は、小学生の頃と変わらない。
「で、どこなの、活動場所って」
「三年二組の教室だって」
「は?」
普通、部室ってものがあるんじゃないか。私の疑問に先回りして答えるように、夏芽は続けた。
「春に部員がほとんど卒業しちゃって、今、部員って三年生が二人しかいないみたい」
なるほど、それで部室も当てがわれていないということらしい。どうやら中学時代と活動の規模はほとんど変わりなさそうだ。
先を歩く夏芽の、今日は下ろされた黒髪を眺めながら、気づけば私は祈るような気持ちでこう思っていた。
どうか、二人の部員が夏芽にとって無害な人間でありますように、と。
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