第34話
私はとても怖かった。
老婆のような手を見られることがまず恐怖だった。
『気持ち悪い』も、いつ知られるか毎日が不安だろうと思うと、潜在意識の何処かで恋心にもブレーキをかけている自分が居た。
雪野先輩がそんなことを蔑むような人で無いのは分かっていたが、名前が魅力に影響するように、身体の状態、特に女性にとって皮膚の状態は魅力に絶対影響するだろうと私は怯えていた。
だったら、何も知られずプラトニックな片想いのままで居た方がずっと楽だと思った。
私の気持ちを知っているピーターは、「付き合え」などと言うことは無かったが、私の虚しい恋に苛立っていたようだ。
だから雪野先輩に対して意地悪が有ったのかもと思ったりする。
大体、雪野先輩は頭も良いと言われていたし、両目が離れ気味な顔立ち、細い鼻筋、切れ長な澄んだ瞳など良いとこずくめだったので、私など手の届く存在では無いという諦めも最初から私には有った。
キャーキャー騒がれるタイプでは無いけれど、密かに憧れてしっとり見つめている女の子は少なく無かっただろう。
少し揺れながらバリトンサックスを奏でる雪野先輩の白くて細くて長い指の美しさは今でも脳裏に焼き付いている。
怪談『耳なし芳一』で平家物語を語る琵琶法師が全身にお経を書いてもらったように、アイラは耳も含めて身体中『雪野美月』の文字で埋めたのかとピーターに笑われるくらい、雪野先輩以外何も入らない状態だった私も、文化祭が近づくに連れ、多少現実が見えるようになってきた。
兎に角演劇部の発表と劇団の公演を成功させなければならない。
特に演劇部の発表は雪野先輩に私の存在を知ってもらえるチャンスでもある。
「ここでも『雪野美月』が源か………」
と、ピーターとチカに呆れられつつ一応部活に励んだ。
ピーターの出演が叶う筈は無いが、演目を『ピーターパン』にしたいと言うピーターの思いを『無下に却下するわけじゃ無いよアピール』として、一応私は『ピーターパン』を演目に提案した。
私的には可也粘ったつもりだが、案の定『もう少し中学生らしさが欲しいよね』という言い訳付きで2年生達に却下された。
要するに『幼稚過ぎる』ということだろう。
私は『ピーターパン』の物語は子供向けにアレンジされたものが多く出回っているだけで、元来大人向きな内容だと感じて居た。
ピーターを見ていても、やること成すこと子供じみては居るけれど、その言動には読み取れない深さを感じる。
大人以上かもしれないとさえ思う。
後でピーターにその話をすると、
「俺が?
俺はただの大人になりたくない子供さ!」
シラッとそう言った。
まるでお膳立てされたような台詞だ。
まぁ、確かに『ピーターパン』の深さを理解するのは寧ろ大人である。
私が大人だったとは言わないにしろ、中学生の大半にまだその深さを理解するのは無理かもしれないので、先輩達が言うように今此処ではやらないのがベストだろうと私も納得した。
ピーターは一瞬口を尖らせたが、すぐ機嫌を取り戻した。
私と同じ理由で納得したようだ。
この時私は、雪野先輩にハマった一番の理由に気づいた。
そう、雪野先輩なら『ピーターパン』の深さを理解出来るだろうことだ。
もし、雪野先輩と私が会話をするようなことになったら、全てが余計な説明無しに通じ会えるだろう。
白か黒かの単純な遣り取りでは無く、白と黒の中間に有る広くて深いグレーゾーンを語れるし、お互いの僅かな言葉から瞬間的に感じ取れると思う。
ピーターとの間にも有る感覚だ。
雪野先輩と話したことは無いけれど、そのグレーゾーンをひしひしと感じさせるのが雪野美月だ。
雪野先輩が時々見せるあの寂しげな表情は、グレーゾーンを説明無しで理解出来る人間が少ない、或いは居ない寂しさによるのかもしれない。
大人でさえ、誰でも理解出来るわけでは無い。
白か黒かのデジタル型が頭の良さと勘違いしている空気さえ有って、大概グレーゾーンの宇宙的な広がりは簡単に無視される。
グレーゾーンは、説明することが出来ない場合が多い。
説明することで寧ろ変なカラーが付いてしまったり、軽く浅くなってしまう。
だから、私や雪野先輩のような人間は、話す相手が限られる。
理解出来ない相手と話すことが非常に苦痛だったりする。
話して居ても、説明が必要な瞬間から無口になってしまう。
下手に説明して、自分の本意を全く違った方向に脚色されるのを避ける為に。
そうなるよりは、口をつぐんだ方がマシだ。
でも、そうするしか無い苦しみや寂しさは私にも分かる。
私はその頃から、雪野先輩に対して恋心とは別に共感と同志的な感情も芽生え始めた。
つづく
挿し絵です↓
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